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男爵いもの男爵って誰?→川田男爵。北海道でよく育つ芋を品種改良して広く分け与えた。

今回は、2021年7月2日金 チコちゃんに叱られる!「▽ドンヨリ空と憂うつ▽男爵いも秘話▽円周率の謎」の番組内容を紹介。


男爵いもの男爵って誰?




確かに今まで何にも考えずに食べてましたね。


いったいだれ?





男爵いもの男爵って誰?


本日の2つめ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ、岡村、この中で一番、美味しそうにご飯を食べるステキな大人ってだーれ?」


ゲストの2人は、おいしそうにごはんを食べるマネでアピールするも、なんと、岡村さんが自ら回答者に。


お芋の話題から、男爵イモの話題に。


ポテトサラダやコロッケにしてもおいしい男爵イモ。


チコちゃん「男爵いもの男爵って誰?」


岡村さんは、髭男爵と言おうとしたみたいですが、自ら制御。


しかしながら、よい答えが浮かばず、叱られちゃいました。


チコちゃんの答えは、「川田男爵」



川田男爵


解説してくれたのは、川田男爵の資料展示施設の支配人、鍵谷孝之さん。


男爵いもは、明治時代に北海道で農場を営んでいた川田龍吉男爵が品質改良して作ったじゃがいも。





男爵が作ったじゃがいもなので男爵いもという名前に。


川田龍吉男爵は1856年に土佐(現在の高知県)で川田家の長男として誕生。





その父親は海運業で成功し、後に日本銀行総裁になり男爵の称号が与えられた川田小一郎男爵。


そして日本の発展には海外との貿易が重要であると考えた父親の考えで、龍吉は世界一の造船技術を学ぶために21歳でスコットランドに留学。


帰国後はその知識を生かして船の修理などの仕事に。


そして、現在の横浜みなとみらいに新しいドック(横浜ドック)を作るべく尽力。


その後40歳になった際に父親の急死に伴って男爵を受け継ぐことに。


転機になったのが50歳の時。


渋沢栄一から、函館ドックを立て直して欲しいという依頼で専務取締役の役職を与えられて北海道へ。





北海道では七飯町で土地を買って農場(川田農場)を開業。





メインの仕事と並行して自ら畑を耕す生活をしていた川田男爵。


アメリカやイギリスから様々な種を輸入。


当時はまだ珍しかったキャベツやレタスなどの西洋野菜を栽培。


その中で川田男爵が特に力を入れていたのがじゃがいもの栽培。


私財をつぎ込んでじゃがいもに尽力。


その姿を見た周囲の人々は「なぜじゃがいもにあんなに夢中に?」と不思議に思っていたそう。


彼のじゃがいもへの情熱の謎は川田男爵が亡くなってから26年後の1977年に遂に明らかに。


農場の倉庫から見つかった手紙の束が。





それは、英語で綴られた89通のラブレター。



NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場「芋の国から 1883初恋 ~男爵いも誕生物語~」





1883年のスコットランドのある書店。


川田龍吉役は板橋駿谷さん。





布張りの地図を探している龍吉に、書店員のジニー・イーディーさんが対応。





それから数日後、地図の件でジニーさんからお手紙で連絡が。


丁寧な手紙の対応に好感を抱いた龍吉。


その週末に再びあの書店へ。


この時27歳の龍吉と19歳のジニーは、お互いに運命の出会いを感じる事に。


そこから文通でのやり取りが始まります。


その後、デートもするようになり、休暇には郊外へ。


2人きりでロマンチックな時を過ごす事も。


2人がこの時訪れたスコットランドのカードロスは自然豊かな土地。





休暇を過ごす人が訪れる場所。


そして、夏にはじゃがいもの白い花が咲き誇る場所。


そこで龍吉は「結婚して一緒に日本に来てくれないか?」とプロポーズ。


ジニーさんは、手紙で「はい」と返答。


プロポーズにOKするジニーさん。


ところが龍吉の帰国が。


ジニーを残してスコットランドを経つことに。


その後2人はどうなったのか?


龍吉が帰国後にジニーから届いたものと思われる手紙は一通も残されていません。


龍吉はジニーと彼女の母親を日本に呼び寄せるつもりだったそう。


しかし、父親の猛反対を受けてその願いはかなわず。


父親の意向に押し切られる形でジニーへの想いを封印。


後に父親に薦められた女性と結婚して8人の子宝に恵まれる事に。


それから時が経ち1906年を迎えると50歳で北海道へ。


男爵の称号を父親から継承していた龍吉。


仕事の合間を見つけては、農場に足を運んで外国から取り寄せた野菜の中から北海道の気候にあった品種を探します。


そこで注目したのが、良く育つじゃがいも。


そのじゃがいもはスコットランドの地でも育てられていたという話を聞いた龍吉。


ジニーと共に将来を誓い合ったあのスコットランドのじゃがいも畑。


海を越えてやって来たじゃがいもは北海道に多くの実りをもたらしました。


龍吉は周辺の農家にも良く育つじゃがいもを広く分け与えました。


そして、男爵からいただいた芋ということで、名前が「男爵いも」に。


実業界を引退した後も北海道でじゃがいもを育て続けた川田男爵。


95歳でその生涯を終えました。


ジニーとの思い出は本人の口からは一切語られる事は無かったとのこと。



結論


というわけで、


「男爵いもの男爵って誰?」は、


「川田男爵」


でした。



解説してくれたのは


川田男爵の資料展示施設の支配人を務める鍵谷孝之さん


男爵資料館


函館の西13kmほどの場所、JR大島当別駅の裏手に男爵資料館がある。ここは横浜船渠会社社長であった川田龍吉男爵をたたえ、川田農場跡地に1983年にオープンした資料館だ。緑の牧草地に赤い壁の資料館がぽつんとたたずむ姿は絵になる。ここは入館料を払って資料館の中に入ると、5~10分程度係員が川田龍吉氏や男爵いもについての説明をしてくれる。それによると川田龍吉氏がイギリス留学から帰国後に男爵を継承し、晩年北海道で機械化による農業の近代化を進めたが、彼はイギリスで愛を誓った彼女と結婚する事ができず、彼女を思ってイギリスで食べたじゃがいもを北海道でも栽培する事に成功し、そのじゃがいもは男爵様が育てたいもという意味で男爵いもと呼ばれるようになった事を説明してくれる。そんな川田龍吉男爵を記念した資料館の1階には、彼が北海道で機械化した農耕具の数々やアメリカ製のトラクターが、そして2階には洋食の調理器具など先進的な家庭用品の数々が展示されている。また新館の1階には日本で初めてのオーナードライバーとなった自動車や馬車が、2階には農業や工業の実験道具の数々が、3階には大工道具や林業に関する専門道具が展示され、あらゆる分野の専門道具を集めた男爵様のこだわりを感じらる。また隣のレストラン「龍杉創」ではじゃがいもスープやポテトピザ、そしてイギリスで愛を誓った恋人の名を取ったジェニーらいすなど数々のじゃがいも料理を食べる事ができる。
(HPより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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