今回は、2018年5月4日放送、「チコちゃんに叱られる!」の4回目の放送の6つ目のお話。
「どうして北海道だけ道っていうの?」だよ!
どうして北海道だけ道っていうの?
「さっき正解されて悔しいから、もう一度パーマ!」ということで、滝藤さんが指名されたよ!
チコちゃんの疑問は、どうして北海道だけ「道」っていうの?
ええっ、考えたこともなかったよ!
滝藤さんも、「道がとても多いとか・・・」といって、わかっていないようでした。
どうしてなんだろう?
北海道の歴史について、
北海道の歴史が専門の谷本晃久教授の解説だよ!
道とは広い範囲を表す言葉でもあるとのこと。
日本では奈良時代から道という言葉で地域を分けており、それが五畿七道と呼ばれていたんだ。
五畿
七道
五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。
畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた。
1869年(明治2年)、北海道 (令制)が新設されてからは五畿八道と呼ばれる(道 (行政区画)#令制後)。
1871年(明治4年)の廃藩置県以降も、五畿八道は廃止されておらず、令制国も併用されていたが、1885年(明治18年)以降はすたれ、現在は、五畿八道としての地方区分はあまり用いられなくなっている。
しかし、現在の日本各地の地方名の多く(東海、東山、北陸、山陽、山陰、北海道など)は、五畿八道に由来している。
また、東海道新幹線や山陽新幹線、北陸自動車道などの交通網や、今後想定される東海地震や南海地震、また地震発生帯の南海トラフなどの名称にもその名残が見られる。
(Wikipediaより)
このように京都を中心とする5つの国を五畿。それ以外の地域を東海道や東山道、山陽道など7つの道に分けていたんだ。
その道という単位の下に国があるという行政区分で政治を行っていたんだね。
この分け方は明治時代の初めまで続いていたんだよ。
でも、ここに北海道は含まれていなかったんだ。
というのも北海道は当時は蝦夷の地。
日本から見て異民族が住む、外国の地と見られていたんだね。
江戸時代に北海道の南端にあった松前藩までが日本の領地で、そこから先はアイヌの人々が住む場所、日本の領域とは考えていなかったんだ。
ロシアの進出
しかし、ロシアの進出をきっかけに北の国境を定めることに。
18世紀以降シベリアまで勢力を拡大したロシア帝国。
さらに南下してその勢いは蝦夷地にまで及び始めたんだ。
そこで、明治政府は日本的な地名を付けることで日本の領土と主張することにしたんだね。
そして五畿七道に続く8番目の道として北海道と名付けられたんだ。
他の道は都府県に分けられたのに北海道だけ道が残った?
実は明治時代に北海道を3つの県(函館県、札幌県、根室県)に分けたんだ。
しかし、北海道は本当に“でっかいどう”。
北海道の大きさは、17都府県がすっぽり入るサイズ。
土地は広いんだけど当時の人口は少なかったんだ。
例えば明治15年ごろの人口は、函館県14万人、札幌県6万人、根室県1万人。
人口が少ないのに役人の数は同じということで大変なコストの無駄が発生したんだ。
3つの県では効率が悪いと言うことで1つにまとめるて今に至っているんだ。
この北海道の名付け親は
伊勢の国、三重県生まれの探検家の松浦武四郎(1818~1888)。
四男坊だったので気楽で旅好き。
28歳から13年間で6回の蝦夷地探検、150冊以上の膨大な記録を残しているそう。
アイヌ文化に溶け込んで記した直筆の挿絵もあり、そこには貴重な文化や暮らしが描かれているんだよ。
そして極め付きが13年間の探検の集大成である詳細な蝦夷地の地図「東西蝦夷山川地理取調図」。
川の流れや地形、土地の高低差まで細かく描写されており、9800にもおよぶアイヌ語の地名も収録されていたんだ。
その評判は蝦夷地を知る第一人者として明治政府にも知られ、新たな地名の案を考えるよう要請を受けたんだよ。
候補は
千島道(ちしまどう)、
海北道(かいほくどう)、
東北道(とうほくどう)、
北加伊道(ほっかいどう)、
海島道(かいとうどう)、
日高見道(ひたかみどう)の6つ。
中でも松浦は、北加伊道(ほっかいどう)には特別な思いがあったんだ。
加伊(かい)とは「この国(土地)に生まれたもの」という意味があると、ある長老から話を聞いていたから。
「日本の北にあるアイヌ民族のみなさんが暮らしてきた大地」という思いを込めたとのこと。
最終的に字は海に変更されたものの「ほっかいどう」の地名が採用されたんだね。
というわけで、『北海道だけ「道」なのは、でっかいどうだから』でした。
解説してくれたのは
北海道の歴史が専門の谷本晃久教授谷本晃久教授
プロフィール
所属部署名 文学研究科 歴史地域文化学専攻 日本史学講座 アイヌ・先住民研究センター
職名 教授
学位 修士(史学)(学習院大学)
1970年、札幌生まれ。札幌の下町・鉄西地区から新興住宅地と開拓農家の混在した下野幌を経て、長崎市中川(旧中川郷)で彦山を眺めながら義務教育をおえる。その後北海道に戻り、旭川の郊外・緑が丘から高校に通い、札幌で1年すごしたのち上京。東京では台東区三ノ輪の長屋に12年居住。21世紀からは北海道に帰り、江別市上江別を経て、現在はまた札幌市北区に在住。2014年に書いた『近藤重蔵と近藤富蔵』(山川日本史リブレット人058)の主人公のひとり近藤重蔵守重は、江戸時代後期の長崎と蝦夷地ならびに江戸殿中で活躍した人物で、自身の来し方を振り返る機会にもなったのでした。
(北海道大学HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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