サイトアイコン チコちゃんに叱られる!

なぜさいころの1だけ赤い?→わかりません。1が赤いのは日本だけ、昭和20年代(1945年以降)に変更

今回は、2019年1月11日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。


なぜさいころの1だけ赤い?




確かに、サイコロって、一の目だけ赤いですよね。


日の丸って聞いたことがあるけど、ちがうのかな?





なぜさいころの1だけ赤い?


本日の4問目。


チコちゃん「ねぇねぇ、岡村。この中で一番、勝負事に強そうなかっこいい大人ってだーれ?」


岡村さん「俺行かせてください! 今日はちょっとチコりかけてたし。」


塚原アナが岡村さんに、サイコロを手渡します。


一般の方から寄せられた質問。


チコちゃん「どんな質問だと思う?」


岡村さん「なんでさいこの目の1だけ赤いんですか?」


チコちゃん「すごい!全然ボケずに本当に言っちゃった。」


SHELLYさん「恥ずかしい!」


岡村さん「これ、怒られるやつや。」


チコちゃん「そう、なんでさいころの1だけ赤なの?」


岡村さん「日本が発祥かな?」


チコちゃん「違う。」


岡村さん「違う?」


岡村さん「なんで赤くしたのかねぇ。」


チコちゃん「分からない? 分からないね?」


岡村さん「いや。分かるよ。チコちゃん。」


チコちゃん「ズバリ!どうぞ!」


岡村さん「お正月!」


チコちゃん「あー面白い。ボーっと生きてんじゃねーよ!」


と、チコちゃんは、涙を流して笑いながら叱ってました。


チコちゃん「笑顔バージョンの「ボーっと生きてんじゃねーよ!」」です。



わかりません


銀座のサイコロのような形のビルで街頭インタビュー。


このビルは「中銀カプセルタワービル」。


さいころの1だけが赤い謎を探るため、スタッフは今回、総移動距離1973kmという大調査。





広辞苑で調べてもさいころの色についての記述は無し。





そこでネットでググるという「現代テレビマンの基本行動」という楽をする番組スタッフ。


そこには「1926年、和歌山県のある製造業者が、日の丸に見立てて1の目を赤く塗った」という情報が。



和歌山の製造業者を取材


一か八か、和歌山県の製造業者を取材。


和歌山城の目の前をスルー。


さいころ製造において国内ナンバーワンシェアを誇る会社へ。


こちらの会社ではおよそ40年前にさいころの目の色を塗り分ける世界初の機械を開発。





という事はさいころの1の目が赤い理由はこちらの会社発祥か?


社員の松山弘樹さんに話を伺うと、


松山さん「あ~、その話ですか。ウチの会社じゃないんですよね。都市伝説だと思いますね。」


松山さん「京都に200年前からさいころを取り扱うお店があるので、そちらかも。。」


和歌山から京都へ移動


京都でサイコロステーキ屋さんの前を華麗にスルー。


1800年創業の伝統玩具屋。


そこで戦前の麻雀用さいころを見せてもらいます。


戦前(昭和初期)は、まださいころの1が黒い事が判明。





そして、昭和20年代(1945年以降)に入ると1の目が赤く変更。





さいころの1の目が赤くなったのは戦後との事。





でも、1の目が赤い理由は未だに不明。


またしてもさいころだけに振り出しに。



再び楽してネットで調べる


「振れ!振れ!サイコロ展」なるものを発見。





これはある研究者が2017年に開いたもの。


世界中から30年かけて集めたさいころの展示会。


その研究者が恐らく日本で一番さいころに詳しいだろうと目星。


その研究者は、大阪商業大学の高橋浩徳先生。


以前、トランプの絵柄について解説いただいた先生です。


1だけが赤いさいころは日本だけのものという高橋先生。





日本で発見された最古のさいころを見てみると、それは奈良時代700年~750年頃のもの。





1の目は黒。


スタッフ「なぜ、さいころの1の目だけ赤くなったんですか?」


高橋先生「それはですね、、、まだ分からないんですよ。」



遊びに関する資料自体が非常に少ない。


特にさいころは賭博に使われる事が多かった道具で、余計に作り方の資料が残っていないとの事。







結論


というわけで、


「なぜさいころの1だけ赤い?」は、


「わかりません」


でした。


30年かけて調べているという高橋先生でもこれは謎のままだそう。



高橋先生「振り出しに戻ってやり直したい事は何?」


チコちゃん「2歳前後の頃のうどんの掴み方かな。」



岡村さんに対して「分からない?」と聞いていたチコちゃん。


大竹さん「あれは振りだったのか。」



(注)さいころの1だけ赤い理由については、「日の丸をイメージして赤くした」とも言われていますが、その根拠を示す文献は存在していないそう。




解説してくれたのは


解説してくれたのは、大阪商業大学の高橋浩徳先生。


高橋浩徳先生


ホームページアドレス


生年 1960年
主な研究領域(専門分野) テーブルゲーム全般、ゲーム史(電子ゲームを含む)、伝承遊戯
共同研究等が可能な研究領域 ゲームに関連する研究

学歴 茨城大学人文学部社会科学科卒業

学位 社会科学士

主な職歴 合同酒精株式会社

研究業績 【著書】
『ザ・ゲームカタログ』(共)白夜書房
『ザ・ゲームカタログ’90』(編集協力)光栄
『ベスト・ゲームズ』(編集協力)ソラリス
『たほいや』(編集協力)扶桑社

【論文】
「投扇興の歴史と現状」『GAMBLING&GAMING』第4号
「資料からみる江戸時代の『投扇興』『拳』」『人形玩具研究ーかたち・あそびー』Vol.15
「『投扇興』あるいは『投げ扇』と呼ばれる遊びについて」『遊戯史研究』第17号
「下の句かるた(板かるた)について」『大阪商業大学アミューズメント産業研究所紀要』第8号
「貝合せと貝覆い」『大阪商業大学アミューズメント産業研究所紀要』第9号

【学会】
IR*ゲーミング学会
遊戯史学会
日本人形玩具学会
儀礼文化学会
日本デジタルゲーム学会
International Playing-Card Society
社会活動 ゲームの会「ボードウォーク・コミュニティー」
趣味 落語、歌舞伎、ウクレレ、旅行
(大学HPより)



大阪商業大学


大阪商業大学(おおさかしょうぎょうだいがく、英語: Osaka University of Commerce)は、大阪府東大阪市御厨栄町4-1-10に本部を置く日本の私立大学である。
1949年に設置された。
大学の略称は大商大、商大、大商。
設置者は学校法人谷岡学園。
なお、校名が類似する公立の旧制大阪商科大学(英称:Osaka University of Commerce、新制大阪市立大学の前身の一つ)とは無関係である。

大阪城東商業学校(1928年設置)が1947年9月に交野女子専門学校を統合。城東専門学校を経て、1949年に大阪城東大学として設置された。
1952年に大阪商業大学と改称。
(Wikipediaより)





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