今回は、2020年10月23日金 チコちゃんに叱られる!「▽給食の揚げパン▽一馬力って?▽毒キノコ」の番組内容を紹介。
なんで給食に揚げパンが出るようになったの?
揚げパン、なつかしいですね。
でも、手間がかかるのに、なぜなんだろう?
なんで給食に揚げパンが出るようになったの?
本日の1つめ目の話題。
チコちゃん「どうも~こんチコは~!」
最初のゲスト紹介。
2回目の登場で準レギュラーに格上げになった「ザ・ロッカーズ」こと陣内孝則さん。
そして、新婚ホヤホヤの丸山桂里奈さん。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、給食を残さず食べてたステキな大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で、陣内さんが回答者に。
揚げパンの話題。
チコちゃん「なんで給食に揚げパンが出るようになったの?」
陣内さん「政府が揚げパン業者と癒着していた。」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
陣内さん「すいません。自分、コロナ禍でボーっと家にいました。」
丸山さんにも聞いてみると、
丸山さん「揚げている人がアゲアゲの人が多かったから」
陣内さん「高温で揚げているので家に持って帰っても食べられる。」
チコちゃんの答えは、「欠席した子どもにおいしいパンを届けるため」
欠席した子どもにおいしいパンを届けるため
解説してくれたのは、東京大田区で給食の栄養士を務め、給食の歴史について詳しい木崎雅紀子さん。
揚げパンの発祥については長い間謎だったそう。
2004年~2005年頃に給食の歴史について再調査。
結果、「揚げパンは東京大田区の小学校で誕生した可能性が高い」という事が判明。
日本各地の給食献立表を調べた所、揚げパンが登場するのは確認できた限りでは昭和30年代半ば以降。
しかし、東京大田区では昭和29年(1954年)の段階で既に揚げパンが給食に出されていた記録が。
さらに追加調査すると大田区の嶺町小学校で給食の調理師をしていた篠原常吉さん。
昭和27年(1952年)ごろに考案した可能性が高いと結論。
ここからは揚げパン誕生の歴史について迫っていきます。
ナレーション「大先輩。お願いします。」
森田アナから松平定知さんにナレーションチェンジ。
その時 歴史がチコった
肝心の揚げパン誕生のその瞬間というのは、正確な日付は特定は難しい。
しかし、昭和27年(1952年)の冬のある日としてストーリースタート。
時は明治22年(1889年)。
山形県で学校給食がスタート。
昭和16年(1941年)に戦争によって学校給食は一旦中止。
終戦後の昭和22年(1947年)には無事再開。
この当時の給食は援助物資として送られて来たトマトの缶詰などを使ったスープと脱脂粉乳が主な献立。
そして昭和25年(1950年)には主食・おかず・脱脂粉乳の完全給食がスタート。
この時の給食の主食に登場したのがコッペパン。
コッペパン・脱脂粉乳・みそ汁が定番献立の時代。
たまに出るくじらの竜田揚げはご馳走。
時は流れて昭和51年(1976年)。
米飯給食が導入され給食は大きな転機を迎えます。
そして1998年に出版された「なつかしの給食献立表」という書籍。
そこには揚げパンのルーツついて「ついにわからなかった」という一文。
この本を見て過去の記憶をよみがえらせる読者が一人。
それが村岡玲子(旧姓:篠原)さんという方。
「給食の調理師をしていた父が美味しいモノが出来たといってわら半紙に包んだ揚げパンを一つ持って帰ってきたのを思い出した。」
玲子さんの父である篠原常吉さんは生前は西洋レストランのコックさん。
昔気質の人で仕事と家は完全に分ける人。
そんな人が珍しくも仕事場から手土産を持って帰って来たという出来事は玲子さんの記憶に深く刻まれていました。
この時点で常吉さんは既に他界。
玲子さんはかつての職場の同僚の元を訪ねて詳しい話を聞く事に。
そこで辿りついたのが養護教諭だった石渡ヒロさんという方。
ご高齢のヒロさんに代わって娘の翠さんが応対。
そこで得られた証言は「揚げパンを考えたのはあなたのお父さんですよ。私見てましたから。」と。
やっぱり父が考案者だった。と安堵したのもつかの間、新たに「私見てましたから。」という気になる言葉。
石渡翠さんは当時小学生だったハズですが一体何があったのでしょうか?
時は運命の年となる昭和27年(1952年)。
場所は大田区の嶺町小学校。
当時小学3年生だった翠さんは母親のヒロさんが養護教諭として働く同じ小学校に通っていました。
そこで昼休みや放課後の空き時間にはよく母親のもとを訪ねていたという翠さん。
そんなある日、母親と共に給食室に向かうと翠さんが目撃したのがコッペパンの山。
実はこの年の冬は流行性の風邪が大いに流行っており、欠席する生徒が多く、給食のコッペパンが大量に残ってしまう事態に。
欠席した児童のパンは近所の児童が放課後に届けてました。
ただ、この頃のコッペパンは時間が経つと硬くパサパサになってしまうという欠点が。
そこで給食室では病欠の子どもたちのために少しでもおいしいパンを提供したいと試行錯誤する事に。
すると「揚げてみようか?」という人物が現れます。
大きな鍋でコッペパンを揚げ、きつね色になったパンにはたっぷりの砂糖がまぶされました。
これが小学生だった翠さんが見た揚げパン誕生のその時でした。
この人物というのが篠原常吉さんでした。
当時の事を鮮明に覚えているという石渡翠さん。
当時は揚げパン誕生の経緯については気にもしていなかったそう。
後に母親のヒロさんから揚げパン誕生について詳しく聞く機会があったとか。
そこで語られたのが、休んでしまった子どもたちのために少しでもパンをおいしくしたいという給食室の思い。
この日揚げられたパンは一つ一つわら半紙に包まれて配達されることに。
そして、篠原常吉さんは残ったパンを一つだけ家に持ち帰り、当時20歳だった娘の玲子さんはその揚げパンを目にしたのです。
という事はつまり、一番最初に揚げパンを食べたのはその日欠席した子どもたち。
体調が回復して登校した子どもたちは後に揚げパンの話を学校で。
その話がどんどん広まった事で今度は給食のメニューとして揚げパンを提供する事になりました。
結論
というわけで、
「なんで給食に揚げパンが出るようになったの?」は、
「欠席した子どもにおいしいパンを届けるため」
でした。
解説してくれたのは
東京大田区で給食の栄養士を務め、給食の歴史について詳しい木崎雅紀子さん。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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