先日の放送は、2019年11月8日の再放送。
以下、以前の内容のコピペです。
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今回は、2019年11月8日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「マツタケはなぜ高い?・ペナントの秘密・砂漠の謎ほか」のお話。
観光地のお土産がなんでペナントだったの?
確かに、修学旅行で買いました。
あの頃は、みんな買っていたように思います。
でも、なぜなんだろう?
観光地のお土産がなんでペナントだったの?
本日の2問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、 旅行に行ったらお土産を買ってきてくれそうな優しい大人ってだーれ?」
岡村さんの指名でキムラさんが回答者。
キムラさん「あんまり買わへんけどなぁ。」
塚原アナがペナントを手にしています。
チコちゃん「ペナント、どんなところのを貼ってた?」
キムラさん「壁」
チコちゃん「壁は分かっとんねん!どこの土地のお土産が貼ってあったんや?って。」
などのやりとり。
チコちゃん「どうして、観光地のお土産がなんでペナントだったの?」
キムラさん「地図上の宿場町のマークがこれだった。」
もちろん、正解にいたらず、叱られちゃいました。
浅草で街頭インタビューするも正解なし。
チコちゃんの答えは、「タオル屋さんが社運をかけたから。」
チコちゃん「これでいきましょう!社長!」
タオル屋さんが社運をかけたから
解説してくれたのは創業63年のタオル製造会社、間隆浩社長。
観光地のお土産の定番だったペナントは間さんの先代にあたるお父さん、間勇さんが開発。
チコジェクトX 挑戦者たち
「二等辺三角形にかけた情熱 ~マスオさん社長の大逆転劇~」
田口トモロヲ「20代の脱サラ社長が苦悩の末にたどり着いた二等辺三角形。」
時は昭和31年。
裁判所に勤めていた公務員の間勇さん26歳。
戦後復興の勢いで一儲けしたいと公務員を退職。
そこで始めたビジネスは手ぬぐいに代わる生活必需品となったタオル製造業。
妻の実家に土地を借りて間タオルを創業。
当時は資金も人脈も無く銀行からの融資は受けられず。
義父から借金をする苦しい状況。
そして、2年後の昭和33年。
間勇さんは大の野球好き、さらには巨人ファン。
気分転換で球場に足を運びました。
目に留まったのがバックスクリーン上に掲揚された優勝ペナント。
そこから「ペナントに観光地の絵柄を入れたら売れるんじゃないか?」と閃きます。
続いて思案したのが「絵柄は何にするか?」
地元湘南のシンボルである江の島?それとも名物の生シラス?
目の前にあったのが、完成間近の東京タワーの新聞記事。
戦後日本復興のシンボルに若社長は運命を託すことに。
観光地のペナントは大ヒット商品に。
当時は個人のカメラなども普及しておらず、観光地の名物が一緒に描かれているペナントは記念写真代わり。
さらに高度経済成長期にぶつかって、日本には観光ブーム。
こうなると各地のペナントを大量生産。
田口トモロヲ「やや渋めの観光地、鳥取県の皆生温泉も、、、売れた。大分県の鯛生金山も、、売れた。神奈川県の城ケ島は、、売り切れた。」
田口トモロヲ「ペナントで掴んだ崖っぷちからの大逆転。笑いが止まらなかった。」
スタッフ「当時は相当儲かったのでは?」
間隆浩さん「儲かっても売上金はすぐにどっかにいってしまった。」
間勇さんは散々するタイプで、普段はあまり乗らないのに車を買ったり、ゴルフをやらないのにゴルフ場の会員権を買ったり。
間隆浩さん「何にも残ってない。何だったんだアレ?って感じですよね。」
しかし今ではそんなペナントもすっかり過去の物。
お土産屋さんで目にする機会もめっきり激減。
田口トモロヲ「旅の風景を残す手段はペナントからカメラ、スマホへと引き継がれた。」
結論
というわけで、
「観光地のお土産がなんでペナントだったの?」は、
「タオル屋さんが社運をかけたから」
でした。
塚原アナから補足
ペナントが減少した理由として、もらうと困るお土産というマイナスイメージがいつしか付いてしまった。
家の壁が土壁からクロスに変わった。
などあるとのこと。
解説してくれたのは
ペナントを開発した創業63年のタオル製造会社、間隆浩社長。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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