今回はチコちゃんに叱られる! ▽B級グルメの謎▽アロハシャツの謎▽ラジオの謎 初回放送日NHK総合テレビジョン12月12日(金)午後7:57を紹介。
なんでハワイといえばアロハシャツなの?

なんでハワイといえばアロハシャツなの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、ファッショナブルでステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでハワイといえばアロハシャツなの?」
チコちゃんの答えは、「日本人が和服を持ち込んだから。」
日本人が和服を持ち込んだから
なぜハワイといえばアロハシャツ? 意外! 日本の和服がルーツだった!
ハワイの象徴とも言えるカラフルなアロハシャツ。
その明るい柄を見ると、南国の太陽や海、そしてリゾート気分を連想しますよね。
しかし、アロハシャツの起源は、南国らしい土着の文化ではなかったのです。
なんと約130年前にハワイへ渡った日本人移民が持ち込んだ「和服」にあったのです。
始まりは日本の移民と「パラカ」シャツ
アロハシャツの歴史は、1800年代後半に遡ります。
当時、ハワイではサトウキビ産業が発展しており、農園の労働者不足を補うために、日本からも多くの人々がハワイに渡りました。
日本人労働者が作業着として着用していたのは、ヨーロッパの船員が着ていた「パラカ」という木綿地の長袖シャツでした。
パラカの特徴である青いチェック柄が、日本の絣(かすり)に風合いが似ていたため、日本人移民にも親しまれ、初めての洋服文化の入口となりました。
ボロボロの和服が子ども服に再生されるまで
当時の日本人移民の生活は決して裕福ではありませんでした。
作業服はボロボロになるまで着古され、普段着や子どもたちの服を買う余裕すらありませんでした。
そこで日系移民たちは、手元にある使い古した浴衣や羽織の裏地を再利用することを考えました。
彼らはパラカのシャツを参考に、この和服の生地を使って子ども用のシャツを自分たちで作り始めたのです。
これが、アロハシャツの最初の形でした。
最初の頃は、アロハシャツは大人向けのファッションではなく、子どもたちのための再生服だったのです。
高度な日本の染織技術がカラフルさの根源に
和服柄で作られたこのシャツは、現地の人々の目には珍しく、カッコいいものに映りました。
1900年代に入ると、日系移民は仕立て店や呉服店など、様々な職業に就くようになります。
これらの店では、日本から輸入された生地を使って、地元の人々向けにシャツが仕立てられるようになりました。
当時のハワイでは、様々な柄や色の生地を作る技術がまだ未発達でした。
アロハシャツがカラフルで派手になった背景には、日本の高度な染織技術がその根底にあったという、意外な裏話があります。
観光ブームと「和柄」に込めたアイデンティティ
1920年代後半、サンフランシスコとホノルル間の客船が就航すると、ハワイは観光地として人気が急上昇します。
お土産としてのアロハシャツの需要が急増し、トロピカル柄や中国風の柄なども登場しました。
しかし、その中でも和柄のアロハシャツは根強い人気を誇っていました。
特に、日本で縁起が良いとされる「一富士二鷹三茄子」
「エビと鯛」
「宝船」などのモチーフが多く用いられました。
これは、日系移民にとって、生まれ育った故郷の日本を感じさせる特別な意味を持っていたからです。
アロハシャツは、彼らのアイデンティティを示す重要なアイテムでもあったのです。
正装として定着した「アロハフライデー」
1950年代になるとアロハシャツ人気は最盛期を迎えます。
現地の産業としてこれをブームで終わらせないため、地元企業は「アロハフライデー」などのキャンペーンを展開しました。
これは、金曜日にアロハシャツを着て働くことを奨励するもので、地元の人たちにも愛されるアイテムとして定着するよう働きかけられました。
この努力の結果、今ではアロハシャツは単なるリゾート着ではなく、冠婚葬祭でも着用される「正装」として現地で認められる存在にまでなったのです。
アロハシャツの裏には、日本人移民の生活の知恵と、故郷への思いが込められた、深い歴史があったのですね。
結論
というわけで、
「なんでハワイといえばアロハシャツなの?」は、
「日本人が和服を持ち込んだから」
でした。
解説してくれたのは
アロハシャツ研究家の中野喜啓さん。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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