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なんで警察官やパイロットの帽子は上が出っ張ってるの? 天使の輪をのせたかったから

今回はチコちゃんに叱られる! ▽音楽と踊りの謎▽帽子の謎▽ベートーヴェンの謎 初回放送日:2024年12月6日を紹介。


なんで警察官やパイロットの帽子は上が出っ張ってるの?





なんで警察官やパイロットの帽子は上が出っ張ってるの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、帽子が似合うステキな大人ってだーれ?」


チコちゃん「なんで警察官やパイロットの帽子は上が出っ張ってるの?」


チコちゃんの答えは、「天使の輪をのせたかったから。」




天使の輪をのせたかったから


警察官、パイロット、自衛官、駅員などが被っているあの帽子は総じて官帽と呼ばれます。



ルーツとされているのがルネッサンス期のヨーロッパの聖職者(神父、牧師、司祭)が被っていた帽子。




当時のものは、ツバにあたる部分がなく、上部に大きなふくらみがありました。


あの上部の膨らみは天使の輪(=光輪)を表現しています。




古代から超自然的なものに対する尊さを表すシンボルとして神々と一緒に描かれていました。



宗教画に関してもキリスト・聖人・天使など聖なる存在の頭の上には光輪が描かれることに。




また、フランシスコ・ザビエルの背後にも光輪が描かれています。




この光輪は尊いもののシンボル。


そこで、聖職者たちが上に出っ張りがある帽子を被るようになり、流行しました。


さらに当時は宗教と学校は深いつながりがありました。


そのために学生が被る学帽としてヨーロッパ全域に徐々に広まっていきます。




現在でも海外の大学の卒業式で見られる大きな出っ張りが付いた角帽も、これがそのもとになっています。



そして19世紀に入るとナポレオン戦争が勃発。


現在のドイツあたりを支配していたプロイセン王国とフランス軍が激突。


その際にプロイセン王国では結成された義勇軍に学帽を被った学生たちも志願しました。




当時の戦場で被る軍帽は、二角帽やツバの付いたシャコー帽が一般的な時代。


学生たちが被っていた学帽の方が軽くて小さく、敵と見分けが付きやすいという理由で将校たちに重宝されました。



そこでプロイセン軍は新しい軍を結成したときに、学帽にツバを付けた帽子を自軍の軍帽に採用しました。


その後プロイセンと共に戦ったロシアやイギリスなどでも勝利の帽子として広まりました。


そして、世界中の軍隊で同じタイプの帽子がスタンダードになることに。



こうして世界中の軍隊で採用されたプロイセン式の軍帽を世界の警察や鉄道会社、航空会社がユニフォームを作る際に参考しました。


日本でも同様に採用されたので、日本でも出っ張りの付いた帽子が一般的になりました。




しかし、ナポレオン戦争で負けたフランスでは敵国だったプロイセンが生んだ官帽を導入せず。


フランス陸軍が正式な軍服を着る際にはケピ帽を被るのがルールになっているとのこと。




結論


というわけで、


「なんで警察官やパイロットの帽子は上が出っ張ってるの?」は、


「天使の輪をのせたかったから」


でした。




解説してくれたのは


服飾史研究家の辻元よしふみさん。


辻元 よしふみ(つじもと よしふみ、1967年(昭和42年) – )は、日本の服飾評論家、戦史・服飾史・軍装史研究家、翻訳家、ファッション・アドバイザー、ファッション・コラムニスト、詩人、エッセイストである。本名・辻元佳史。

2018年に導入の陸上自衛隊の制服(16式常装)改正にかかわり、山崎幸二・陸上幕僚長より陸上幕僚長感謝状を受けた。2019年から、陸上自衛隊需品学校の部外講師(軍装史学)。東京ベイカレッジ非常勤講師。防衛省職員・自衛官向けの専門紙「朝雲新聞」が「軍装史研究の第一人者」(2014年10月30日付)と評している。NHKなどのテレビ出演も多い。

経歴・人物
岐阜市生まれ。茨城県坂東市立岩井第二小学校、坂東市立岩井中学校、茨城県立下妻第一高等学校を経て早稲田大学卒。読売新聞社に入社。元日本現代詩人会理事。日本文藝家協会、国際服飾学会、服飾文化学会、軍事史学会会員。

1990年、村田正夫が主宰する潮流詩派に参加し詩人として活動開始。1996年以後は戦史・服飾史・軍装史研究家としての著作活動を始めた。近年は翻訳家としての活動も多い。服飾や軍服の歴史について、NHKや民放各局のテレビ番組に出演し解説。服飾史と軍事史に関する知識を駆使し、世界史的視点からの服装の変遷を考究し、ミリタリーウエアが今日の紳士服に与えている影響を独自の視点で説いている。単行本以外に中央公論新社の新書などで共同執筆しているほか、日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞、西日本新聞、日刊ゲンダイ、日刊スポーツ紙上に署名記事が見られ、河出書房新社、小学館、丸善、ワールドフォトプレス社、工作舎の刊行物などでも戦史と軍装史にかんする記事を書いている。近年は防衛省など省庁や企業の求めに応じて、服飾史や軍装史の研究に基づいたファッション・デザインの提案や企画の仕事を増やしている。

「スーパーロック詩人」というキャッチフレーズは三一書房の編集者が命名したという。「よしふみ」というひらがな表記は2004年ごろから。それ以前は本名の佳史だった。妻はイラストレーターの辻元玲子。義父(玲子の父)は文教大学元理事長で名誉教授の作曲家・田村徹。

元衆議院議員の辻元清美とは縁戚関係はないが、早大時代に「弟さんですか」とよく聞かれたという。

大学生時代には千葉県内の学習塾でアルバイトをしており、当時の一人称は「吾輩」。同時期にやはり早大に在学していたデーモン小暮閣下に口調が似ている、と生徒から言われたためだという。この塾の講師仲間に、後に靴職人となる柳町弘之がおり、ファッション関係の仕事を始めたときに再会してお互いに驚いた。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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