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なぜジンギスカンは北海道名物?→おまけに鍋を付けたから。開発したタレを売るために鍋を貸し出し、札幌・滝川から一気に普及!

今回は、2019年7月12日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。


なぜジンギスカンは北海道名物?





たしかに、北海道といえば、ジンギスカン。


やっぱり羊毛業が盛んだったから?





なぜジンギスカンは北海道名物?


本日の1問目。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番北海道に詳しいステキな大人ってだーれ?」


岡村さん「出身やもんな?」


松本さん「いや。出身ではないです!。出身は東京です。ドラマはやりましたけど。」


ここで、主演したNHKドラマ「永遠のニシパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎」の番組宣伝。


2019年7月15日(月・祝) 夜7時30分からNHK総合で放送予定。


岡村さん「ばっちり番宣したね。」


松本さん「いや。ここしかないかな~と思って。」


チコちゃん「ところで、北海道の名物って知ってる?」


松本さん「ビール、ジンギスカン、お寿司、バターサンド、じゃがいも。」


ちこちゃん「2発目ででちゃってる。なんでジンギスカンは北海道名物なの?」


松本さん「いっぱいいたんだよね。羊がね。ものすごいいたんですよ。」


チコちゃん「ものすごいあっさり。沢山いたからっていう答えでいい?全国に流れても大丈夫?」


というわけで、考え直し。


松本さん「アイヌの先住民の人たちが食べていたのが羊だったのでその文化を広めようとした。」


チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


と叱られちゃいました。


街頭インタビューでも、正解なし。


チコちゃんの答えは、「おまけに鍋を付けたから。」


松潤「ウソでしょ?」



おまけに鍋を付けたから


北海道に羊が増えた理由は1918年の第一次世界大戦中。


軍の防寒着を作るために、国が綿羊の100万頭増殖計画を打ち出しました。





しかし、その後に安い化学繊維や輸入羊毛が増加した事で北海道の綿羊の需要が激減。


そこで余った羊の有効利用として考えられたのが羊の食用利用。





しかし、ジンギスカンは、クセがあり、特にその臭みが敬遠されて当初はなかなか普及しませんでした。


その状況を変えたのが「美味しいタレの開発」。


そのタレを販売する際に鍋を付けて提供するというキャンペーンを実施。


この企画が大成功して、ジンギスカンは北海道民のソウルフードに。



そのきっかけを作ったは?


北海道内の食品会社、ベル食品株式会社。


社長、福山浩司さんが解説。


先代の工場長の試行錯誤のおかげで誕生したベルのタレ。


販売当初は鳴かず飛ばずの状況。


精肉屋さんに鍋をプレゼントするというアイデアを考え出したのが爆発的ヒットのきっかけ。



NHK たぶんこうだったんじゃないか劇場


「にくぞら ~北海道ジンギスカン物語~」





1947年の札幌。


戦後の食糧難の中で安くて美味しいモノを作りたいという思いから、北海道大学時代の同級生たちが札幌に集って食品会社を設立。


商品開発を担当したのが工場長の中本泰夫さん(鶴見辰吾)。


以前に手掛けたのは清涼飲料水のラムネ。





当時貴重品だった砂糖の代わりにズルチンという人工甘味料を使用したラムネを開発。


真冬の北海道では売れないという事を想定せず失敗。


その次は、家庭用ラーメンスープ。





しかし、生麺を売っている商店が少ないという事を想定しておらずにこれも失敗。


そんな時、中本泰夫さんはある夫婦の会話をきっかけにジンギスカンのタレの開発を思いつきます。


安い羊肉を、おいしく食べるタレがあれば、きっと売れるはず。


当時は羊肉の臭いを消すために醤油ににんにくやしょうがを入れてました。





それでもやはり気になるのはその臭み。


中本泰夫(鶴見辰吾)さん「ホントに臭いな。」


妻「これが美味しく食べられたら家計も楽になるんだけどねぇ。旦那がもっと稼いでくれたら。」


中本さん「今、何て言った?」


妻「旦那がもっと稼いでくれたら?」


中本さん「いや。その前のヤツ。」


妻「これがもっと美味しく食べられたら?」


中本さん「そうか!この安い羊肉を美味しく食べられるジンギスカンのタレを作ったらきっと売れるんじゃないか?」


こうして羊の臭みを消すタレ作りに没頭。


様々な材料を試した中で「玉ねぎ」の相性が良い事を発見。


そして遂にジンギスカンのタレが完成。


大量に製造して精肉店に卸して万々歳。かと思いきや在庫だらけで全く売れず。


「羊は臭い」という先入観がある消費者からは、受け入れられませんでした。


しかし、精肉店との会合であるヒントが。


一般的には普及していなかったジンギスカン鍋。





当時、一般家庭では羊肉は金網で焼くのが普通。





この金網調理では臭みの元となる脂が落ち切る前に焦げてしまいます。


分厚い鉄のジンギスカン鍋では遠赤外線効果で適度な焼き色と旨味を引き出します。





また、臭い脂はドーム形の斜面を伝って落ちる。


ここに目を付けた中本泰夫さんはある賭けに。


タレをケースで買ってくれる精肉店にジンギスカン鍋をプレゼント。


精肉店には肉とタレを買ってくれたお客さんにそのジンギスカン鍋を貸出してもらうというキャンペーン。


その名も「ジンギスカン鍋引き換え作戦」


当時配ったジンギスカン鍋はなけなしの事業資金から何とか捻出して製作したも。


社名入りのジンギスカン鍋は計1000個用意されました。


このキャンペーンでしたが結果は大成功。


ジンギスカン鍋を貸してくれるという噂は瞬く間に広がってタレと羊肉が飛ぶように。


そして同じぐらいのタイミングで1956年に滝川の羊肉専門店が花見でジンギスカン鍋を貸し出しを開始。


札幌と滝川を中心としてジンギスカン人気は広がって行きました。





ナレーション「無料で携帯電話を配布する0円携帯を皮切りに通信料で元を取るビジネスモデルは本来であればジンギスカン鍋方式と呼ばれるべきだったかも。」





その後、ジンギスカン鍋の普及も手伝ってジンギスカンは北海道民のソウルフードに。


今では花見、給食や海水浴でもジンギスカンというほどすっかり定着。


中本さん「俺には見えるぞ!このジンギスカン鍋が北の大地はおろか、日本全国に広がっている明るい未来が!」



結論


というわけで、


「なぜジンギスカンは北海道名物?」は、


「おまけに鍋を付けたから」


でした。



塚原アナから補足


ジンギスカンを北海道に広めた札幌と滝川の2つの土地では元々、その食べ方が違っています。


札幌 – 焼いた羊肉にタレを付けて食べる「後付けタイプ」





滝川 – タレに漬け込んだ羊肉を焼く「先付けタイプ」





解説してくれたのは


北海道遺産ジンギスカン応援隊隊長でノンフィクション作家の千石涼太郎さん。


千石涼太郎さん


千石 涼太郎(せんごく りょうたろう、1964年2月22日 – )は、日本のノンフィクション作家・エッセイスト。北海道小樽市出身。小樽ふれあい観光大使。

勁文社の編集者として、萬画家・石ノ森章太郎、噴火予知連会長の井田喜明東大地震研究所教授、元関脇・蔵間、宜保愛子、黒田みのる、大槻義彦早大教授、田宮模型、バンダイ、東映、サンライズ、ジャイアンツ、任天堂………等の書籍を編集。元サントリーSP誌ライター( 『竹鶴とリタの夢 余市とニッカウヰスキー創業物語』 より)。


フリーランスとして、アウトドア、4WD、洋酒などの分野の雑誌、および精神科医、心療内科医、心理学者等の書籍を手がけつつ、県民性研究家としてテレビや雑誌のコメンテーターを務める。またその一方で、故郷である北海道をテーマとした執筆活動を進め、2008年には東京を離れ、札幌に移住。

北海道をメインテーマとした執筆活動をしつつ、小樽ふれあい観光大使、「北海道ワインツーリズム」推進協議会会長、北海道遺産ジンギスカン応援隊などを務め、地域振興の分野でも活躍中。

現在、政治や社会問題に対し、語っている。
(Wikipediaより)



北海道遺産ジンギスカン応援隊


北海道遺産ジンギスカン応援隊は、北海道遺産であり、ソウルフードであるジンギスカンを多くの人に広め、この食文化を次世代に残していくために、歴史や地域ごとの文化、食べ方の提案、イベントなど、さまざまな情報を発信し、ジンギスカン文化の応援をしていきます。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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