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別れる時にさようならと言うのはなぜ?→これまではこうだったんだから、そうであるならばこの後は…ねという意味が込められているから

今回は、2019年3月8日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。


別れる時に「さようなら」と言うのはなぜ?





小さいときから使っていますので、不思議に思わなかったですね。


Good byや、See you laterとは、意味が違いますし。


どういう意味なんだろう?






別れる時に「さようなら」と言うのはなぜ?


本日の一問目。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お別れの時にしっかり挨拶が出来る礼儀正しい大人ってだーれ?」


ということで、岡村さんに指名されて大竹さんが回答者に。


チコちゃん「人と別れるときになんて言う?」


大竹さん「さようなら」


チコちゃん「なんで別れる時に「さようなら」っ言うの?」


大竹「なんだと! お前の歳ぐらいから俺は言ってたんだよ。」


岡村さん「もしかしたら、文章的に分けるかもしれませんよ?」


チコちゃん「おぉ!」


大竹「奈良(なら)から、さようなら。」


チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


と正解に至らず、叱られちゃいました。


幼稚園で取材するも、正解なし。


チコちゃんの答えは、


「これまではこうだったんだから、そうであるならばこの後は、、、ね」


という意味が込められているから。


岡村さん「もう一回言って? 何か誤魔化されてない?」



「これまではこうだったんだから、そうであるならばこの後は…ね」という意味が込められているから


解説してくれたのは、鎌倉女子大学の竹内整一教授。


日本語の別れ言葉の「さようなら」は、世界的に見て非常に珍しい使われ方。


世界の別れ言葉は大きく分けて3つ。





「Good bye」は「God be with you (神があなたとともに)」の短縮形。


これは、神に相手の無事を願う別れ言葉。


「See you later(また会いましょう)」は再会を願う別れ言葉。


「Farewell (うまくやっていってください)」は相手の健康を気遣う別れ言葉。


その他の言語についても見てみると、下記の通り。





しかし、日本語の「さようなら」はこのどれにも属さないとのこと。



さようならは、接続詩に由来


「さようなら」は、元々は「さようであるならば」という意味の接続詩。


「さらば」「さようならば」という接続詞が語源。


平安時代初期の書物である竹取物語の中には下記の記述。





「さらば、いかがはせむ」=そういうことであるならば、しかたありません


これは、前の文章を受け、次につなげるための普通の接続詞。


平安時代中期の源氏物語には、下記の記載。





「さらば 今日こそは限りなめれ」=そういうことであるならば、今日でお別れです


このように、別れのシーンで多く使われていた接続詞。


やがて「さらば」「さらようならば」に「別れ」のイメージが定着。


いつしか、後に続く別れの文章が省略されて「さようなら」という単体で分かれの言葉に変化したとのこと。


日本人にとって、別れは一旦立ち止まって確認してから、次の事に進む節目と考えていたとのこと。





すなわち、「別れまでの今まではこうだったから、そうであるならば(さようなら)、この先は、、、しよう。」という意味。



さようならは使う場面によって様々な意味がある






さまざまな「さようなら」の例を提示。



1.校長先生の「さようなら」


下校時に校長先生が、生徒にむかって「さようなら」といっている映像。





竹内教授「この場合には、今日も一緒に楽しく過ごせましたね。そうであるならば、明日もまた元気で来るんだよ。っていう感じでしょうか。」



2.熟年離婚の「さようなら」


リビングで寝転ぶ夫に離婚届を叩きつける映像。





竹内教授「この時のさようならは、嫌々何とかやって来たけれども、アナタは全く変わろうとしなかった。そうであるならば、明日からはそれぞれに人生を楽しんでいきましょう。という感じでしょうか。」



3.ホステスの「さようなら」


常連客を笑顔で見送るホステスの映像。





竹内教授「この時のさようならは、今日もいっぱいお金を使ってくれてありがとう。そうであるならば、またいっぱい稼いで遊びに来てくださいね。という意味でしょうか。」



なぜ、本来は接続詞であった言葉が別れの言葉になった?


竹内教授「それは日本の忖度文化という事だと思います。」


日本人はハッキリと言葉にせず、状況を察し合う事を良しとする傾向。


これまでを確認して、さようであるならば、この先もきっと大丈夫という祈りが込められているとのこと。



結論


というわけで、


「別れる時に「さようなら」と言うのはなぜ?」は、


「「これまではこうだったんだから、そうであるならばこの後は…ね」という意味が込められているから」


でした。



解説してくれたのは


鎌倉女子大学の竹内整一教授。



竹内整一教授


長野県出身。日本人の精神の歴史をたどりなおしながら、それが現在に生きる日本人に、どのようにつながっているのかを探究している。NHK高校講座「倫理」講師、「サイエンス・ゼロ」コメンテーター、「日めくり万葉集」選者などを務める。日本倫理学会会長(第31期・第32期)。日本哲学系諸学会連合(JFPS)代表。日本学術会議哲学委員会「いのちと心を考える分科会」部会長。経歴によると、専修大学の教授を務めたのちに東京大学大学院・文学部へ移ったことになっているが、専修大学から完全に離れたわけではなく、専修大学および専修大学大学院の兼任講師(非常勤講師)をしながら東京大学大学院・文学部へ移っている。このことは鎌倉女子大学へ移ってからも、2017年度まで続いていた。

略歴
1971年 3月  東京大学文学部倫理学科卒業
1975年 9月  東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻博士課程中途退学
1975年10月  東京大学文学部倫理学科助手
1980年 4月  専修大学文学部人文学科助教授
1986年 4月  専修大学文学部人文学科教授
1998年 4月  東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授
2010年 4月  鎌倉女子大学教育学部教授、東京大学客員教授
2010年 6月  東京大学名誉教授
2011年 4月-2015年 3月  日本倫理学会会長
(Wikipediaより)



鎌倉女子大学


鎌倉女子大学(かまくらじょしだいがく、英語: Kamakura Women’s University)は、神奈川県鎌倉市大船六丁目1番3号に本部を置く日本の私立大学である。1959年に設置された。 創設者は松本生太。学校法人鎌倉女子大学が経営

1933年に松本生太が横浜市神奈川区に設立した京浜女子家政理学専門学校を母体とする。

1945年に鎌倉市岩瀬にキャンパスを移転した後、1959年に京浜女子大学を設立した。

1989年に校名を現在の鎌倉女子大学に変更し、1999年に鎌倉市大船にあった松竹大船撮影所跡地を取得し、2003年から大学院、大学、短期大学部の大船キャンパスとして使用されている。

なお、岩瀬キャンパスには併設校の鎌倉女子大学中等部・高等部(女子校)、鎌倉女子大学初等部(共学)、鎌倉女子大学幼稚部(共学)が置かれている。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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