今回は、チコちゃんに叱られる! ▽味付けのり▽チューリップ▽トイレットペーパー 初回放送日: 2023年6月9日の番組内容を紹介。
味付け海苔に味が付いたきっかけって何?
味付け海苔に味が付いたきっかけって何?
本日の1つめ目の話題。
本日のゲストは、山本彩さんと、みやそんさん。
早速一問目に。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、朝は和食にこだわるステキな大人ってだーれ?」
この問題は山本さんが回答者に。
チコちゃん「味付け海苔って味がついてるわよね。味付けのりに、味が付いたきっかけってなに?」
山本さんは正解に至らず、叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「明治天皇のおみやげが普通の海苔ではつまらなかったから。」
明治天皇のおみやげが普通の海苔ではつまらなかったから
解説してくれたのは、老舗のり店、社長の山本貴大さん。
約150年前、東京にいた明治天皇。
京都御所に戻る際に東京土産として持ち帰ったものの一つが「味付け海苔」。
1868年に明治天皇は江戸を東京と呼ぶようになります。
自らが政治を行う場所と宣言しました。
京都に住んでいた明治天皇は東京へ。
3か月ほどの滞在期間を経て一度京都に帰る事に。
そこで明治天皇は「京都御所へ持ち帰る良い東京土産はないか?」と付き人の山岡鉄舟に。
明治天皇のお望みならばと山岡が頼ったのが旧知の仲だった山本海苔店の2代目山本徳治郎。
なぜ「海苔」をお土産に選んだのか?
資料が焼失してしまっているのでその詳細は不明。
しかし、海苔は江戸の名産品。
当時は良質の海苔が京都に出回りにくいといった事情からだったのではないかと考えられています。
そんな経緯から白羽の矢が立った海苔。
徳治郎は明治天皇の東京土産に選ばれたとなると日本中から注目を浴びるに違いないと考えました。
何か特別なものをと新商品を考案。
そこで、普通の海苔ではつまらない。
驚かれるような海苔をという発想から味付け海苔を発想。
当時から海苔に醤油をつけて食べるという食べ方は一般的に広く知られていました。
明治天皇にわざわざ醤油をつけさせるような手を煩わせるわけにはいかないというアイデアも。
そこで、味付け海苔という結論に至ったのではと考えられています。
実は味付け海苔誕生にはかなりの苦労があったよう。
というのも海苔の最終工程ではどうしても「焼く」という工程があります。
味タレを塗って焼くだけだとタレが焦げて苦い海苔になってしまいます。
そこでタレを塗るタイミングについてはかなりの試行錯誤を繰り返したとのこと。
当時のレシピではみりん、醤油、山椒、陳皮(みかんの皮を乾燥させたもの)、唐辛子などがタレに使われていたようです。
詳細なレシピは謎のまま。
この時に特別に作られた味付け海苔のおかげで山本海苔店は宮内庁御用達のお墨付きに。
しかし、この時の味付け海苔が一般販売された際にはかなりの高額になってしまいました。
そのため、庶民の口に入ることはほとんどなかったとのことです。
一枚一枚手作業で味付けをするという手間がかかってしまったためですね。
少数生産となったのが祟って一枚あたりの値段は米一升の値段(約1000円)を超えたとのこと。
それから時を経て、昭和初期に大阪の海苔屋が味付け海苔の大量生産を始めてすようになりました。
そこで、一般家庭でも味付け海苔が食べられるようになりました。
元祖は、東京でしたが、流行ったのは関西という結果に。
現在でも、関西エリアでは味付け海苔が好まれる傾向に。
そのため、同じスーパーでも関西と関東では、味付け海苔と焼きのりの販売場所にも差が。
販売比率でも、明らかな差が。
関西では、コンビニでも味付け海苔をつかったおにぎりがあるそうです。
結論
というわけで、
「味付け海苔に味が付いたきっかけって何?」は、
「明治天皇のおみやげが普通の海苔ではつまらなかったから」
でした。
解説してくれたのは
山本海苔店 代表取締役社長 山本 貴大さん。
Takahiro Yamamoto・1983年1月7日生、東京都出身。2005年慶應義塾大学法学部卒、同年東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)入行、2008年山本海苔店に入社、仕入部配属。翌年より丸梅商貿(上海)有限公司勤務、上海環球金融中心におむすび屋「Omusubi Maruume」出店に携わる。2011年帰国後Singapore髙島屋、三越台北駅前店出店など海外事業に従事。2016年専務取締役営業本部長、2017年専務取締役営業本部長兼管理本部長、2021年7月19日代表取締役社長就任
(HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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