今回は、2019年10月25日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「さんまの内臓なぜおいしい?・浦島の玉手箱って?ほか」のお話。
浦島太郎の玉手箱ってなに?
確かに、玉手箱って、違和感なく使ってますが、なんなんだろう?
浦島太郎の玉手箱ってなに?
本日の2問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、 童話の読み聞かせが得意なステキな大人ってだーれ?」
2児のおかあさんで、絵本作家の若槻さんが回答者に。
浦島太郎のストーリーについて確認。
チコちゃん「浦島太郎が乙姫様からもらったものは?」
若槻さん「玉手箱」
チコちゃん「浦島太郎の玉手箱ってなに?」
若槻さん「箱。」
チコちゃん「もっと詳しく」
若槻さん「水の中でも陸でも対応可能な箱」
チコちゃん「まとめると」
若槻さん「水陸両用の未来の箱。」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
東京港区の絵本専門店で街頭インタビューするも正解なし。
チコちゃんの答えは、「化粧ポーチ」
化粧ポーチ
玉手箱は物語上だけに登場する架空のアイテムではない。
実際に日常的に使われていたものだそう。
その主な用途から考えると、現代の化粧ポーチのようなもの。
玉手箱は奈良時代ごろから使われ始めました。
京都北部の浦嶋神社は、浦島太郎を祀っている神社。
そこには玉手箱が残されているとのこと。
そこで、浦島太郎の子孫たちがその地を治めていたという言い伝えが残る京都府・伊根町へ。
ここにあるのが浦嶋神社。
宮司の宮嶋淑久さん「(浦島太郎を)御祭神として社にお祭りして1200年ほどになる。」
そこには浦嶋明神縁起絵巻という巻物が飾られています。
室町時代に奉納された玉手箱も現存。
今回はその玉手箱を特別に見せてもらう事に。
正式名称は「亀甲紋櫛笥二合 (きっこうもんくしげ)」
玉手箱を実際に開けてもらうと、化粧筆や櫛などの化粧道具、お守りなど。
このような箱は元々は櫛笥 (くしげ)という名称で、櫛を保管する箱。
時代と共に化粧道具全般を入れる箱に。
さらに庶民の間に広がった際に手箱という名前に。
現在でも手箱を作っている方がいるとのこと。
室瀬和美さん(重要無形文化財「蒔絵」の保持者で人間国宝)
大英博物館に自身の作品が展示されるなど、日本を代表する漆工芸作家。
以前あるメーカーに依頼されて外装を手がけた携帯電話の価格は2000万円。
玉は大切な宝物を表します。
玉手箱は、漆を塗って蒔絵・螺鈿(貝)で装飾された大切なものをしまっておく箱の事。
当時の化粧品は大変貴重なもので宝物同然。
つまり玉手箱というのは宝物のように貴重品をしまっておく箱。
ナレーション「ちなみにわたくしの化粧ポーチはナイロン製です。」
浦島太郎の物語に話を移し、乙姫が玉手箱に入れたものは何なのか?という疑問。
これは、「浦島太郎の魂」とのこと。
先生によると、亀を助ける筋書きの浦島太郎と元々のお話はちょっと違うそう。
元々は浦島太郎と異界の女性が恋に落ちるという恋愛小説のような物語。
それが奈良時代に編集された「丹後国風土記」に収録されています。
元々の浦島太郎のあらすじ
釣りをしていた浦島太郎がある日美しい亀を釣り上げます。
その亀がみるみるうちに美しいお姫様(乙姫)に変身。
海の中から浦島太郎を一目ぼれしてしまい会いに来たとのこと。
そんな浦島太郎と乙姫様は竜宮城で幸せに暮らします。
3年経ったある日、浦島太郎は少し故郷に戻ってみたい。
ところが竜宮城での3年は人間の世界でいう300年。
故郷に戻ると一気に歳をとって死んでしまうと考えた乙姫様。
浦島太郎の魂を玉手箱に閉じ込めて見送る事に。
魂を時間から守ってあげれば肉体も守られるという考え。
玉手箱を片手に故郷に戻った浦島太郎。
自分を知るものが全くいない300年後の世界に絶望。
寂しさの余りに乙姫様に会いたいと玉手箱を開いてしまいます。
するとおじいさんになるどころか一気にかき消えてしまいました。
1968年公開の「猿の惑星」や2018年公開の「アベンジャーズ インフィニティー・ウォー」的展開。
このように時間の観念を日本で初めて物語に取り入れたのが浦島太郎。
人間界ともう一つ別の異世界の時間が流れているという考え方を日本初で取り入れたお話。
結論
というわけで、
「浦島太郎の玉手箱ってなに?」は、
「化粧ポーチ」
でした。
塚原アナから補足
元々が恋愛小説だった浦島太郎が今の形に変わったのは明治時代。
児童文学書や教科書に載せる際に男女の恋の要素を省いたとのこと。
解説してくれたのは
千葉大学の三浦佑之名誉教授。
三浦 佑之(みうら すけゆき、1946年8月21日- )は、日本文学者。千葉大学名誉教授。専門は古代文学・伝承文学。
人物
三重県美杉村(現津市)出身。三重県立津高等学校、成城大学文芸学部卒業、同大学院博士後期課程単位取得退学。共立女子短期大学、千葉大学教授を経て立正大学文学部文学科(日本語日本文学専攻コース)教授。2013年4月より同大大学院文学研究科長。2017年3月に同大を定年退官。
もともとは中西進に師事し古代文学を専門としていたが、吉本隆明『共同幻想論』の影響から『古事記』や『遠野物語』の民俗学的研究にシフトする[1]。2002年に出版した『口語訳 古事記』がベストセラーになった。上代文学(民俗学関係も扱う)関連で多くの著作がある。出雲神話について数々の書籍で言及している。
直木賞小説家・三浦しをんの父である。
受賞
1988年6月、『村落伝承論』で第5回上代文学会賞を受賞。
2003年12月、『口語訳 古事記』で第1回角川財団学芸賞を受賞。
2013年11月、『古事記を読みなおす』で第1回古代歴史文化賞みやざき賞を受賞。
2014年3月、立正大学蘊奥本賞を受賞
(Wikipediaより)
千葉大学(ちばだいがく、英語: Chiba University)は、千葉県千葉市稲毛区弥生町1番33号に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は特になく、千葉大、千大と呼ばれる。戦前から名門医学部として名高い旧制六医科大学旧制官立千葉医科大学の流れを汲む、旧官立大学の一つである。
大学全体
亥鼻キャンパスのシンボルの一つである医学部本館(旧制千葉医科大学附属医院本館)
西千葉キャンパスのシンボルの一つである附属図書館本館(K棟)の「やよいの鐘」
千葉大学は、1949年(昭和24年)に千葉医科大学・同附属医学専門部・同附属薬学専門部、千葉師範学校、千葉青年師範学校、東京工業専門学校、千葉農業専門学校を包括して新制の国立大学として発足した。国立大学法人法により、2004年度には国立大学法人千葉大学となる。
新制国立大学として発足した当時は、5学部(医学部、園芸学部、学芸学部、工学部、薬学部)から成り立っていた。その後に学部研究科の拡充改組を重ね、現在は10学部(国際教養学部、文学部、教育学部、法政経学部、理学部、医学部、薬学部、看護学部、工学部、園芸学部)、11研究科(教育学研究科、理学研究科、看護学研究科、工学研究科、園芸学研究科、融合科学研究科、人文社会科学研究科、医学薬学府、専門法務研究科、自然科学系研究科アソシエーション)によって構成されるに至る。
学部学生数10,702名[1]、大学院生数3,461名[2]、計14,163名、教員数3,402名[3](2016年5月1日時点)。
2005年10月11日の国立大学法人化をきっかけに千葉大学憲章(理念と目標)、行動規範が制定された[4]。「つねに、より高きものを目指して」を理念としている。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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