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なんで九州のラーメンはとんこつなの?→杉野さんがいい人だったから

今回は、チコちゃんに叱られる! ▽とんこつラーメン秘話▽エイエイオー▽星に願いを 初回放送日: 2023年1月27日の番組内容を紹介。


なんで九州のラーメンはとんこつなの?





なんで九州のラーメンはとんこつなの?


本日の最初の話題。


まずは、ゲスト紹介。


ゲストは高杉真宙さんと丸山礼さん。


早速一問目に。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、ラーメン大好きなステキな大人ってだーれ?」


この問題は、高杉さんが回答者に。


ラーメンの話題。


チコちゃん「なんで九州のラーメンはとんこつなの?」


高杉さん「野生で豚が歩いていたんスかね?それを煮込んじゃった!そして屋台がすごい繫盛した。」


正解に至らず叱られちゃいました。



九州と言えば、博多のスーパースター、博多華丸・大吉さんにも聞いてみました。


こちらも正解に至らず、られちゃいました。






チコちゃんの答えは、「杉野さんがいい人だったから。」



正解を聞いた後、


華丸・大吉さん「明太子スタイルか、、」



杉野さんがいい人だったから


解説は立命館大学の鎌谷かおる准教授。


九州の博多ラーメン、鹿児島ラーメン、熊本ラーメンなど、そのほとんどがとんこつベース。




なぜ急はとんこつらーねんだらけ?


日本の一般家庭で広く豚肉を食べるようになったのは外国の食文化が入って来た明治時代以降。


しかし、一方で江戸時代の琉球や薩摩では豚肉の飼育が奨励されていました。


このように、琉球や薩摩は、古くからアジアの食文化の影響を強く受けてきました。


このように九州は豚と関係が深い土地で、現在でも日本有数の豚の産地となっています。



とんこつラーメンはいつ誕生?


昭和初期の一般的なラーメンは、鶏ガラのスープでした。


とんこつラーメンが誕生したのは昭和12年。


福岡久留米にある屋台・南京千両がその発祥と言われています。


店主だった宮本時男さん。


当時関東で流行っていた中華そばと地元九州の長崎ちゃんぽんをあわせてとんこつベースのラーメンを作ったのが始まり。





このように、長崎ちゃんぽんから発想してとんこつラーメンを作りました。


しかし、当時のとんこつラーメンは、スープが白く濁っていませんでした。


当時のとんこつスープは、茶色。


これが白いスープにとって変えた人が杉野勝見さん。


この人が白いとんこつラーメンの生みの親。


そこで、番組では息子さんにインタビューということで、AMEMIYAさんが北九州市のお店でレポート




白いとんこつラーメン誕生秘話





ラーメン屋台を営んでいた杉野さんはもともとは茶色いスープのとんこつラーメンを作っていました。



昭和22年、外出した杉野さんに代わってスープの見守り役を引き受けた杉野さんのお母さん。


まちがって強い火加減でスープを煮込んでしまったためにスープが白濁。


失敗作のスープを捨てるのは忍びないとラーメンを試作。


これが予想外に濃厚で美味しいという事でお客に出してみると、これがまた好評。


瞬く間に店の看板メニューに。


杉野さんは、店の専売特許にぜす、みんなに作り方の詳細を教えました。


というのも終戦直後の厳しい時代にあって屋台に働き口を求める人たちが大勢いました。


この白濁スープとんこつラーメンの詳しい作り方を教えまくりました。


お弟子さんも100人以上




こうして自然と弟子が増えることになりました。


そして、弟子が九州中にとんこつラーメンを広めます。


その結果、九州のラーメンと言えばとんこつになりました。



明太子は?


川原さんが作り方の特許を取らずに公開してため、からし明太子が広まりました。






結論


というわけで、


「なんで九州のラーメンはとんこつなの?」は、


「杉野さんがいい人だったから」


でした。



解説してくれたのは


立命館大学の鎌谷かおる准教授。


Kaoru KAMATANI
鎌谷 かおる
准教授
専門分野歴史学(日本史)
所属学会日本史研究会、社会経済史学会、
大阪歴史学会、地域漁業学会、
日本村落研究学会、環境社会学会、
交通史学会
研究者データベース
これまでの研究の概要
① 近世日本漁業史研究
江戸時代から明治期にかけての琵琶湖の漁業権や消費と流通、養魚技術についての研究
=生業という視角で日本社会の歴史を解明する

② 地域史研究
滋賀県高島市マキノ町知内をフィールドに、歴史学・民俗学・社会学の研究者とともに地域の生活文化を「地域に学び・地域で学び・地域と学ぶ」研究を展開
=地域の生活文化資料の総合的な研究(古文書調査・民俗調査)

③ 近世日本の農業生産力と気候変動の研究
古気候学の研究者との共同研究(文理融合型研究)
=過去の気候変動に日本社会がどのように対応していたのかを解明する(米などの農業生産問題を中心に)

食マネジメント学部における今後の研究の方向性
① 「食」に関する日本の歴史資料の調査(所在把握・整理作業・データ化)と研究

② 滋賀県の食文化研究
滋賀県の食に関するさまざまな資料(古文書・民具・日記)の調査や、聞き取り調査の実施

③ 人と食との関係史研究
日本各地の人と食との関わりの歴史を「魚」を通して総合的に分析する
日本の長い歴史における「食」の意味を考える

主な研究業績
日本近世における年貢上納と気候変動 -近世史研究における古気候データ活用の可能性をさぐる-, 日本史研究, 646号, 2016
日本近世における山野河海の生業と所有 -琵琶湖の漁業を事例に-, ヒストリア, 229号, 2011
暮らしと歴史のまなび方 -知内「村の日記」からの出発-, 「村の日記」研究会編, 2010
(大学HPより)



立命館大学


立命館大学(りつめいかんだいがく、英語: Ritsumeikan University)は、京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1に本部を置く日本の私立大学。1900年創立、1922年大学設置。大学の略称は立命、立命大、Rits(リッツ)。近畿地方では立大も使用される[注 1]。

立命館大学の位置(日本内)立命館大学
立命館大学
概説
大学全体
「立命館」の由来は、『孟子』盡心章句(じんしんしょうく)にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である)から採られた。

建学の精神
建学の精神は「自由と清新」である。教学理念は「平和と民主主義」である[1]。

立命館憲章
学問研究の自由に基づき、価値の創造と人類的諸課題の解明に力を入れる。建学の精神と教学理念に基づき、「未来を信じ、未来に生きる」の精神をもって、学力精進を保ったうえで、正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成に努める。この憲章の本旨を踏まえ、教育・研究機関として世界と日本の平和的・民主的・持続的発展に貢献する。[2]
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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