今回は、2018年6月15日放送、第10回「チコちゃんに叱られる!」の2つ目のお話。
「「あっかんべー」って何?」だよ!
確かに、小さい子供の時から、アッカンベーってしますね。
あんまり深く考えたことなかったね。
なぜなんだろう?
「あっかんべー」って何?
チコちゃんの、「一番モテてた人ってだーれ?」という問いかけで、安田さんが回答者。
(テロップで、「はんなりはん(京美人)」という説明あり)。
番組では、岡村さんが安田さんをデートに誘います。
安田さんが断るときに、「アッカンベー」
そこで、チコちゃんの質問は、「アッカンベーってなに?」
ここで、安田さんは、正解と思われるピヨピヨ音!
チコちゃん「分かりました。つまんねー奴だな!」
安田さん、正解だったみたいだね!
ミニコーナー「漢字の書き取り」
いつもの、正解を当てられたチコちゃんは、漢字の書き取りクイズ。
今回は、「サッポロ」
正解は、「札幌」ですね。
岡村さんと安田さんは不正解、北斗さんだけ正解でした。
街角インタビュー
いつもの街頭インタビュー。
誰も答えられません。
いつもの、森田アナの「あっかんべーが何なのかも知らずに、指でまぶたを引っ張り舌を出す。一体人間とは何なのか?そんな疑問を私は禁じ得ません。」とのこと。
「アッカンベー」は、「赤目」
チコちゃんの答えは、「アッカンベー」は、「赤目」のこと。
以下、専門家の解説だよ。
あっかんべーとは赤い目を見せる事。
目の下は眼瞼結膜(がんけんけつまく)という毛細血管の集まる場所。
毛細血管が集まって、赤く見えるんだね。
逆に白いと貧血のサイン。
「赤目」→ あかべ → あかんべ → あっかんべーに変化していったとのこと。
赤目がなまって、「あっかんべー」に変化したんだね。
なぜ赤目を見せることが拒否の意味に?
番組で「あっかんべー はじまり」などの単語で検索。
見つけたのが、1880年頃、江戸時代の浮世絵の一枚
「山姥と金太郎 髪結い あかんべい」
少年が、アッカンベーをしているね。
(参考)
WEB浮世絵美術館 歌麿「金太郎と山姥」
あっかんべーは江戸時代には、既に行われていたんだね。
さらにさかのぼって調べてみると博多の神社にも。
安土桃山時代に豊臣秀吉が造った社殿が、今も残存している櫛田神社。
そこには、雷神と風神の彫り物が。
雷神が災いをもたらそうと風神に呼びかけた所、風神が「嫌だよ」とあっかんべーをしている光景を描いたもの。
防災の願いが込められているんだって。
櫛田神社
博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。
祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)。天平宝字元年(757)、孝謙天皇の御代。この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられ、天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、現在の社殿の建立寄進がなされた。
当社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。
境内には「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石がある。
(福岡市公式シティガイドHPより)
赤目の起源は?
先生によると、「平安時代の書物にヒントが隠されています。」とのこと。
平安時代の説話集、「大鏡」。
最古の写本は重要文化財に指定されているほど貴重な資料。
この「大鏡」には「めかこうして稚児をおどせ(目を赤くして子どもを脅す)」という一文が。
グロテスクな赤目を見せるのは相手に対し脅しをかける意味だったんだね。
奈良元興寺(がんごうじ)鬼寺
奈良で約1300年続く世界文化遺産のお寺である元興寺(がんごうじ)。
奈良時代に作られた国宝・五重小塔。他にも聖徳太子立像などたくさんあるお寺。
(拝観料 500円)
元興寺公式サイト・元興寺文化財研究所公式サイト
元興寺は鬼伝説で有名な「鬼寺」としても知られているんだ。
奈良時代に出没した鬼を寺の法師が退治したという言い伝えが。
その退治した方法が、こわい形相をして退治したというもの。
法師が鬼退治をする時に目をむいてあっかんべーをして追い払ったんだ!
それが、あっかんべーのルーツとのこと。
ちなみに、舌を出すのは
ちなみに、舌を出すのは「べー」が「べろ」と勘違い。
それで、舌を出すようになったそう。
塚原アナから補足
ベロをだしたアインシュタインの写真。
生真面目であまり人前で笑わないアインシュタイン。
カメラマンの「笑ってください」というリクエストにおどけて応えたのがこの写真。
心理学の先生(渋谷昌三さん)によると舌を見せる行為は普段見せない部分を相手に見せるということ。
これは、「親愛」の意味も含まれているとのこと。
解説してくれたのは
立教大学名誉教授で言語学者の沖森卓也先生
沖森卓也先生
沖森 卓也(おきもり たくや、1952年7月20日 – )は、日本の日本語学者、立教大学名誉教授。専攻は日本語学。
略歴
三重県伊賀市生まれ。
沖森文庫として、伊賀で古書店を経営していた郷土史研究家沖森直三郎の孫。
1975年東京大学文学部国文科卒業。
1977年同大学院修士課程修了。
同助手、1979年白百合女子大学専任講師、1983年助教授、1985年立教大学助教授、1990年教授。
2018年定年退任、名誉教授となる。
1999年「日本古代の表記と文体」で東京大学文学博士。
(Wikipediaより)
立教大学(りっきょうだいがく、英語: Rikkyo University/Saint Paul’s University)は、東京都豊島区西池袋3-34-1に本部を置く日本の私立大学である。
1922年に設置された。
大学の略称は立教または立大(りつだい)。
大学全体
立教大学は日本聖公会系のキリスト教主義学校(ミッションスクール)である。
もともとは米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が設立した聖書教育と洋学教育の私塾である立教学校が母体。
設立当初の英語名称はSt.Paul’s School。その後に大学として改変されたことから、第二次世界大戦前にはSt.Paul’s Collegeと変更。
現在は正式な英称をRikkyo Universityとしているが、Saint Paul’s UniversityまたはSt.Paul’s Universityとも呼ばれる。
立教大学は早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、立教大学、東京大学(後に日本最古の大学野球の対校戦である東京六大学野球となる)で構成される東京六大学(東京六大学野球連盟)の一校である。
「St.Paul’s University」は、立教大学の守護聖人が聖パウロであることに由来する。
アメリカ聖公会系の学校にはすべて「守護聖人」が存在している。
(Wikipediaより)
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