今回はチコちゃんに叱られる! ▽緊張と食欲▽チュロスの謎▽前方後円墳の不思議 初回放送日NHK総合テレビジョン9月18日(土)を紹介。
なんで前方後円墳はこの形(カギ穴みたいな)なの?
なんで前方後円墳はこの形(カギ穴みたいな)なの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、歴史に詳しいステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで前方後円墳はこの形(カギ穴みたいな)なの?」
チコちゃんの答えは、「お墓への通り道を作ったから。」
お墓への通り道を作ったから
【歴史のミステリー】前方後円墳があのカギ穴形になった理由は「通り道」だったから!?ヤマト王権の権力と江戸時代の意外な命名秘話
日本の歴史や社会の教科書で必ず目にする、あのカギ穴のような独特の形をした「前方後円墳」。
「どうしてわざわざ丸と四角を組み合わせた複雑な形にしたんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか?
デザイン性を重視したから?
古代の宇宙船や神様を象徴しているから?
先日の『チコちゃんに叱られる!』では、明治大学の若狭徹教授がその驚きの真相を解明してくれました!
なんと、あの四角い部分はもともと「お墓へ向かうためのただの通り道」だったのです。
今回は、古代ロマンあふれる前方後円墳の誕生秘話と、知ると誰かに話したくなる古墳雑学をたっぷりお届けします!
チコちゃんの答え:お墓への通り道を作ったから!
番組で明かされた答えは、とっても合理的で実用的なものでした。
「前方後円墳があの形になったのは、お墓への通り道(アプローチ)を作ったから!」
弥生時代、各地にクニが点在していました。
3世紀中頃から6世紀末にかけての「古墳時代」、ヤマト王権という連合政権が誕生し、各地の王や豪族たちは自らの巨大な権力をアピールするために大きなお墓(古墳)を造るようになりました。
古墳の構造は、周囲に大きな溝(堀)を掘り、中央に土を高く盛ってお墓を作ります。
この「円形(丸)になっている部分」こそが、王が眠るお墓の本体(後円部)です。
しかし、お墓の周りをぐるりと溝で完全に囲ってしまうと、いざ遺体を埋葬するときに中央のお墓本体まで渡ることができなくなってしまいますよね。
そこで、外側からお墓の中心部へ渡るための「橋のような土の通路」を残しました。
さらに、埋葬の際に大勢で儀式を行う「ステージ」としてその通路をどんどん大きく広げていった結果、あの四角い部分(前方部)が形成され、カギ穴のような形が完成したのです!
つまり、もともとはお墓へ行くための「実用的なアクセス通路」だったというわけですね。
前方後円墳はヤマト王権の「最高級ステータス」!
古墳にはさまざまな形や種類があり、当時の身分や格付けによって造れる形が決まっていました。
方墳(四角):比較的序列が低い一般的な豪族のお墓
円墳(丸):丸い形のお墓
前方後方墳:四角を2つ組み合わせた形
帆立貝形古墳:大きな丸に小さな四角がついた帆立貝のような形
前方後円墳:最も位が高い最高ランクのお墓
この中で「前方後円墳」を造ることが許されたのは、ヤマト王権の王、その親族、そして政権に大きく貢献した特別な豪族の首長のみでした。
いわば、ヤマト王権から「あなたは我が政権の最重要人物です」とお墨付きをもらった証であり、最高級のステータスシンボルだったのです。
実は「前」と「後ろ」は逆かもしれない!?江戸時代の命名秘話
「前方後円墳」という名前を聞くと、誰もが「四角い方が前で、丸い方が後ろ」と思いますよね。
ですが実は、古代の人々にとってどちらが前でどちらが後ろだったのかは、今でも解明されていません!
この「前方後円墳」という名称がつけられたのは、なんと江戸時代のこと。
古墳の調査を行っていた江戸時代の儒学者・蒲生君平(がもう くんぺい)が、地上から見た古墳の形を「貴族が乗る牛車(ぎゅうしゃ)」に似ていると感じ、「前が牛を引き繋ぐ部分(四角)、後ろが車輪や部屋(丸)」と見立てて「前方後円墳」と名付けたのが始まりなのです。
江戸時代の人物の見立てが、そのまま現代の教科書に載っていると思うと、なんだかワクワクしてきますよね。
【知ると楽しい】知っておきたい3つの「日本こふん雑学」
番組の最後には、若狭先生による面白い古墳トピックも紹介されました!
1. 世界最大の墳墓!大仙陵古墳
大阪府堺市にある「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」は、全長約500mを誇り、エジプトのクフ王ピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ「世界三大墳墓」の一つです。
2. 現代の技術で造るとお値段「約796億円」!?
もし大仙陵古墳を現代の工事技術(1990年頃の試算)で造るとしたら、建築費はなんと約796億円!1日2,000人の作業員が働いても、完成までに15年8か月もかかるという超一大ビッグプロジェクトになります。
3. 全国16万基の古墳、誰のお墓かほぼ分からない!
日本全国には約16万基もの古墳が存在しますが、実は「誰のお墓か」が明確に特定されているものはほとんどありません。
当時はお墓に名前を刻むという習慣がなかったため、多くの古墳が今もミステリーに包まれています。
まとめ:古代の儀式と歴史のロマンに思いを馳せて
教科書でおなじみの「前方後円墳」。
その独特な形には、大切な王を送り出すための壮大な埋葬儀式と、参列するための「思いやりの通路」という素敵なストーリーが秘められていました。
歴史の謎やロマンがぎっしり詰まった古墳。近くを通りかかったり、上空からの写真を見たりしたときは、ぜひ古代の人々が繰り広げたドラマに思いを馳せてみてくださいね!
結論
というわけで、
「なんで前方後円墳はこの形(カギ穴みたいな)なの?」は、
「お墓への通り道を作ったから」
でした。
解説してくれたのは
明治大学の若狭徹教授。
職格 教授
学位 博士(史学)
最終学歴 明治大学文学部史学地理学科 考古学専攻
研究業績等 https://gyoseki1.meiji.jp/html/100000368_ja.html
専攻分野(研究分野) 日本考古学(主に古墳時代)、文化財学
研究テーマ
古墳時代の遺跡群を総合的に研究し、古代社会の実像を明らかにする。
東国古墳の研究を基盤として、日本の古墳時代社会システムを解明する。
遺跡の保存活用、文化財を生かした地域づくりの方法について研究し、実践する。
主な担当講義
考古学概論Ⅱ、古墳時代の考古学、基礎演習、演習Ⅰ、卒業論文
講義概要をさらに詳しく見る(Oh-o!Meiji System)
「シラバスで授業を調べる」をクリックし、「授業情報」画面から教員名で検索してください。
受験生・学生へのメッセージ
考古学は、遺跡や遺物を扱う懐古趣味的な学問と捉えられがちです。しかし、古代人の暮らぶりや当時の社会のシステム、災害の痕跡などから我々が学ぶことは多く、人類の未来に対して提言できる可能性をもった、奥行きのある学問だといえるでしょう。また、遺跡を考古学的に調査し、それを保存活用することで地域社会に夢を与え、心豊かなまちづくりに貢献できる醍醐味もあります。皆さんも私たちと共に考古学を楽しみ、古代人の知恵に触れ、現代社会とのかかわりを一緒に探ってみませんか?
主な著書・論文
(単著)『馬と人の古代史』(角川選書)KADOKAWA、2026年
(単著)『埴輪—古代の証言者たち—』(角川ソフィア文庫)KADOKAWA、2022年
(単著)『埴輪は語る』(ちくま新書)筑摩書房、2021年
(単著)『古墳時代東国の地域経営』吉川弘文館、2021年
(単著)『前方後円墳と東国社会』(古代の東国1)吉川弘文館、2017年
(単著)『東国から読み解く古墳時代』(歴史文化ライブラリー394)吉川弘文館、2015年
(単著)『ビジュアル版 古墳時代ガイドブック』新泉社、2013年
(単著)『もっと知りたいはにわの世界』(アートビギナーズコレクションプラス)東京美術、2009年
(単著)『古墳時代の水利社会研究』学生社、2007年
(単著)『古墳時代の地域社会復元—三ツ寺Ⅰ遺跡』(遺跡を学ぶ003)新泉社、2004年
(共著)『初めて学ぶ考古学(改訂版)』有斐閣、2023年
(共編著)『継体大王と地方豪族ー古墳から探る六世紀の日本ー』吉川弘文館、2025年
(共編著)『古墳時代毛野の実像』(別冊季刊考古学)雄山閣、2011年
(大学HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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