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なんでお玉を「お玉」っていうの?→お多賀がブームになったから。滋賀の神社の普及活動から。

今回は、2021年4月16日金 チコちゃんに叱られる!「▽「お玉」の謎▽ヒゲが生える理由▽「#」ってなに」の番組内容を紹介。


なんでお玉を「お玉」っていうの?





確かに、「お玉」って、言いますね。


丸いから?





なんでお玉を「お玉」っていうの?


本日の1つめ目の話題。


ゲスト紹介。


2回目の出演、松坂桃李さんと初登場の「森三中」大島美幸さん。


大島さんは、以前に番組VTRに出演していましたが、スタジオは初登場。


早速問題へ。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、料理が得意なステキな大人ってだーれ?」


岡村さんの指名で、たまに料理をする松坂さんが回答者に。


キッチン用具の話題。


汁物をすくう道具の名前について聞くチコちゃん。


チコちゃんの疑問は、「なんでお玉を「お玉」っていうの?」


松阪さんは、「お玉」は、元々は玉子などをすくう道具だったからという趣旨の回答。


正解に至らず、叱られちゃいました。


大島さんにきいてみると、大島さんは、球状の形のものから作られたからという答え。


チコちゃんの答えは、「お多賀がブームになったから」



お多賀がブームになったから


解説してくれたのは、民俗学でおなじみ、國學院大學大学院の新谷尚紀客員教授。


今回で9回目の出演。


ここで、急に、講座が始まります。



NHコ教養講座 お玉はなぜ「お玉」というのか?






アシスタントは、いつも先生のダジャレを華麗にスルーするNHK中山果奈アナウンサー。




解説は、新谷先生





お玉は元々「杓子(しゃくし)」という古来からある道具。


弥生時代のものが出土した事もあります。


当時の物はひさご(=ひょうたん)を半分に切り、くぼんだ部分で食べ物をすくっていました。





この他に木を彫って作ったものも出土されています。


食べ物をすくう道具を杓子と呼ぶのが普通でした。





弥生時代に稲作が始まって以降、その年最初にとれた稲を神様にお供えする初穂(はつほ)という習慣が生まれました。





これからお米の事を稲魂(いなだま)と呼んでいました。


当時のお米は今のようにモチモチとはしておらず、米を蒸した強飯(こわめし)や





茹でたおかゆのような形でした。





そこで、杓子ですくって食べるのが一般的な食べ方。


そして「杓子=お米をすくうもの=魂(稲魂)をいれるもの」という解釈が。





この事から、魂を入れる杓子 → 魂杓子 → お魂杓子(おたまじゃくし)に変化。


言葉の成り立ちから、お魂杓子はくぼみに魂が宿っているもの=神聖なモノに。


例えば宮島・厳島神社の名物として有名なしゃもじも元々は杓子。





他にも杓子を神聖なものとする信仰は、東京の石井神社や奈良の夫婦大国社(春日大社末社)など、日本各地に存在しています。


ところが、この杓子の呼び方ははっきりと決まっていたわけでもありませんでした。




へら、さじ、たましゃく、
などなど地域ごとに別の言い方は様々。


そしてこの各地でまちまちの言い方をしていた杓子を「おたまじゃくし」に統一した火付け役が。


それが、滋賀県・多賀町にあるお多賀さん(多賀大社)。





おたまじゃくしで天下を統一したお玉の総本山。


多賀大社にはお魂杓子に関する伝説が。


境内にはその原型となった「お多賀杓子」が安置。





奈良時代の元正天皇が病に。


多賀の神職たちが強飯を炊いて杓子を添えて献上。


病が立ちどころに治ったという言い伝え。





これは縁起が良いという事で、杓子はお多賀さんの相性で親しまれていた多賀大社にちなんでお多賀杓子と名づけられました。





そして、神様からのお印として参拝に来た人々に渡されるように。


さらにこれを全国に広めていったのが、多賀大社の境内にあったお寺のお坊さん(坊人)たち。


室町時代から江戸時代にかけて全国を行脚して多賀信仰を広めます。





その時多賀の神様のお印としてお多賀杓子を配って宣伝。


その地道な活動が実を結んだのが江戸時代の参拝ブーム。


参拝ブームの発端は、伊勢神宮のお伊勢参り。


江戸時代に伊勢神宮への参拝がブームになった事で坊人たちは多賀大社にも参拝客を呼ぶために宣伝。





それが、「お伊勢参らば お多賀に参れ お伊勢お多賀の子でござる」というフレーズ。


今でいう所のCMソングのような感じ。


日本全国をこの歌を口ずさみながらお多賀杓子を配って布教活動。





その結果、多賀大社への参拝客も順調に増えて、参拝客にはお多賀杓子が配られ、どんどん全国区へ。





やがて文化の中心であった江戸にも達し、食べ物をすくう杓子はお多賀杓子と呼ばれるように。



お多賀杓子からさらにお玉じゃくしになった理由


これについては確かな事は不明ながら、シンプルに言いやすかったからでは?と解説。



まとめると、

お魂杓子 → お多賀杓子 → お玉じゃくしという変化の歴史。


ちなみにカエルの子のおたまじゃくしは、道具のお魂杓子に形が似ている事からそう呼ばれるようになったそう。




カエルの子がオタマジャクシになり、カエルになったとダジャレを言うも、中山アナはスルー







結論


というわけで、


「なんでお玉を「お玉」っていうの?」は、


「お多賀がブームになったから」


でした。



解説してくれたのは


民俗学の専門家、新谷尚紀教授

新谷 尚紀(しんたに たかのり、1948年11月18日 – )は、日本の民俗学者。
國學院大学教授、国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学名誉教授。

経歴
広島県生まれ。
1971年早稲田大学第一文学部史学科卒業、1977年同大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得。
1998年「死・葬送・墓制をめぐる民俗学的研究」で慶應義塾大学社会学博士。
山村女子短期大学助教授、国立歴史民俗博物館助教授、教授、総合研究大学院大学教授、2010年定年退官、名誉教授、國學院大学文学部教授。
(Wikipediaより)



今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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