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スーツの襟の穴ってなんのため?→花を挿すため。スーツの起源は軍服で前閉じたら第1ボタンの位置

今回は、2020年1月17日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「水滴『ぽちゃん』の謎・スーツの襟の穴・国語って?」のお話。


スーツの襟の穴ってなんのため?





確かに、スーツの襟に穴がありますね。


バッジをつけるため?





スーツの襟の穴ってなんのため?


本日の1問目。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番スーツが似合うステキな大人ってだーれ?」


岡村さんからの指名で、森山さんが回答者に。


チコちゃん「スーツの襟の穴ってなんのため?」


森山さん「バッジを付けるための穴。」


森山さん「輪っかにかけて吊るすための穴。」


正解に至らず、叱られちゃいました。


丸の内のビジネスマンにインタビューして見ても、正解なし。


次にスタッフが向かったのは、小沢仁志さん。


質問してみると、


小沢さん「こちらもバッジをつけるための穴。」


出張用チコちゃんに叱られちゃいました。





チコちゃんの答えは、「花を挿すため。」



花を挿すため


スーツの歴史をさかのぼります。





その起源は、1700年代のヨーロッパで着られていた軍服。


現在のスーツの襟を立てて前閉じにしてみます。





すると、軍服の第1ボタンにあたる位置が、襟のボタン穴に。



フロックコートが誕生


1800年代にフロックコートが登場。





この時に襟が折り返されるというというスタイルが登場。


今のスーツの形に徐々に近くなります。


現在のスーツの上衿と返り襟の原型。





この時点ですでに、第1ボタンは必要なくなりますが、ボタン穴はそのまま残ります。



そして、モーニングコート、燕尾服へ。


19世紀にフロックコートから、モーニングコートと燕尾服が生まれます。


当時は、最上級の正装として、昼間がモーニングコート。


夜が燕尾服。






この2つの服の特徴はお尻をすっぽり隠すディテール。


これは、当時の貴族文化の絶対的マナー。


この頃になると現在のスーツとほぼ同じ襟の形に。



ラウンジスーツ


さらにお尻部分を短くカットした現在のスーツに近いラウンジスーツが誕生。






この時点で第1ボタンが元々あったというなごりはボタン穴のみ。


イギリスのスーツ職人たちは、その起源が軍服である事を忘れないようにと、襟のボタン穴だけは残すことに。


その穴は、花を挿すのにちょうど良かったという理由。



1700年代後半のフロックコートの時点で襟元に花を挿すというファッション






その時代は貴族たちが珍しい花を自慢する為に襟の穴に花を挿していたそう。


そして1800年以降はビクトリア女王の結婚式。





アルバート公の襟の穴に花を挿した事で庶民にもこの文化が知られます。


現在でも、ヨーロッパでは王室の式典などでスーツの襟の穴に花を挿すという習慣が残っています。






小沢仁志さんにもブートニア


小沢さん「ちょっといいか?野に咲く花を持ってくるな。NHK予算ねーな!普通もっと大きいだろ!」


意外と可愛らしい。


スタッフ「この花(マーガレット)の花言葉が真実の愛だそうです。」


小沢さん「無理だ。向いてない。」


といって、外してました。




結論


というわけで、


「スーツの襟の穴ってなんのため?」は、


「花を挿すため」


でした。



解説してくれたのは


昭和女子大学の中野香織客員教授


中野 香織(なかの かおり、1962年6月8日 – )は、日本のエッセイスト・服飾史家。

富山県立富山中部高等学校理数科卒、東京大学文学部および教養学部イギリス科卒、1994年同大学院総合文化研究科地域文化専攻博士課程単位取得満期退学。在学中の1982年より文筆活動を始め、ケンブリッジ大学客員研究員、東京大学教養学部非常勤講師などを経て、本格的に文筆業に携わる。2008年度~2017年度まで明治大学国際日本学部特任教授。2018年株式会社Kaori Nakano 総合研究所を設立、代表取締役。男女ファッション史から最新モードまで研究・執筆・講演をおこなうほか、企業のアドバイザーを務める。2019年4月より昭和女子大学客員教授。
(Wikipediaより)



昭和女子大学


昭和女子大学(しょうわじょしだいがく、英語: Showa Women’s University)は、東京都世田谷区太子堂一丁目7番57号に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は昭和女大。 設置者は学校法人昭和女子大学。

当時の社会は良妻賢母の女子高等教育が主流であったが、社会に対して開いた女性の確立を目指し、校訓を“世の光となろう”と詠い、詩人の人見圓吉(ペンネームは「人見東明」)が創立する。

その後、長男の人見楠郎に引き継がれ、レフ・トルストイの思想を「建学の精神」に展開し、2000年(平成12年)創立80周年の記念事業として巨大なブロンズ製トルストイ像を大学構内に建立した。その縁もあってトルストイ家の現在の当主に大学を案内したこともある。

その後、ウイーンを本拠地とした創立者の孫であるインターナショナルに活躍した人見楷子 (上智大学ドイツ語科を経てウイーン国立大学の通訳科で学び、英語・ドイツ語・日本語の同時通訳者として活躍)に三代目理事長を引き継ぎ学園改革を積極的に推進し、同族経営からも大きく転換を図った。政財界と官公庁への人脈が幅広く、キャリアウーマンとしてのロールモデルとなる坂東真理子を学長に迎え、グローバルな時代の流れに対し柔軟性を持って学科編成や就活サポートや女性特有のライフスタイルの変化に合わせたキャリア設計の指導など、新たな時代のニーズにあわせ校風をシフトした事により大きく発展を遂げた。

1988年にボストンに日本の大学では先駆的に海外キャンパスを持ち単位留学のシステムを日本で初めて取り入れた。2006年からは世田谷キャンパスに、日本で唯一の英国式インターナショナルスクールであるブリティッシュスクール in TOKYO SHOWAを開校し、2019年からは世田谷キャンパス内に米国大学日本校のテンプル大学ジャパンキャンパスも併設し、三軒茶屋に日本初のスーパーグローバルな多文化共生のインターナショナルキャンパスを展開する。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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