今回は、2019年2月8日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。
もみあげは、なぜ「もみあげ」という?
そういえば、なんで、もみあげっていうんだろう?
由来は、分からないなぁ。
もみあげは、なぜ「もみあげ」という?
本日の3問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村。この中で、髪の毛に気を遣っている美意識高い系のステキな大人ってだーれ?」
ということで、和田さんが回答者に。
チコちゃんは耳の横(前)に生えている毛の名前を聞きます。
和田さん「チャリ毛?」
岡村さん「浪速のいかつい言葉で言わんといてください!」
和田さん「もみあげ」
そこで、チコちゃんからの質問「「もみあげ」はなぜ「もみあげ」という?」
和田さん「髪を結う時にもみあげだけ伸びなくて上げきれないから。」
チコちゃん「そうなると「もみ」は?」
和田さん「もみは、、、、もみもみ?」
というわけで、こらえられずに叱られちゃいました。
理容院でインタビューするも正解はなし。
チコちゃんの答えは、「耳脇毛がなまって「もみあげ」」
そうだったんだ。
耳脇毛がなまって”もみあげ”
解説してくれたのは、ポーラ文化研究所のシニア研究員の村田孝子さん。
もみあげという呼び名は江戸時代1700年頃に生まれた呼び名。
それ以前は耳脇毛(みみわきげ)と呼ばれていたそう。
江戸時代後期の語源書「言元梯(げんげんてい)」
毛美阿氣(もみあけ)という表記があり、説明文に耳脇毛という説明が記載されているそう。
耳脇毛→もみあげに至るには大きなきっかけとは?
大きなきっかけになったのは、結髪(けっぱつ)。
江戸時代の日本では遊女たちを中心に髪を結ぶスタイルが流行。
それまでの日本女性は垂髪(すいはつ)という髪の毛をまっすぐ降ろした髪型が主流。
垂髪で長い髪を降ろすと耳脇毛は当然外に見えません。
しかし、結髪では髪を高く上げるので耳脇毛が見えるように。
これを見た江戸っ子たちは、女性の隠された部分が露わになった事で色めきたったと考えられているそう。
日常会話の話題に上る機会が多くなったことで、
みみわきげ → みみわげ → もみわげ → もみあげと変化。
江戸時代の書物「ひとりね」には男性が女性のもみあげの美しさを感じるという描写があります。
ヒゲともみあげの境目は?
もみあげとヒゲの境目は理容業界ではしっかりと定義されているそう。
全国理容生活衛生同業組合連合会の中央講師である稲葉孝博さんに木村祐一さんの写真を例に解説。
頬骨の上辺のラインがもみあげとヒゲの境界とのこと。
すっきりとヒゲを剃った木村祐一さんのCG処理された写真。
ナレーション「何だか急に若返ったみたいですね。」
チコちゃん「若いわよ。これ~。」
ちなみに英語でもみあげは「Sideburn」
これは実在した人物が由来。
それが、アンブローズ・E・バーンサイド (Ambrose E Burnside)
岡村さん「もうむっちゃくちゃやん。怖いぐらいあるやん。」
ナレーション「確かにサイドがバーンとしていらっしゃいます。」
結論
というわけで、
「もみあげは、なぜ「もみあげ」という?」は、
「耳脇毛がなまって”もみあげ”」
でした。
(注)もみあげの由来については江戸時代に男性の間で流行したロウなどをもみこんで上げた髪型が語源とする説など諸説ります。
解説してくれたのは
ポーラ文化研究所のシニア研究員 村田孝子さん
ポーラ文化研究所
ポーラ文化研究所では1976年の設立以来、「化粧・女性・美意識」をキーワードに東西の化粧史およびその周辺分野、各時代の風俗や美人観などを含めた化粧にまつわる幅広い研究活動を行ってまいりました。その成果は出版物や調査レポート、展覧会などのかたちで広く社会へと情報発信を行っています。
こうした活動で得た資料としての価値が高い化粧道具や装身具は約6,500点、文献資料は15,000冊を数えます。
また「ポーラ化粧文化情報センター」では、これらの資料の紹介や閲覧、検索とそれに関連する情報サービスを提供しています。
(研究所HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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