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なんで年末のことを年の瀬っていうの?→年末は借金清算の攻防のときで、無事乗り越えるのが難しいから

今回は、2018年12月14日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。


なんで年末のことを「年の瀬」っていうの?





確かに年末は年の瀬っていうよね。


「瀬」って、さんずいだから、水の流れのこと?


わかんないや。。





なんで年末のことを「年の瀬」っていうの?


チコちゃん「慌ただしい年末でもあくせくしてないステキな大人ってだーれ?」


岡村さん「杏樹さんで!」


チコちゃん「年末の押し迫った時期の事を何という?」


鈴木さん「師走。」


チコちゃん「そうそう、12月ね、でももっと年末は?」


鈴木さん「年の瀬?」


そこでチコちゃんからの質問。


チコちゃん「なんで年末のことを年の瀬っていうの?」


鈴木さん「年の瀬戸際だから。」


チコちゃん「瀬ってなに?漢字にさんずいがついているよね。」


鈴木さん「川か!」


チコちゃん「おっ!川の?どうしてそれが年末と関係あるの?」


鈴木さん「あっ、川の流れのように。ほら!美空ひばりさんも歌ってはった。おだやかに。」


チコちゃん「川の流れのように~。」


岡村さん「あれホンマはB面やったって噂やからね。」


チコちゃん「ボーッと生きてんじゃ~ね~よ~。」(川の流れに乗ってのフレーズで叱られちゃいました。)


チコちゃんの答えは、


「借金清算の攻防のとき」


鈴木さん「全然、水関係ないし。」



年末は借金清算の攻防のときで、無事乗り越えるのが難しいから


解説してくれたのは、江戸東京博物館の学芸員、眞下祥さん。


年の瀬という言葉が使われ出したのは江戸時代初期の元禄年間(1688年 – 1704年)。


記録が残っているそう。


「瀬」という言葉の意味は川の瀬の意味。





川の流れが速くて急で渡るのが難しい所を指す言葉。


これから転じて年の瀬は一年のうちで一番越える事が難しい時期という意味で年末の事を指すように。





なぜ江戸時代の人にとって年末は越える事が難しい時期だった?


大晦日が一年間の借金の総決算の日。


江戸時代、町人や武士たちはツケで買い物をするのが一般的。





商品を買う時にその場ではお金を支払わず、盆や大晦日という大きな節目にまとめて支払うシステム。





大晦日は一年の締めくくりで、この日までに溜まっているツケを支払う必要があります。





中には支払うお金が足りないという事情を抱える人も。


ツケを払えない者に、取り立てる者。


大晦日は借金清算を巡る攻防が繰り広げられる決戦の日。



神田松之丞さん登壇


場面はスタジオに。


チコちゃん「この返す返さないの攻防はいかなるものだったのか?これより一席申し上げたいと思います。」



出囃子に乗って移動式の高段が運ばれます。


チコちゃん「神田松之丞さん!生で登場いただきました!」





神田松之丞さん「こんな感じで講談を聞くのは嫌かなと思うんですけどね、安心してください。僕も厳しい現場です。」


当時の暗黙のルールは「大晦日を過ぎたら借金取りが取り立てに来ない」。


つまり、大晦日一日を逃げ切れることが出来ればお金の心配がなくなります。


という事で、ずっと寝込んでいるフリをする仮病作戦や、トイレに籠ったり、落語だと一日中葬式を出すという奇作に打って出た者もいるとか。


中には出刃包丁を片手に武力行使に出る輩まで登場。


それでも取り立てる方も必死。


5、6人の材木屋の男衆で大きな丸太を使って家ごとぶっ壊してしまえという荒業も。


神田松之丞「家、壊されちまうじゃねーか!ちくしょう!持ってけこの野郎!」


こんな感じの攻防が繰り広げられていたとか。


神田松之丞さんの一席は終了。


チコちゃん「ありがとうございまーす。」


ちなみに大晦日を越すと借金がチャラになるという事ではなく、次のお盆まで支払い期限がとりあえず延期されるという意味。


ナレーション「ご利用は計画的に。」



結論


というわけで、


「なんで年末のことを「年の瀬」っていうの?」は、


「年末は借金清算の攻防のときで、無事乗り越えるのが難しいから」


でした。


眞下さん「今年の年の瀬の過ごし方は?」


チコちゃん「討ち入り。毎年これという人間を見つけては討ち入るのでございます。」


チコちゃん「番組初、ライブで神田松之丞さんによる講談をお送りしました。」


チコちゃん「末廣亭なんか出てごらんなさい。新宿の。大行列が伸びて明治通り渡って、靖国通り渡って、最後尾が吉本の本社の前なんだっていうじゃない!」


と神田さんの人気を説明して終了。



解説してくれたのは


江戸東京博物館の学芸員、眞下祥さん


江戸東京博物館


東京都江戸東京博物館(とうきょうとえどとうきょうはくぶつかん)は、東京都墨田区横網にある東京都立の博物館。指定管理者制度により、公益財団法人東京都歴史文化財団が運営する。

JR両国駅から徒歩3分、国技館の隣に位置する。分館として、小金井市の小金井公園内に江戸東京たてもの園がある。失われていく江戸、東京の歴史と文化に関わる資料を収集、保存、展示することを目的に、「江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館」として平成5年(1993年)3月28日に開館した。

建物の設計は菊竹清訓で、地上7階、地下1階の鉄骨造構造。地上部分の高さは約62mで、江戸城の天守閣とほぼ同じである。隣接する国技館との調和を考え、高床式のユニークな構造の建物になっているが、東京下町の景観を損ねているとの批判もある[2]。

1階に企画展示室、3階(屋外)に「江戸東京ひろば」、5階と6階に常設展示室があり、常設展示のほか、年に4、5回の企画展示や催し物などが開催されている。吹き抜け構造の5・6階に設けられた常設展示室は江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれる。江戸ゾーンには絵図、浮世絵などの資料や、日本橋(縮尺1/1)や中村座(縮尺1/1)の模型、長屋の大型模型、可動模型、持上げ可能な千両箱などの展示物が設置されており、庶民の日常生活、火消し、食生活、文化など、城下町としての江戸に関する展示が行われている。東京ゾーンでは明治維新、文明開化、関東大震災、東京大空襲などの展示がある。定期的に『江戸東京博物館NEWS』を発行している。


江戸時代城下町のジオラマ
図書室(7階)、映像ホール(1階)や映像ライブラリー(7階)などの学習施設なども設置されている。

これまでの特別展では、江戸や東京の文化をテーマとした企画展を中心としながらも、考古学から手塚治虫(2009年)や水木しげる(2004年)などの漫画家、フランスやロシアなど海外の美術品に関する展示まで、幅広く行っている。

現在の館長は藤森照信。

改修工事に伴い、2017年10月1日から2018年3月31日まで全館休館となった(特別展示室・貸出施設は2019年3月まで休館となる)[3]。
(Wikipediaより)




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