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なんでつゆは梅の雨って書くの?→カビがイヤだから。中国発祥、元々は黴雨(バイウ)→梅雨へ。

今回は、2020年6月26日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「▽梅雨の秘密▽手品の音楽▽お色直しの謎」の番組内容を紹介。


なんでつゆは梅の雨って書くの?





確かになぜ梅?


梅の収穫の季節だから?





なんでつゆは梅の雨って書くの?


本日の4つめ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、雨さえも似合っちゃういい大人ってだーれ?」


本日はまだ回答者になっていない岡村さんが自ら回答者に。


浅田さんは「雨も滴るいい男ですしね。」


チコちゃんに「まいまい、それは、水も滴る」


チコちゃん「なんでつゆは梅の雨って書くの?」


岡村さん「梅の花びらが散るかのごとく、雨が降るから。」


チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


梅にちなんでコウメ太夫さんにも質問。




コウメ太夫さん「梅の季節が終わってさみしいと天が泣いているのが雨になる。」


こちらも正解に至らず。


チコちゃんの答えは、「カビがイヤだから」



カビがイヤだから


梅雨というのは元々は中国が発祥。


そもそも梅雨とは6月から7月にかけても雨が多い時期。


雨をもたらす梅雨前線を気象レーダーでよく見てみると、朝鮮半島や中国南方にまで伸びています。




つまり梅雨というのは日本だけではなく、中国でも。




アジアの一部では、共通の気象現象。


中国では「雨が降ってじめじめすると増える厄介なモノ=カビ」


そこで、「カビをもたらす雨」という意味の、「黴雨」(バイウ)と書いていました。


(現代中国語ではメイユーと発音)


しかし、この「カビの雨」では、イメージが悪い。




そこで、発音が同じである「梅」という漢字をあてるように。




中国でも6月ごろに収穫を迎える梅という事もあって梅の漢字を採用。


この梅雨の文字が日本に伝わったのが奈良時代。


当時の漢詩や和歌などを集めた和漢朗詠集には「梅雨」と書かれた詩が掲載。




梅は当時から、特に貴族や特権階級の人々が観賞。




ちなみに日本の元号の令和は万葉集にある梅を見て、みんなで和歌を作った記念に書かれた文章がその元に。




このように梅は日本で良いイメージだったのでそのまま「梅雨」という表記が定着。



なぜ元々の中国語読みのバイウではなく、つゆ?


なぜ、「つゆ」という言い方が日本では一般的なのか?


これには諸説あるそう。


1 露(つゆ)から派生説




毎日続く雨によって木々に「露(つゆ)」が降りたように見えることからつゆと呼ぶようになった説



2 梅ぐちゃぐちゃ説


6月に旬を迎える梅が熟して地面に落下して潰れます。





「潰れる」を昔は「潰ゆ(つゆ)」と表現していたため、つゆと呼ぶようになった説。



結論


というわけで、


「なんでつゆは梅の雨って書くの?」は、


「カビがイヤだから」


でした。



補足


VTRゲストで登場したコウメ太夫さん。


数年前に芸名を小梅太夫からコウメ太夫に改名。




そこで、今回の「梅」にちなんだ内容の出演に「自分が適任ではないのでは。。」と悩んだそう。


改名の理由は、占い師に「このままだとトラックに轢かれる」と言われたからとのこと。



解説してくれたのは


大東文化大学の山口謠司教授。


山口 謠司(やまぐち ようじ、1963年 – )は、日本の中国文献学者。大東文化大学教授、博士(中国学)。和辻哲郎文化賞受賞。

佐世保北高等学校卒業。大東文化大学文学部中国文学科卒業後、同大学院修士課程修了。修士課程入学と同時に東洋文庫所蔵『岩崎文庫貴重書解題』作成のため林望の助手となる。博士課程1年の時に東洋文庫研究員。東洋文庫研究員を務めた亀井孝一橋大学名誉教授に師事[1][2]。

1989年よりイギリスケンブリッジ大学大学東洋学部兼任研究員。フランス国立社会科学高等研究院人文科学研究所アジア言語研究センター大学院博士課程後期を経て現職。妻はフランス人[3]。

2012年、大東文化大学博士(中国学)の学位を取得。ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ(Peter Kornicki)と林望による『欧州所在日本古典籍目録』のためにヨーロッパの図書館に所蔵される日本、中国の古典籍を捜索し、目録を作成する。主なものは、ロンドン大学所蔵和刻本漢籍、ヴィクトリア&アルバートミュージアム所蔵日本及び中国古典籍、ルーヴァン・カトリック大学所蔵日本古典籍、スウェーデン国立東洋アジア博物館博物館所蔵日本古典籍、デンマーク王立図書館所蔵日本古典籍、フランス国立国会図書館、パリ・ミッションエトランジェール日本及び中国古典籍、ギメ美術館所蔵日本古典籍、アカデミーフランセーズ所蔵日本古典籍、イタリア・フィレンツェ個人蔵古典籍、ローマ法王庁所蔵日本古典籍、ドイツ国立図書館所蔵日本古典籍など。これらの業績は今、国立国文学研究資料館で公開されている。

2017年、『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。同年11月より、加賀市「今年のにほんごコンテスト実行委員長」就任。
(HPより)



大東文化大学


大東文化大学(だいとうぶんかだいがく、英語: Daito Bunka University)は、東京都板橋区高島平1丁目9番1号に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は大東(だいとう)、大東大(だいとうだい)。

大学全体
大東文化大学は、大正期における日本の政治・経済・社会・文化の近代化の過程で見られた西洋偏重の傾向を是正し、漢学を中心とする東洋文化の振興を図ろうとする木下成太郎による「漢学振興運動」を発端として、1923年(大正12年)の帝国議会衆議院本会議において可決した「漢学振興ニ関スル建議案」に基づき設立された大東文化学院にはじまる。なお、議会の建議案決議で創設された経緯から、特定の創設者は存在しない。

2014年(平成26年)現在、8学部19学科・8研究科を設置している。

建学の精神
漢学(特に儒教)を中心として東洋の文化を教授・研究することを通じて、その振興を図ると共に儒教に基づく道義の確立を期し、更に東洋の文化を基盤として西洋の文化を摂取吸収し、東西文化を融合して「新しい文化の創造」を目指す、と定められている。1985年(昭和60年)に制定された。

そして、2008年(平成20年)9月には、創立百周年に向けた基本計画「中期経営計画(CROSSING2023)」を策定。この中で、これからの21世紀における時代のあるべき姿を提言し、建学の精神を「多文化共生を目指す新しい価値の不断の創造」と現代的に読み替え、掲げている。

教育の理念
大東文化大学は、建学の精神に基づき、東洋の文化を中心として広く全世界の文化に関する諸学を研究・教授し、その振興を図ると共に、東洋固有の文化を尊重し、その伝統的な美徳を身につけて豊かな人格の形成に努め、併せて国際的な視野を持ち、世界の文化の進展と人類の幸福の実現に寄与できる有為な人材を育成することを目指す。

教育および研究
8学部19学科・8研究科(大学院)からなる文系総合大学である。文学部日本文学科と中国文学科、経済学部は創立当時からの歴史と伝統を持つ[注釈 1]。

書道教育には力を入れており、多くの書家や研究者を輩出している。1969年(昭和44年)4月に大東文化書道文化センター(後の書道研究所)を開設し、日本で唯一の書道専門機関となっている[1]。

創立以来日本文学や漢文学をはじめとする東洋文化研究を柱に据えており、アジア・東洋重視の伝統は受け継がれている。2006年(平成18年)には、国際関係学部の「アジア理解教育の総合的取り組み」が文部科学省の「特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)」に採択。

2005年(平成17年)より板橋キャンパス近くの高島平団地を活性化することを発端とした環境創造学部による地域貢献活動「高島平再生プロジェクト(後にみらいネット高島平)」を地域住民と行っている。平成19年(2007年)に文部科学省の「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)」に採択。

自己点検・評価は1994年(平成6年)の「大東文化大学自己点検及び評価規程」制定以来取り組まれており、現在では学長を委員長とする「自己点検・評価基本事項検討委員会」と、その下に実務機関としての「全学委員会」を組織して行われている。

また、教育の質や授業内容を向上させることを目的とした授業評価アンケートや、ファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development、通称FD)プログラムも実施している。
(Wikipediaより)




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