今回は、2021年10月1日金 チコちゃんに叱られる!「▽コラ!の意味▽トウモロコシのヒゲ▽服の色の謎」の番組内容を紹介。
怒る時のコラ!って何?
たしかに「コラ!」っていいますね。
語源は何?
怒る時のコラ!って何?
本日の1つめ目の話題。
まずは、最初のゲスト紹介。
本日のゲストは3回目の出演でオリジナルメンバーの関根麻里さんと17回目の出演となる大竹まことさん。
いつもの大竹さんとチコちゃんとのやり取りの後、一問目へ。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、正義感が強いステキな大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で、大竹さんが回答者に。
大竹さんは、「間違った正義感」を自負しているそう。
チコちゃん「怒る時のコラ!って何?」
大竹さん「こりゃ驚いた」の「こりゃ」が語源といった趣旨の回答。
正解に至らず、叱られちゃいました。
関根さんにも聞いてみると
関根さん「カタカナっぽいので由来は外国語説」といった趣旨の答え
岡村さんは「心を鎮めるコーラ」
いずれも正解に至らず。
チコちゃんの答えは、鹿児島県の「ねえ」
鹿児島県の「ねえ」
解説してくれたのは、国立国語研究所の木部暢子特任教授。
コラ!という言葉は江戸時代から鹿児島県の薩摩半島あたりで使われていたとされる方言の一つ。
その意味は「ねぇ?」「ちょっと」という呼びかけ。
ちなみに鹿児島おはら節という民謡にも「コラ」が登場しているとのこと。
歌の中では「おごじょ コラコラ お前宿ァ どこや」という歌詞が登場。
意味は、「お嬢さん ちょっとちょっと お前の家はどこ?」
街行く女性に声をかけるシーン。
2000年頃に木部先生が実地調査。
鹿児島ではおじいちゃんおばあちゃん世代が孫に対して親しみを込める感じで「コラコラ」と呼びかけるのを聞いた事があるとのこと。
それから20年ほどが経つ2021年現在。
鹿児島では未だに「ねえ」「ちょっと」という意味で「コラコラ」を用いているそう。
コラコラ とないのうちが ごぜんけやっど
コラ おまんさ むぞかね
やはりそこには怒りや注意するというニュアンスはあまりありません。
これが怒る時の決まり文句のように変化してしまった時期はいつなのか?
その始まりは明治時代初期に今の警察の基となる「ら卒」という組織が誕生した頃まで遡ります。
当時のら卒のメンバーはほとんどが鹿児島出身者で構成。
そのため、コラがよく使われたというのが有力な説。
明治維新後の日本は混乱期という事もあって治安が乱れがち。
そこで明治4年に政府が地域の見回り役としてら卒を発足。
発足当初は3000人が採用されました。
その内訳は明治維新で活躍した鹿児島出身の西郷隆盛が連れてきたというおよそ1000人のメンバー。
同じく鹿児島出身で初代警視総監の役職にも後に就く事になる川路利良がさらに1000人のメンバーをら卒に採用。
つまり3分の2が鹿児島出身者で占められていました。
町で何か、もめ事があればら卒から「コラ(ねえ、ちょっと)」と日常的に声をかけていました。
その際に鹿児島弁はイントネーションが強い。
優しく「ねえ」と呼びかけたつもりがさも怒っているように、高圧的に感じられてしまったそう。
さらに使っていたのが治安維持部隊のら卒。
そんな人たちに話しかけられるだけでもちょっとビクッとなってしまったり。
明治28年に出版された泉鏡花の『夜行巡査』
「だしぬけにこら!って、わめかれましたのに驚きまして、いまだに胸がどきどきいたしまする」という記述が。
当時の人にとっては鹿児島弁の「こら」は何か怖い感じのする言葉だったとのこと。
この他に地方発で全国に広まった言葉として
【うざい】
うざったいの略語で不快感を示す言葉。
元々は江戸時代に使われた、虫や魚がたくさん集まっているのを気持ち悪がる「うざうざ(うじゃうじゃ)」という言葉が語源。
この言葉が東京の多摩地区で脈々と使われ続けたことで、うざうざ→うざったいと変化。
1970年代後半から80年代に八王子近郊に大学や短大などが沢山移転した事をきっかけに、
学生たちの間で「うざったい」やその短縮形の「うざい」が流行。
地方から八王子に集まった学生たちが「うざい」を都会の言葉として多用するようになり、地方に戻った後も使い続けたことで徐々に全国区になった可能性もあるとか。
【なにげ】
「なにげなく」の略語で「なんとなく、実は」など広い意味で使われる若者言葉。
その発祥は埼玉や群馬辺り。
特に1990年頃に埼玉の中学生がよく使っていたそうで東京の若者言葉に影響を与えたと考えられているとのこと。
【めっちゃ】
めちゃくちゃの略語で「非常に、大変に」という意味。
語源は1980年代に「Dr.スランプ アラレちゃん」の喋り方。
その影響を受けて関西の若者を中心に流行ったのが始まりとされているそう。
それがバラエティ番組に出演する関西芸人さんたちの影響で全国に広まっていたとされているとか。
結論
というわけで、
「怒る時のコラ!って何?」は、
「鹿児島県の「ねえ」」
でした。
チコちゃんから最近の若者言葉、略語についてちょっと紹介
かまちょ → かまってちょうだい
好きぴ → 好きなピープル
レベチ → レベルが違う
解説してくれたのは
国立国語研究所の木部暢子特任教授。
所属国立国語研究所 言語変異研究領域 教授 (特任教授)
学位
1998年10月 博士(文学)(九州大学)
J-GLOBAL ID200901060531307802researchmap会員ID1000046660
万葉集を勉強したいと思って大学の文学部に入りました。しかし,定まった読み方がない歌がまだたくさんあることや,奈良時代の発音が現代の我々の発音とは大きく違っていたことなどを知り,文学よりも言語学に興味を持つようになりました。小学生のころから合唱をやっていたので,それがきっかけで発音やアクセントやリズムに興味を持ったのかもしれません。
◆研究のテーマ
日本語は方言のバリエーションが豊富です。これらのバリエーションがどのようにして形成されたのかに興味があって方言の調査を行っています。中でも,アクセントや音韻に特色のある西南部九州の方言を中心に研究を行っています。最近は,奄美・沖縄・八丈などの消滅の危機にあることばの調査・記録・継承の仕事をしています。これらのことばは2009年,ユネスコによって消滅の危機の度合いが高い言語に指定されました。しかし,消滅の危機にあるのはこれらのことばだけではありません。日本中の方言が今、消滅の危機にあります。方言の保存活動を全国に広めることが,これからの課題です。
経歴
2021年4月 – 現在大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立国語研究所 特任教授
2010年4月 – 2021年3月大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立国語研究所 教授
2006年4月 – 2010年3月鹿児島大学法文学部 学部長
1999年4月 – 2010年3月鹿児島大学法文学部 教授
2004年4月 – 2006年3月鹿児島大学法文学部 副学部長
1988年4月 – 1999年3月鹿児島大学法文学部 助教授
1985年4月 – 1988年3月福岡女学院短期大学 講師
1981年4月 – 1985年3月純真女子短期大学 講師
1980年4月 – 1981年3月純真女子短期大学 助手
1978年4月 – 1980年3月九州大学大学院文学研究科修士課程国語学国文学専攻 修了
1974年4月 – 1978年3月九州大学文学部文学科国語学国文学専攻 卒業
(大学HPより)
国立国語研究所(こくりつこくごけんきゅうしょ、英: National Institute for Japanese Language and Linguistics、NINJAL)は、大学共同利用機関法人人間文化研究機構が設置する大学共同利用機関の一つ。日本語学・言語学・日本語教育研究を主とした研究機関であり、日本語の文法、語彙、発音、文字、方言、歴史などについての科学的研究を行っている。
概要
1948年の設立以降、統計学的手法・電子計算機を用いた語彙調査、方言調査による言語地図の作成、日本語と外国語の対照(比較)研究、など日本語に関する各種の調査・研究を実施してきている[1]。
また、2020年時点で実施している主な研究の例として、日本の消滅危機言語・方言の研究、日本語コーパスの開発・拡充、外国語としての日本語教育研究、などが挙げられている[2]。
文部省の機関→文化庁の機関→独立行政法人と設置形態が変遷し、2009年10月以降は大学共同利用機関として設置されている。法令上の設置目的は「国語及び国民の言語生活並びに外国人に対する日本語教育に関する科学的な調査研究並びにこれに基づく資料の作成及びその公表」[3]。
(Wikipediaより)
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