今回は、2018年5月4日放送「チコちゃんに叱られる!」の4回目の放送の1つ目のお話。
「こんにゃくの黒いつぶつぶってな~に?」だよ!
そういえば、確かにこんにゃくには黒いつぶつぶがあるね!
何なんだろう?
考えたこともなかったよ!
こんにゃくの黒いつぶつぶってな~に?
こんにゃくは、こんにゃくの原料となるこんにゃく芋からできるんだね。
でも、こんにゃく芋には「シュウ酸カルシウム」という毒が含まれているため、そのままでは食べられないんだ。
こんにゃくが生まれた歴史とは
平安時代の辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に、こんにゃくに関する記述があるよ。
「皮ごとすりおろしてアクで煮て固めて食べる」と記されているんだ。
だから、当時のこんにゃくは黒い色で、こんにゃくの皮のつぶつぶが入っていたんだね。
なるほど、もともとのこんにゃくの黒いつぶつぶは、こんにゃくの皮だったんだね。
ちなみに、こんにゃく芋は傷みやすいため秋から春の寒い時期にだけ食べられるごちそうだったんだ。
旬の食べ物ということで珍重されていたんだね。
なんとか、一年中、食べられるようにならないかなぁ。
こんにゃくの神様と言われる中島藤右衛門
こんにゃくの神様と言われる中島藤右衛門さんが、こんにゃくを乾燥させて粉にして、保存できるようにしたんだ。
これによって、一年中こんにゃくが作れるようになったんだよ。
中島藤右衛門(1745年~1825年)
1745-1825 江戸時代中期-後期の殖産家。
延享2年12月7日生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)久慈郡諸沢の農民。
くさりやすいコンニャクの生いもを輪切りにして乾燥、水車で粉にして、安永5年長期保存と軽量化に成功、水戸藩の特産物とした。
文政8年4月8日死去。
81歳。
名は貞詮。
(コトバンクより)
茨城県の蒟蒻(こんにゃく)神社は、中島藤右衛門を祀っているよ!
蒟蒻神社
この神社は、蒟蒻加工方法を開発して近世の蒟蒻の流通を大きく変え、現在の蒟蒻業界の始祖となった中島藤右衛門翁(1747~1828)を祀っています。
蒟蒻玉は寒さに弱く傷みやすいため長距離の移動や貯蔵が困難で、年間を通しての需要に応じ難いものがありました。藤右衛門はこれを憂い、何とかして貯蔵に耐える方法を苦心していたところ、たまたま鍬で切られた薄片が天日にさらされて乾燥したものを発見、これを石臼で挽き粉にして水に戻し食用にする方法を発案しました。試行錯誤のうえ、精粉とすることで濃縮(生玉の10分の1の重量)し貯蔵、運搬も簡易になり販路を広め、ついには水戸藩の特産品として藩の財政を支えるに至りました。以降二百有余年、蒟蒻の栽培、消費は広く全国に普及し多くの人々が藤右衛門の恩恵に浴しています。
(蒟蒻神社HPより)
乾燥させたこんにゃく芋からできたこんにゃくは、白かった
でも、乾燥させたこんにゃく芋の粉から作られたこんにゃくの色は真っ白になっちゃうんだ。
乾燥させて粉にする工程で、比重の軽い皮が飛ばされて皮がのぞかれてしまうんだね。
一年中食べられる白こんにゃくが発明されて、世の中に広まるかと思ったんだけど、やはり昔ながらの黒こんにゃくが選ばれるので白こんにゃくはそんなに売れなかったんだ。
そこでひじきなどの海藻類を入れて黒いつぶつぶを作り、黒こんにゃくに似せたんだね。
というわけで、答えは「ひじき」でした。
解説してくれたのは
日本こんにゃく協会事務局長
原田郁夫さん。
日本こんにゃく協会ホームページ
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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