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山手線ってどこからどこまで?→品川から田端。東京駅・上野駅・大宮までは東北線、 東京から品川までは東海道線。

今回は、2020年9月11日金 チコちゃんに叱られる!「▽救急車のピーポー▽レストランの氷▽山手線」の番組内容を紹介。


山手線ってどこからどこまで?





山の手線も環状線だから、つながってますよね。


どこが最初?






山手線ってどこからどこまで?


本日の1つめ目の話題。


今回のゲストは、豊川悦司さんとみちょぱこと池田美優さん。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、電車が好きそうなステキな大人ってだーれ?」


岡村さん「電車と言えば豊川さんですよ。」


とご指名。


豊川さん「電車と言えば僕ですね。トヨ電と言われてますので。」


そこで、山手線の話題。


チコちゃん「山手線ってどこからどこまで?」


豊川さん「2/3が山手線で、残りの1/3は東海道山手線に分かれている。」





豊川さん「東京駅から新宿駅までが山手線。」


チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


と正解にいたらず、叱られちゃいました。



チコちゃんの答えは、「品川から田端」


ちなみに、山手線の読み方は、現在は、「やまのてせん」、昔は、「やまてせん」。





品川から田端


解説してくれたのは、鉄道ジャーナリストの梅原淳さん。


山手線は一周していません。





国土交通省の鉄道要覧には、山手線は品川から田端までと書かれています。





東京駅から上野駅を通って大宮までの区間は東北線。


東京か品川までは東海道線という記載も。





つまり1周している環状線だと思っていた山手線は実は3つの路線で形成。



ではなぜ3つに分かれている?


それは鉄道の成り立ちが理由。


日本で初めての鉄道は、1872年に誕生した東京の新橋駅から神奈川県の横浜駅(現在の桜木町)。




1872年 日本初の鉄道が誕生しました。





次が、首都東京都と東北方面をつなぐために東京上野と群馬県の高崎間。


そして、この2つの路線をつなげようとしました。





ここである問題が発生。


新橋と上野の間には銀座や日本橋がある東京のど真ん中。





土地の値段が高く買収費用の高騰する事や、鉄道という新しい技術に対する不安から住民の反対が。




そして、工事は断念。


しかし、何とかして横浜から東北方面までをつなげたい。


そこで、品川駅から東京の西側(渋谷、新宿など)を通って埼玉との県境の赤羽駅まで線路をつなぐぶルートを考案。





そして次に山手線の終点駅である田端駅が誕生。





この田端駅は茨城方面をつなぐ常磐線の開通に伴って生まれた駅。


この路線は茨城・福島方面から東京に石炭を運ぶ目的で開業したもの。


さらに、石炭を横浜まで運ぶために田端と池袋をつなぎ、1909年の時点で山手線という路線名が誕生。





最短距離で横浜までつなげる為に、赤羽は山手線から除外。


そして、空白地帯だった上野-新橋エリアでも鉄道の便利さがわかり、住民の反対も少なくなりました。


そして、1925年に上野新橋間が開通。





このように山手線は元々あった東海道線と東北線に相乗りする形になっています。


1周している路線ではなく、品川から田端まで。


山手線が品川から田畑の理由は、別の路線に乗り入れているから。





この山手線というネーミングの理由


それが分かるのは田端駅南口の光景。


高低差のある光景から分かるように、山手線というのは田端付近から山ばかりを走る路線。


そこで、山手線という名前になりました。


地形図で見ると一目瞭然。





ということはそこを走る車両は山を上ったり、谷を下ったりを繰り返す事になります。





当時の蒸気機関車にとってはとてもむずかしい路線。


開業当初は急坂を上る李力がなかった蒸気機関車。





そこで、谷の部分には橋をかけ、山の部分は削って開通させるという苦労が。




高田馬場や渋谷にかかる橋は谷越えのためだったり、池袋駅付近では山を切り開いて走っていたりしたとのこと。



結論


というわけで、


「山手線ってどこからどこまで?」は、


「品川から田端」


でした。



塚原アナから補足


開通が遅れた上野新橋間は当初は路面電車のようにレールが敷かれて乗合馬車が走っていました。




その後は1895年に路面電車が開通、鉄道開通につながりました。





解説してくれたのは


鉄道ジャーナリストの梅原淳さん。


梅原 淳(うめはら じゅん、1965年(昭和40年)6月6日[1] – )は日本の鉄道ジャーナリスト。合同会社ウメハラトレイン代表社員、千葉県富津市在住[1]。

経歴
東京都世田谷区生まれ。小田急 経堂駅の近所に住んでおり、赤ん坊の頃はロマンスカーをずっと眺めていたという[2]。父の仕事の関係で、杉並区、横浜市、サンフランシスコと転々とした[2]。中学3年の終わりに帰国し、東京学芸大附属高校大泉校舎に入学、高校・大学時代は自転車競技に打ち込む[2]。

青山学院大学経営学部卒業後の1989年三井銀行に入行、2年後に鉄道雑誌『鉄道ファン』編集者として交友社に入社する[3]。ここで4年間勤めたのち1994年退社、ベンチャービジネス雑誌『頭で儲ける時代』の編集者としてあいであ・らいふに入社。2年後に会社の経営が悪化したため退社して、文化放送ブレーンに転職し複数の雑誌・情報誌の編集に関わった[3]。

2000年にフリー記者として独立[4]。2001年に出版した初の著書『鉄道・車両の謎と不思議』(東京堂出版)、第2作の『新幹線の謎と不思議』(同社刊)がともに売れ行きが好調であり、順風満帆なフリー生活のスタートを切った[3]。以降著書を多数出版、ウェブサイト『東洋経済オンライン』のコーナー「鉄道最前線」執筆者の一人でもあり、各地での講演活動や『ひるおび!』を初めとするテレビ番組のコメンテーターもこなすほか、行政・自治体による鉄道調査への協力など行なっている。2018年4月には福岡市地下鉄経営戦略懇話会の委員に就任した[3]。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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