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なんで「ハチ公」って呼ぶの? 新聞記者がハチの忠犬ぶりに感動して呼び捨てにできなかったから

今回はチコちゃんに叱られる! ▽ハチ公の謎▽ひきわり納豆とは▽マヨネーズって 初回放送日:2024年11月1日を紹介。


なんで「ハチ公」って呼ぶの?




なんで「ハチ公」って呼ぶの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、ワンちゃんが好きなステキな大人ってだーれ?」


チコちゃん「なんで「ハチ公」って呼ぶの?」



チコちゃんの答えは、「新聞記者がハチの忠犬ぶりに感動して呼び捨てにできなかったから」



新聞記者がハチの忠犬ぶりに感動して呼び捨てにできなかったから


ハチ公の「公」は身分の高い人や尊敬する人に対して付ける呼称。


武田信玄公、徳川家康公、織田信長公と同じ。




この使い方を犬のハチに対してもするようになったきっかけは1932年に発行された新聞記事。


というわけで、今回は、チコっとハチ公物語として紹介。





1923年11月に秋田県大館市に生まれた忠犬ハチ公ことハチ。


生後50日で、東京帝国大学(現在の東大)で教授をしていた上野英三郎博士に引き取られます。




上野先生の妻の八重子さんがハチと命名しました。


子犬の頃のハチは胃腸が弱かった。


上野先生は自分にベッドに寝かせて看病したりと熱心に世話をしていました。


子宝に恵まれなかった上野家にとっては我が子のような存在でした。


上野先生は日本の農業土木学の基礎を築いた人。


その技術指導のために全国を飛び回る忙しい日々を過ごしていました。


ハチはそのうち上野先生の送り迎えを日課にするように。


その際に送り迎えの舞台になったのが渋谷駅。





上野先生宅は渋谷駅から徒歩5分ほどの場所にありました。



ハチは朝夕の2回に送り迎えをするようになります。



ある日、上野先生は仕事中に突然倒れてそのまま帰らぬ人に。


一緒に暮らし始めてわずか1年4か月で別れとなりました。


上野先生が亡くなったことで、八重子夫人とハチは渋谷を離れて5kmほど離れた世田谷に移り住みます。


送り迎えの習慣は、上野先生の死後も続きました。


世田谷から渋谷駅まで何度も通ってひたすら上野先生の帰りを待ちました。


見かねた八重子夫人はハチが渋谷駅に通いやすいようにと渋谷に住む知人宅にハチを預けて見守ることに。


その後ハチは10年間に渡って渋谷駅に通い続けました。


ハチが渋谷駅に通い出して5年が過ぎた頃には、新聞記事にハチのエピソードが掲載。




その際に表記されたのが「ハチ公」。


これがハチ公と呼ばれた一番古い記録とのこと。


この記事がきっかけでハチ公の名前が全国に広まります。


このハチ公の呼び名は「記事を書いた新聞記者がハチの忠犬ぶりに感動してそう呼んだのでは?」とのこと。


記事の反響はかなり大きく、ハチを一目見ようと渋谷駅には多くの人が駆けつるようになります。


一躍人気者となりました。


このハチ公物語を後世に残そうと銅像建設の話が盛りあがります。


1934年、ハチが11歳になる頃に渋谷駅に銅像が完成。





銅像の除幕式にはハチ本人も参加しました。


当時の姿を記録した映像をカラー復元した写真。




結論


というわけで、


「なんで「ハチ公」って呼ぶの?」は、


「新聞記者がハチの忠犬ぶりに感動して呼び捨てにできなかったから」


でした。




解説してくれたのは


渋谷区郷土博物館の松井圭太学芸員




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
他の記事もよろしくね。


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