今回はチコちゃんに叱られる! ▽虫の鳴き声の謎▽クリームシチューの謎▽庭の謎 初回放送日:2025年10月24日を紹介。
なんで庭なんてものを人はつくるようになったの?

なんで庭なんてものを人はつくるようになったの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、自然が似合うステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「そもそもなんで庭なんてものを人はつくるようになったの?」
チコちゃんの答えは、「自然をコントロールしたかったから。」
自然をコントロールしたかったから
庭は人類の夢と願望から生まれた「楽園」
私たちはなぜ庭を造るのでしょうか?
秋の夜長に虫の音に耳を澄ませるように、庭は私たちに安らぎを与えてくれます。
その起源を辿ると、古代の人類の「安心したい」「自然をコントロールしたい」という切実な願いが見えてきます。
庭の始まり:自然への恐れと憧れ
古代の人類は、狩猟採集で生きていました。
広い自然の中での生活は、食料を得る喜びと、常に危険が隣り合わせでした。
農耕が始まっても、洪水による飢餓や猛獣の脅威は消えません。
そこで人間は、自分の住まいの近くに好きな花や果物を植えました。
小さなエリアを柵で囲い、自分たちがコントロールできる「小さな自然」を作り出したのです。
これが、庭造りのそもそものきっかけだとされています。
楽園の語源「ハンティングパーク」
人類初の文明を築いたシュメール人は、「ハンティングパーク」と呼ばれる一種の庭を持っていました。
紀元前4000年ごろ、王族によって作られたこの狩場は、自然豊かな土地を柵で囲ったものです。
エリア内に狩りの獲物を放し飼いにし、本来の危険な狩りよりも安全に行うことを可能にしました。
これは、自然を自分の思い通りにしたいという、人間の願望が強く表れた例です。
このハンティングパークは、古代ペルシア語で「パイリダエーザ」、つまり「囲まれた庭」と呼ばれていました。
この言葉こそが、私たちが知る「パラダイス(楽園)」の語源と考えられています。
果物や花が咲き乱れ、働かなくても食料が豊富な場所として描かれる「楽園」。
人々は、自由や権力の象徴として、その楽園を模した庭を造ったのかもしれません。
世界の庭文化:自然への向き合い方の違い
庭は世界各地で進化を遂げましたが、国によって自然の扱い方が大きく異なる点が興味深いです。
世界の代表的な庭園を見てみましょう。
イスラム世界の「オアシス」:タージ・マハル庭園(インド)
インドのタージ・マハルにある庭園は、イスラム様式です。
暑く乾燥した気候の中で、壁や塀で周囲を囲い、暑さや砂嵐から身を守るスタイルが広まりました。
水が貴重な資源であったため、水を多く使った人工的なオアシスのような庭造りが特徴です。
中央の噴水から四方に水路が伸びる「四分庭園(チャハルバーグ)」は、イスラム世界の楽園を表現しています。
この水路は、水・酒・ミルク・はちみつを表し、豊かさや永遠の幸福のシンボルとされました。
西洋の「支配と秩序」:ヴェルサイユ庭園(フランス)
フランスのヴェルサイユ庭園は、国王ルイ14世が絶対的な権力を示すために造った最高傑作です。
その広さは東京ドーム約170個分にも及びます。
この西洋の庭は、自然を支配したいという強い欲求が表れています。
植栽を四角形や三角形といった人工的な形に刈り込むのが特徴です。
これは、神がコンパスと定規で世界を形作ったという宗教観が根底にあります。
自然の成長を支配し、いかに完璧に従わせるか?これが西洋的な庭造りのメインテーマでした。
日本の「ありのままの美」:後楽園(岡山)
日本の「後楽園」に代表される日本庭園は、西洋とは真逆の思想が見られます。
大きな池を中心にした「回遊式庭園」で、歩きながら様々な景色を楽しめます。
ここでは、植物や石が自然にあるがままの姿を保っています。
これは、古来からの「八百万の神(全てのものに神が宿る)」という考え方がベースです。
手入れを最小限にし、自然の形を保つことが基本とされます。
鎌倉時代の「徒然草」にも、手を加えていない庭の草に趣があるという記述があります。
日本人は、古くからありのままの自然に美を見出してきたのです。
まとめ
時に権力の象徴として、時に心の安らぎの場として造られてきた庭。
その憧れは、時代とともに庶民の間にも広まり、現在では世界中で家に庭を造る文化として定着しています。
庭は、私たち人間が自然とどう向き合ってきたか、そして何を夢見てきたかを物語る、生きた歴史書なのかもしれませんね。
結論
というわけで、
「なんで庭なんてものを人はつくるようになったの?」は、
「自然をコントロールしたかったから」
でした。
解説してくれたのは
大阪大学の桑木野幸司教授。
桑木野 幸司(くわきの こうじ、1975年[1] ‐)は、日本の建築美学者、大阪大学栄誉教授[2]。日本学術振興会賞[1]、地中海学会ヘレンド賞、サントリー学芸賞等受賞。
人物・来歴
静岡県浜松市生まれ。1997年千葉大学工学部卒、1999年東京大学大学院工学系研究科建築史学科修士課程修了、2004-2006年ピサ大学大学院博士課程、Ph.D.を取得。2008年日本学術振興会賞受賞[1]。2011年大阪大学大学院文学研究科准教授。同年花王芸術・科学財団美術に関する研究奨励賞受賞。2012年日本学術振興会賞、地中海学会ヘレンド賞受賞。2019年「ルネサンス庭園の精神史」でサントリー学芸賞受賞。2020年大阪大学栄誉教授[2]。専門は西欧建築・庭園史、美術史、ルネサンス思想史[3]。
著書
L’architetto sapiente : giardino, teatro, citta come schemi mnemonici tra il XVI e il XVII secolo / L.S. Olschki, 2011. Giardini e paesaggio
『叡智の建築家 記憶のロクスとしての16-17世紀の庭園、劇場、都市』中央公論美術出版 2013
『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』講談社選書メチエ 2018
『ルネサンス庭園の精神史 権力と知と美のメディア空間』白水社 2019
『ルネサンス 情報革命の時代』ちくま新書 2022
(大学HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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