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おかきとせんべいの違いってなに?→おかきはもち米 せんべいは普通のお米

今回は、2022年6月3日金 チコちゃんに叱られる!「▽五円玉の謎▽子どもはなぜ走る▽おかきとせんべい 初回放送日: 2022年6月3日」の番組内容を紹介。



おかきとせんべいの違いってなに?





おかきとせんべいの違いってなに?


本日の最後の問題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お菓子好きのグルメな大人ってだーれ?」


本日は先発していない岡村さんが回答者に。


おかきとせんべいの写真。


チコちゃん「おかきとせんべいの違いってなに?」


岡村さん「おかきは大量生産が可能、おせんべいは、大量には作れない。職人が手作業でつくる。」といった趣旨の回答。


正解に至らず、られちゃいました。



チコちゃんの答えは、「おかきはもち米 せんべいは普通のお米」



おかきはもち米 せんべいは普通のお米


解説してくれたのは、東洋大学非常勤講師の青木直己先生。


お菓子工場を見学。


おかきの材料はもち米。


そして作る工程は、


1.もち米を蒸してお餅を作る





2.お餅を丸くして機械でつく




3.お餅を冷やし切り分けて乾燥




4.機械で綺麗に並べる





5.温度を変えながら焼く





6.味付けして乾かす




一方、せんべいの材料は白ご飯としてのお米であるうるち米。


1.うるち米を粉にして蒸す





2.お米を細長い塊にする。





3.黒豆をまぜてせんべいの形に抜く





4.記事を乾かして寝かせる


5.機械できれいに並べる




6.温度を変えながら焼き上げる


7.味付けして乾かす。





このようにおかきはもち米が、そしてせんべいはうるち米が原料




米菓子の文化には日本の稲作文化が強く影響。


縄文・弥生時代に発展した稲作では大切な食料を神様にお供えするという文化もありました。


お供えされた後のお米も捨てずに食べようと火を通したり、粉にして固めて食べたりと様々な工夫が。


米菓子のバリエーションは多岐にわたります。





おかき


この習慣が米菓子が生まれるきっかけ。


もち米を材料とするおかきの起源は神様に捧げられたお正月の鏡餅。


保存食として長く食べられるようにしたのがその誕生のルーツ。


硬くなった鏡餅を小さく割る、欠く(かく)ので「かきもち」


これを丁寧に言うと「おかき」に。



あられ


もち米を材料としてより小さなサイズになったものはあられ。


空から降る霰(あられ)に見立てて小さな玉状のもの。



揚げ餅(あげもち)


油で揚げて作るおかきは揚げ餅。


実はその起源は不明。


餅を揚げるから揚げ餅のよう。



せんべい






うるち米で作られるせんべいの起源は中国。


小麦を固めて油で焼いたお菓子がその起源。


その後日本に伝わると小麦粉ではなくお米が使われるようになり、現在のせんべいの原型に。


せんべいという名前の由来は埼玉県草加市に住んでいた「おせんさん」が団子を平たくして焼いたのが始まりという説もあります。




せんべいは作り方の違いによって焼きせんべいと揚げせんべいの2つに大別。


焼きせんべいは、


草加型:江戸時代生まれで醤油味が基本で硬めの食感


新潟型:1960年頃に生まれた白くて軽い食感


ぬれせんべい:千葉県銚子発祥とされて甘じょっぱい醤油ダレでしっとり軟らか食感



青木先生おすすめの米菓子3選


賞味期限58秒ぬれせん誕生の店






かた焼き






小麦粉のせんべいでじっくり水分を飛ばして焼いているので硬い



黄金のあられ


金箔が巻いてある亀の形のあられ





おかきとせんべいの呼び方の違いについて


西日本(特に関西地方)では、小麦粉で作ったものは、せんべい。


米で作ったものをおかき、かきもちと呼ぶ場合もあるとのこと。



また、米菓子が細かく分かれており、もち米や雑穀米が材料に含まれるせんべいも普通に販売されている状況です。





結論


というわけで、


「おかきとせんべいの違いってなに?」は、


「おかきはもち米 せんべいは普通のお米」


でした。



解説してくれたのは


東洋大学の青木直己先生。

青木直己[アオキナオミ]
1954年生まれ。立正大学院博士後期課程満期退学。国分寺市史編纂室・立正大学文学部助手を経て、1989年株式会社虎屋に入社、虎屋文庫研究主幹として和菓子の歴史と文化に関する調査・研究、前近代と近現代のアーカイブズ管理、展示や社史編纂などに従事、2013年同社を研究主幹にて選択停年退職。現在は学習院大学、東洋大学などで非常勤講師をつとめるほか、NHK時代劇ドラマなどの食文化考証を担当
(HPより)



東洋大学

東洋大学(とうようだいがく、英語: Toyo University)は、東京都文京区白山5-28-20に本部を置く日本の私立大学である。1928年に設置された。大学の略称は東洋(とうよう)であるが、一部では洋大(ようだい)も使用されている。

大学全体

創立者 井上円了
東洋大学は、1887年に井上円了により創設された「哲学館」が前身となった大学である。

建学の理念
建学の精神

麟祥院(哲学館発祥の地)
建学の精神として「諸学の基礎は哲学にあり」「独立自活」「知徳兼全」[1][注 2] を掲げている。

建学の精神の変遷について
1896年(明治29年)に「護国愛理」を学是とし[2][3][4][5]、1927年(昭和2年)建学の精神であると確認されたが[6]、1970年代以降は入試案内などで用いられなくなった。

1957年(昭和32年)の入学案内から「諸学の基礎は哲学にあり」が建学の精神として用いられるようになっている[7][注 3][注 4][8][9]。

哲学館の三恩人

勝海舟

加藤弘之
「哲学館」の設立と発展を支援した勝海舟、加藤弘之、寺田福寿の三人を「哲学館の三恩人」としている。

とくに創立期の台風による校舎倒壊、資金難などの存亡の危機に立ち、支援の手を差し伸べた勝海舟を、井上円了は「精神上の師」と仰いだ[10]。

夜間学部の充実
「哲学館」は、「余資なく優暇なき者」(資産や時間に余裕がない人々)に、「哲学を学べる場を」という趣旨で設立された。

そのため東洋大学は、日本の大学で唯一、都心キャンパスに設置した全ての主要学部に夜間学部を設置しており、さらに他大学が夜間学部を閉鎖する中、21世紀に入っても新規設置を続けており、教育格差の是正に貢献している。

教育および研究
都心から郊外へ移転した日本の大学としては日本初の全面的な都心回帰を実施、主要学部の教育および研究は都心で実施されている。さらに現在でも都心回帰を進めている。2020年3月には、板倉キャンパス(群馬県板倉町)の機能を東京都区部や埼玉県へ移す計画を発表した[11]。

哲学の普及を目的とする哲学館[注 5] を起源とし、1903年に専門学校令に基づく哲学館大学を設立(1906年に東洋大学と改称)、1928年に複数の哲学系学科を有する旧制大学へと発展した。戦後も哲学に関する学科が多く設置されていたが、インド哲学科と中国哲学文学科は2013年に東洋思想文化学科に再編された。サステイナビリティ学連携研究機構において共生哲学分野の研究を担うなど、哲学研究においては日本有数の実績を持っている。

「THE大学インパクトランキング2021」では、世界401-600位、国内17位にランクインした[12][13]。

2014年(平成26年)文部科学省から、世界レベルの教育研究を行うことを目的として重点支援される、スーパーグローバル大学[14] に選定された。

学風および特色
入試ガイドにアニメキャラクターであるムーミンを使用する、日本の大学が主催して行う児童・生徒・学生を対象とした各種イベントの先駆けとなった現代学生百人一首を開催する、毎年新入生に同内容のアンケートを行って継続発表をするなど、ほかの大学が実施していないことを先駆けて実施することが多い。

沿革
大学令による旧制大学昇格が遅れた理由については境野事件も参照。

略歴
1887年に井上円了により哲学館が創設された。その後、専門学校令による哲学館大学となり、井上引退後の1906年に東洋大学と改称した。1918年に大学令が公布されると東洋大学もいち早く昇格運動に取り組んだものの、資金不足と学校騒動に悩まされて大学昇格は大幅に遅れた。第二次世界大戦後は仏教団体や経済界からの支援を受けて拡張を続け、現在は4キャンパスに13学部18研究科を設置している。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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