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なんで運動会で赤組と白組に分かれるの?→平氏が赤、源氏が白だったから

今回は、2022年1月2日金 チコちゃんに叱られる!「新春拡大版スペシャル!鎌倉殿の13人が見たい!」の番組内容を紹介。


なんで運動会で赤組と白組に分かれるの?





なんで運動会で赤組と白組に分かれるの?


本日の最後の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、運動神経抜群のステキな大人ってだーれ?」


岡村さんの指名で、中川さんが回答者に。


チコちゃん「なんで運動会で赤組と白組に分かれるの?」


中川さん「戦に関係している。」


そこで、ゲスト3人が出演する「鎌倉殿の13人」に関係しているのでは?という推理。


佐藤浩市さんが「そういう事か!」


といったところで、チコちゃんがVTRへ。


岡村さん「チコちゃん、逃げた!」


VTRではティモンディ高岸さんが登場。


同じ質問をぶつけてみると、


高岸さん「赤血球と白血球で血が沸くように盛り上がろう。」といったわけのわからない解答。


出張用チコちゃんに叱れていました。



チコちゃんの答えは、「平氏が赤、源氏が白だったから。」



平氏が赤、源氏が白だったから


運動会の赤組白組のチーム分けや、紅白歌合戦、その他スポーツの紅白戦



これらは、すべて平安時代末期の源氏と平氏という二大勢力がその元祖となっています。


平安時代の終わり頃には力を持つ武士たちが勢力争いを繰り広げて各地で戦が。





その中で中心となっていたのが平清盛に代表される西側の平氏と源頼朝に代表される東側の源氏。





当時の戦いには暗黙のルールが存在。


「名乗り合っての一騎打ち」





そもそも一騎打ちという言葉自体もこの暗黙のルールが発祥。


集団同士の戦いとなる戦においても、一騎打ちがそこかしこで行われている状態。





一騎打ちをする事で正々堂々とした姿勢を見せ、誰が誰の首を討ったのか分かりやすい。


そのうち合戦が大規模化・全国化していくうちにこの合戦ルールは次第に変化。


勝利のためには奇襲や集団戦法などが取り入れられるようになりました。





ここで一つ問題が。


敵味方入り乱れて戦うようになると敵味方の見分けがつかない。


そこで、敵味方の判別の為に平氏は赤旗、源氏は白旗を掲げて戦うという新たなルールが。





源平の戦いを描いた平治物語には赤旗、白旗の描写が。





合戦の図を描いたものにも赤旗と白旗で描き分け。


このようにそれぞれがイメージカラーの旗を掲げる事で敵味方の判別。


このようにして、同士討ちを防いでいました。



平氏=赤、源氏=白となった理由については諸説あるそう。


赤は太陽のカラーで天照大神を祖先としている天皇家の流れをアピールしたかった平氏が赤を選んだという説





白は神の清らかさの象徴で源氏の八幡神への信仰を表しているという説など。





さらに時代が経ると旗には家紋も一緒に描かれるようになります。





自分の所属や軍の威厳を示すという役割も。


そして源平の戦いから数十年が経つと源平盛衰記や平家物語などの数多くの歴史物語が書かれました。


江戸時代に流行した歌舞伎でも源平を描いた演目は人気を博していたりと大衆文化として定着しました。




あの土方歳三も紅白に分かれて剣術の試合をした記録も。





ちなみに、土方歳三は紅組でした。



さらに明治時代になると運動競技の教則本にも。





源平チームに分かれたり、赤旗白旗を使うといったルールが記載。


こうして平氏の赤、源氏の白という相対する二色がチーム分けに使われる文化が日本では脈々と残存しています。




結論


というわけで、


「なんで運動会で赤組と白組に分かれるの?」は、


「平氏が赤、源氏が白だったから」


でした。



解説してくれたのは


東京大学の本郷和人教授


本郷 和人[1](ほんごう かずと[2]、1960年10月12日[3] – )は、日本中世史[4]を専門とする日本の歴史学者である。学位は博士(文学)[5]。東京大学史料編纂所教授[6]。東京都生まれ[7]。

石井進と五味文彦に師事し、日本中世政治史においては当為(建前、理想論)ではなく実情を把握すべきとし、清水三男の評価を通じて日本中世の「統治」のあり様に言及する著作を発表している。従来の権門体制論を批判し、二つの王権論に立つ。師の五味文彦と同様に書評も多く、中世や近世を扱った様々なドラマ、アニメ、漫画の時代考証にも携わる。妻の本郷恵子は東京大学史料編纂所教授。日本中世史を専攻している。

学歴
1973年 千代田区立麹町小学校卒業
1976年 武蔵中学校卒業
1979年 武蔵高等学校卒業
1983年 東京大学文学部卒業
1988年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学[8]
1996年 『中世朝廷訴訟の研究』で博士(文学)(東京大学)
職歴
1988年 東京大学史料編纂所助手[8]『大日本史料』第5編の編纂にあたる。
東京大学史料編纂所助教授
2005年 東京大学大学院情報学環助教授[8]
2007年 東京大学大学院情報学環准教授
2008年 東京大学史料編纂所准教授[8]
2012年 東京大学史料編纂所教授
(Wikipediaより)



東京大学


東京大学(とうきょうだいがく、英語: The University of Tokyo)は、東京都文京区本郷七丁目3番1号に本部を置く日本の国立大学である。1877年に設置された。大学の略称は東大(とうだい)。

東京大学全体
東京大学は欧米諸国の諸制度に倣った[1]、日本国内で初の近代的な大学として設立された[2]。

憲章
東京大学には、特に創立時に明文化された建学の精神はない。しかし、国立大学法人化に伴い、現在は「東京大学憲章」[3]が定められている。東京大学憲章は、大学としての使命を公に明らかにすることと、目指すべき道を明らかにすることを目的として学内有識者会議によって制定されたものである。学部教育の基礎としてリベラル・アーツ教育(教養教育)を重視することを謳っている。

教育および研究の概略

駒場Iキャンパス正門

本郷キャンパス正門

柏キャンパス
教育研究とキャンパス
東京大学は、主な3つのキャンパスごとに教育内容・研究内容を異にする。教育内容の面では、主に教養課程を実施する駒場キャンパス、専門教育を行う本郷キャンパス、主に大学院課程の教育を行う柏キャンパスに分けられる。また研究内容の面では、学際的な研究を行う駒場キャンパス、伝統的な学問領域の研究を行う本郷キャンパス、新しい学問領域の研究を行う柏キャンパスに分けられる。こうしたキャンパス分立体制は、学部ごとにキャンパスを分立することの多い他の大学と比べると珍しい形態である。さらに、現在でも学部入学時の教養課程を分化して設置していることも、日本国内の大学では珍しい存在となっている[注釈 1]。

リベラル・アーツ教育
上述した通り、リベラル・アーツ教育を重視しているのが東京大学の教育の大きな特徴である。教養学部前期課程において教養教育科目が開講されており、その実施には東京大学の全ての学部・研究科・研究所が参加している[4]。主に担当する教養学部では、各大学が1件ずつしか応募できない[5]特色ある大学教育支援プログラムに「教養教育と大学院先端研究との創造的連携の推進」で応募したことが、大学として教養教育を重視していることの現れであるとしている[6]。

教養教育内容の詳細については「東京大学大学院総合文化研究科・教養学部#前期課程教育」を参照
受賞
2021年12月時点、東京大学が公式に認めたノーベル賞受賞者は13名[7][8]、東京大学に関連する受賞者は18名(英語版)で、そのうち12名が学位を授与されている(学士の学位を授与した卒業生は8名、博士の学位を授与した者は7名)[9][10][11]。

大学評価
大学評価の世界的指標の一つである、クアクアレリ・シモンズによる「QS世界大学ランキング 2022」における総合評点の世界順位は、22位の香港大学に0.1ポイント差の、同点23位であった(国内大学中は第1位)。評価指標別では、Academic Reputation(学術関係者からの世評)で満点を達成した世界の8校のうちの一つであり、アジアでは唯一である。Employer Reputation(雇用者からの世評)では世界第10位等を獲得した(なお、国際化に関する留学生比率と外国人教員比率のスコアは依然として低い)[12][13]。

また、タイムズ・ハイアー・エデュケーションによる『THE世界大学ランキング 2021-2022』(2021年度)では世界順位は同点35位、アジア第5位である[14]。

タイムズ・ハイヤー・エデュケーションがベネッセと連携して日本の大学の評価を発表している『THE世界大学ランキング日本版2021』では、4位の京都大学に追い上げられながらも総合第3位であった[15][16]。

分野別ランキングはU.S. Newsにおいて、以下の通りであった[17]。

物理学:7位
化学:26位
生物学:34位
数学:38位
材料工学:56位
薬学:66位
生物工学:69位
医学:85位
情報学:94位
農学:116位
化学工学:130位
経済学:240位
電気工学:241位
(Wikipediaより)




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