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なんで指揮者は手を振るの?→一瞬先の未来を演じているから。解釈次第で、テンポ・強弱・表情が変化

今回は、2020年8月21日金 チコちゃんに叱られる!「72分拡大版▽肉じゃが▽夏の怖い話▽お地蔵さん」の番組内容を紹介。


なんで指揮者は手を振るの?





なぜって、指揮をするためではないの?





なんで指揮者は手を振るの?


本日の5つめ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、クラシック音楽を聴いていそうなステキな大人ってだーれ?」


岡村さんが、全く自信がなさそうにしている天海さん振って回答者に。


指揮者の話題。


チコちゃん「なんで指揮者は手を振るの?」


天海さん「それはですね、演奏するメンバーと共に曲をデザインしている。」


チコちゃん「確かにそうなんだけど、言わせてもらうわ!ボーっと生きてんじゃねーよ!」


チコちゃんの答えは、「一瞬先の未来を演じているから」



一瞬先の未来を演じているから


解説してくれたのは、国際基督教大学の金澤正剛名誉教授。


音楽史研究の第一人者。


「指揮者って必要なんですか?」という質問してみると。


指揮者が必要な理由は、


1 楽譜を見てどんな曲か頭の中に浮かべる




2 自分の解釈を演奏者に伝える為に手を振る




私たちがクラシックコンサートなどで聴く音楽は指揮者の頭の中で鳴った音楽。


あの手の動きには特にこれといった決まりやルールは無く、その人が考えた通りで問題なし。


指揮者によってバラバラ。


曲の微妙な表現には、それぞれの指揮者のスタイル。



静かな曲には、手を口元にあてる指揮者も。





昔は、指揮者は存在していなかった


昔は、作曲家自身が演奏+周囲に指示。


自分のイメージ通りの音楽を演奏していました。





そのため、指揮者は必要なし。


指揮者が誕生したのは18世紀の終わりから19世紀の初めごろ。


亡くなった作曲家の作品を演奏する機会が徐々に増えてくると、作曲家に代わって曲を再現する人が必要になります。


その理由で、指揮者が誕生。


その存在が広く知られるきっかけになった曲がバッハの『マタイ受難曲』。




この曲は結婚行進曲で知られるメンデルスゾーンがバッハの死後に世に広めた一曲。


バッハの時代には曲を後世に残すという概念自体があまり無かった時代。


演奏の為に楽譜を書いているだけ。


作品として残そうという考えは無かったそう。


演奏する機会が無いとそのまま消滅。


メンデルスゾーンは眠っていた曲を掘り起こして猛勉強。


復活演奏会を開き曲を再生。





曲を見事に復活させ、世に広めました。


このようにして楽譜から音楽を再現して伝えるというのが指揮者の仕事。


という事は指揮者ごとの解釈によって、同じ曲なのに全く違う表情に。


このように曲の解釈でテンポ・強弱・表情がまるっきり変わってきます。



同じベートーヴァンの運命。





指揮者の解釈次第で、テンポ・強弱・表情がかわります。





なんと、指揮者により、演奏時間も約11分変わる場合も。



指揮者は『あること』に注意して手を振っている


それは指揮者の動きと音楽がズレているを見てみると分かるとのこと。


これは一瞬早く手を動かす「先振り」と呼ばれる技術。


楽器を演奏する人たちは指揮者の合図を目で見てから演奏するのでズレが生じるのが普通。


先振りで一瞬早めに手を振る事で理想のタイミングで演奏。


つまり一瞬先の未来を手で表現しているという意味。





結論


というわけで、


「なんで指揮者は手を振るの?」は、


「一瞬先の未来を演じているから」


でした。



解説してくれたのは


国際基督教大学の金澤正剛名誉教授。


金澤 正剛(かなざわ まさかた、1934年 – )は、日本の音楽学者、音楽史研究者、国際基督教大学名誉教授[1]。ルネサンス音楽史を専攻としているが、中世西洋音楽や[2]、古楽全般についての著作もある[3]。

経歴
1957年に国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻を卒業した後、渡米[4]。ハーバード大学大学院で音楽学を学び、1966年に博士課程を修了した[1]。その間、1963年からハーバード大学音楽学部助手となり、1964年からはハーバード大学カークランド学寮音楽専攻指導教官も兼ね、いずれも1966年まで務めた[4]。

以降、国際基督教大学などで非常勤講師として教鞭を執るかたわら、フィレンツェのハーバード大学イタリアルネサンス研究所、アンティオーク大学(英語版)、アールハム大学(英語版)などで研究に従事した[1]。1980年には、イザベル・ポープ (Isabel Pope) と共編著『The Musical Manuscript Montecassino 871(モンテ・カシノ音楽手写本第 871号)』(1979年)[5]が、ASCAP賞を受賞した[1]。

1982年に国際基督教大学教授となり、同大学では宗教音楽センター所長を務めた[1]。2004年に定年退職し、名誉教授となった[1]。この間、著書『古楽のすすめ』で、1998年度日本ミュージック・ペン・クラブ大賞を受賞した[1][3]。

学会関係では、国際音楽学会(英語版)日本代表理事、国際音楽文献委員会日本国内委員会委員長、日本オルガン研究会会長などを歴任した[4]。
(Wikipediaより)



国際基督教大学


国際基督教大学(こくさい きりすときょう だいがく、英語: International Christian University[注釈 1])は、東京都三鷹市大沢三丁目10番2号に本部を置く日本の私立大学である。1953年に設置された。大学の略称は「ICU(アイシーユー)」[注釈 2]。

キリスト教長老派による創設で、米国型リベラル・アーツ・カレッジの形式を踏襲している。1949年、御殿場にあるYMCA東山荘で催された日米のキリスト教指導者による会議において、国際基督教大学の創設が正式に決定された。高松宮宣仁親王が設立準備委員会の名誉総裁に就任し、当時の日本銀行総裁である一万田尚登が設立のための募金運動に奔走した。またGHQ最高司令官を務めたダグラス・マッカーサーも、大学設置に際し財団の名誉理事長として、米国での募金運動に務めた[3]。日本YMCA理事長で、国際基督教大学の評議委員会会長となった山本忠興も設立に尽力した。開学に先立って1952年に語学研修所が開設された後、1953年に初代学長として湯浅八郎(前同志社総長)を迎え、一期生198人より開学に至った[4]。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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