今回は、2019年5月3日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。
働き方改革のコーナー「なぜ讃岐うどんは香川名物になった?」
確かに、香川といえば、うどん県ですね。
そのきっかけは何だったんだろう?
なぜ讃岐うどんは香川名物になった?
本日の5問目
休憩中の雑談から始まる働き方改革のコーナー。
チコちゃんは香川県に行きたいとのこと。
自然も多いしこの時期の香川は最高といった話題から。
チコちゃん「香川の名物って何か知ってるでしょ?」
岡村さん「アッ、うどんやね。」
チコちゃん「なぜ讃岐うどんは香川名物になったか知ってる?」
岡村さん「誰かが言うたんちゃう?「ここの香川のうどんがやっぱ一番うまいよねぇ。」ってタモさんぐらいが言ったんじゃないの?」
チコちゃん「じゃあもうタモさんの責任という事で。」
香川=讃岐うどんというイメージのきっかけ
きっかけになったのが「香川屋」の店主である香川政義さん。
1960年代に香川県内でよく食べられていたうどん。
まだ全国区になる前のこと。
讃岐うどんの特徴はコシの強さ。
このコシを生むのが足踏み製法。
香川政義さんは当時40年以上続く老舗のうどん店を経営。
足踏みによってうどんを打っていました。
しかし1964年にある大事件が勃発。
県外の観光客から食べ物を足で踏むのはいかがなものか?という苦情が。
うどん業界には衝撃!
足踏み製法について不衛生なイメージを勝手に持たれてしまいました。
香川県は、そのため、足踏み禁止を決定。
これにうどん店は猛反発。
そこで、香川さんは、足踏みをしない、うどんを機械で作る製麺工場を設立。
しかし、香川県は反対運動に対応する形で、お客さんを相手に営業する個人の店舗では足踏みをOK。
製麺業者に対しては足踏みをNGとする決定。
そうなると個人の店舗は今まで通りの足踏みで作ります。
機械化した香川さんが作ったうどんは全く売れない。
倒産寸前まで追い込まれます。
しかし、思いがけないチャンスが訪れます。
1970年にアジア初の万博である大阪万博
大阪万博で、うどんをお寿司と一緒に売りたいというオファー。
1970年にアジア初の万博である大阪万博。
世界的な高度成長期ということもあって世界中から77か国が参加。
各国の最新技術を発表する場。
そんな熱気あふれる大阪会場の会場内。
1食100円でうどんを販売。
多い時には、1日、1万食近いうどんが大阪の会場内で売れたとのこと。
最終的に約160万食のうどんが売れたそう。
そのお客さんの口コミでその評判が大きく広がり、知名度が一気に全国区に。
大阪万博以降の3年間で讃岐うどんの出荷額が2.5倍増で35億円の増加。
そして香川県にうどん目的で訪れる観光客も増加。
そして1990年代には冷凍うどんの販売。
2000年代にはセルフ式うどん店が東京進出するなど空前の讃岐うどんブーム。
倒産寸前だった会社は見事にV字回復。
結論
というわけで、
「働き方改革のコーナー「なぜ讃岐うどんは香川名物になった?」」は、
「大ピンチだった香川さんが大阪万博で売りまくったから」
でした。
補足
香川さんの会社は今では年商8億5千万円とのこと。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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