今回は、2021年10月29日金 チコちゃんに叱られる!「▽スペードのエース▽筋肉痛▽ソーセージ」の番組内容を紹介。
なんで筋肉痛は次の日になるの?
確かに筋肉痛は翌日ですね。
いったいなぜ?
なんで筋肉痛は次の日になるの?
本日の2つめ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、運動が得意でステキな大人ってだーれ?」
昨日ジムに行って、現在筋肉痛中のYOUさんが回答者に。
チコちゃん「なんで筋肉痛は次の日になるの?」
YOUさんの口元に正解マーク。
チコちゃん「つまんねーヤツだな~。」
正解を言われてちょっと悔しいチコちゃんから漢字の問題。
問題は「けんこうこつ」。
皆さん不正解で、叱られちゃいました。
正解は「肩甲骨」。
チコちゃんの答えは、「1日かけて移動した物質が痛みを感じさせるから。」
1日かけて移動した物質が痛みを感じさせるから
解説してくれたのは、早稲田大学スポーツ科学学術院の川上泰雄教授。
筋肉痛のメカニズムについてはまだまだ分かっていない部分は多い。
しかし、運動で傷ついた筋肉を治している時の痛みが筋肉痛という説が有力。
筋肉痛は慣れない運動をしたり普段使わない筋肉を使った時に起こりやすい。
運動などで筋繊維に負荷がかかると傷がつきます。
この時傷ついた繊維を治すために毛細血管などから白血球やたんぱく質などが集まり炎症が発生。
この炎症反応が筋肉痛の原因の一つ。
炎症が起こると白血球などが繊維の傷ついた部分を一度壊して新しく作り直します。
その過程で痛みの元となる刺激物質が生まれる事に。
ところが筋肉の繊維内には痛みを感じる神経がありません。
そのため、この時点では痛みはなし。
そして私たちの体には刺激物質を筋肉の外側に運ぶ働きがあります。
運ばれた時点で痛みを認識。
刺激物質は筋肉の中を漂った後、1日~2日ほどかけて筋肉を覆う膜(筋膜)へ。
筋膜には痛みセンサーがあるために、そこで初めて痛いと感じます。
これが遅れてくる筋肉痛の正体。
つまり刺激物質が発生後、痛みを感じる場所まで物質が運ばれるまでには時間差が。
そのため、筋肉痛は遅れて感じます。
歳をとると筋肉痛がどんどん遅れるようになる
この話にははっきりとした根拠はないとのこと。
年齢の問題よりもむしろ普段の運動量の方がポイント。
そこで、運動不足気味の小太りディレクターと日体大卒の新人ADが実験。
東京タワーの階段を上ってその筋肉痛の発生具合に差が出るかを確かめます。
階段は上るよりも下る方が筋肉に負荷がかかるので筋肉痛になりやすいという先生からの助言。
上り切った後にすぐに下りて検証終了。
結果は、新人ADが翌日筋肉痛。
一方、ディレクターは、翌日は筋肉痛なし、しかし、2日後には歩くのもしんどい筋肉痛に。
運動不足の人は毛細血管が白血球などを運ぶ機能が低く、刺激物質の発生が遅いという説があるそう。
筋肉痛についてはまだ解明されていない事がほとんどなので「そういう説がある」という事で終了。
結論
というわけで、
「なんで筋肉痛は次の日になるの?」は、
「1日かけて移動した物質が痛みを感じさせるから」
でした。
解説してくれたのは
早稲田大学スポーツ科学学術院の川上泰雄教授
川上 泰雄 (カワカミ ヤスオ)
所属
スポーツ科学学術院 スポーツ科学部
職名
教授
ホームページ
http://www.f.waseda.jp/ykawa/indexj.htm
プロフィール
バイオメカニクスや運動生理学の視点から身体運動の仕組みに迫るための研究を進めています。
学歴
1990年04月 – 1991年03月 東京大学 教育学研究科博士後期課程 体育学
1988年04月 – 1990年03月 東京大学 教育学研究科修士課程 体育学
1985年04月 – 1988年03月 東京大学 教育学部 体育学健康教育学科(体育学コース)
1983年04月 – 1985年03月 東京大学 理科II類
学位
東京大学 教育学修士
東京大学 博士(教育学)
2021年04月 – 継続中 早稲田大学 理事
2020年09月 – 継続中 早稲田大学 総合研究機構 機構長
2005年 – 継続中 早稲田大学 教授
2003年 – 2005年 早稲田大学 助教授
1999年 – 2003年 東京大学 助教授
1991年 – 1999年 東京大学 助手
(大学HPより)
早稲田大学(わせだだいがく、英語: Waseda University)は、東京都新宿区戸塚町一丁目104番地(新宿区西早稲田一丁目6番1号)に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は早大(そうだい)。
大学全体
大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり
大隈重信が明治十四年の政変による下野後に設立した東京専門学校を前身とする四年制の大学である[1]。1920年(大正9年)に日本の私立大学では慶應義塾大学などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。2019年時点で、10の学術院のもと13学部・25研究科(大学院)を設置している[2]。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。
大隈重信が明治の代表的な政治家の一人であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから政治経済学部を看板学部とし、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの人材を輩出しているのをはじめとして、出版、新聞、文学などの分野でも多くの卒業生が活躍している。英国の教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された[3]。
早稲田大学は、東京専門学校時代から、文部省「特別認可学校規則」や専門学校令の特例適用、大学令による私立大学として最初期の認可などを受けてきた。政治学、法律学、文学、商学、理工学、教育学、芸術、スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきた学校であり、上述の慶大と共に「私学の雄」と並び称され、私立大学の最高峰に位置付けられることが多い[4]。
同窓会は稲門会(とうもんかい)と称され、 早稲田大学校友会に登録している「登録稲門会」に限っても1300を超える団体が存在し、国内有数の学閥となっている。
建学の精神
1913年(大正2年)当時の総長大隈重信は、前身となる東京専門学校の創立30周年記念祝典において、早稲田大学教旨を宣言した。
「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を基本理念としている。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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