今回は、2022年5月20日金 チコちゃんに叱られる!「▽ニラレバとレバニラ▽フォークの謎▽なぜ110番 初回放送日: 2022年5月20日」の番組内容を紹介。
なんでニラレバとレバニラ呼び方が2種類あるの?
なんでニラレバとレバニラ呼び方が2種類あるの?
まずは、ゲスト紹介。
本日のゲストは、高畑淳子さんと、眞栄田郷敦さん。
さっそく、本日の最初の話題へ。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、中華料理が大好きなステキな大人ってだーれ?」
岡村さん、真栄田さんの指名で、高畑さんが回答者に。
中華料理「ニラレバ、レバニラ」の写真を見せて、、
チコちゃん「なんでニラレバとレバニラ呼び方が2種類あるの?」
高畑さん「広東省と四川省で違うんじゃない?」といった趣旨の回答。
正解に至らず、叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「バカボンのパパのせいなのだ」
バカボンのパパのせいなのだ
解説してくれたのは、言語学者で名古屋大学名誉教授の町田健先生。
この例の料理の元ネタは中国料理「韮菜猪肝(ジウツァイジゥガン)」
韮菜=ニラ、猪肝=レバーなのでニラレバの順が本来の並び方。
中国の料理名の命名ルールは「副材料(野菜など)を先、主材料(肉など)を後」。
そのため、ニラレバの順になっています。
青椒肉絲なども、「青椒=ピーマン」が先で、「肉絲=肉」が後。
つまりレバニラという呼び方は日本独自の呼び方。
番組では、全国老若男女500人を対象に「ニラレバorレバニラ」の呼び方を調査。
全国的に多いのはレバニラという結果に。
地域によってどちらが多いという事はありませんでした。
ニラレバ呼びは年齢層が高めの人に多いという傾向が。
そしてこのレバニラを全国に広めた立役者がバカボンのパパ。
1971~1972年放送のアニメ「天才バカボン」
最高視聴率約15%の人気作でギャグ漫画界の巨匠・赤塚不二夫先生の作品。
この天才バカボンの主人公であるバカボンのパパがニラレバの事をレバニラと言い出したのが話の発端。
レストランのオーダー時にパパのセリフ。
なんと、全79話の中でパパがレバニラと言ったのは実に14回。
「ごちそうはレバニライタメなのだ」というレバニラ主題の回も。
赤塚先生が行きつけだったという洋食店では洋食屋にもかかわらず、赤塚先生のリクエストで裏メニューとしてレバニラ炒めを提供していたそう。
当然ながら赤塚先生も「レバニラ」と呼んでいたそう。
2002年にはNHK放送文化研究所がレバニラorニラレバについて年代別にリサーチしています。
当時の40代~60代はニラレバ呼びが多く、それより下の世代はレバニラ呼びが多い傾向。
バカボン放送当時に子供だった世代にとってはバカボンパパのレバニラ呼びに強い影響を受けてレバニラ逆転現象を生んだと推測されます。
バカボンのパパはアニメ主題歌でも「西から昇ったおひさまが東へ沈む」とちょっと逆からみた視点。
逆さ言葉もよく使っていました。
テレビ=ビレテ、
おめでとう=うとでめお
などと同じようにニラレバを逆さに読んでレバニラと言ったのではないか?と先生の推察。
さらにレバニラの方が日本語の発音的には言いやすい事も、レバニラが広まった要因の一つと指摘。
日本語の中で最も舌を動かす「ラ行」が連続する「ニラレバ」は発音が厄介。
レバニラの方がより浸透して行ったのではないかということでこの話題は終了。
結論
というわけで、
「なんでニラレバとレバニラ呼び方が2種類あるの?」は、
「バカボンのパパのせいなのだ」
でした。
解説してくれたのは
言語学者で名古屋大学名誉教授の町田健先生
町田 健(まちだ けん、1957年3月27日[1]- )は、日本の言語学者、名古屋大学名誉教授。専門は言語学。日本語学者としてテレビに出演。福岡県出身。
略歴
1975年私立久留米大学附設高校卒業。1979年東京大学文学部言語学科卒業、1981年同大学院人文科学研究科言語学専門課程修士課程修了、1982年河合塾英語科講師、1984年フランス政府給費留学生(ストラスブール大学ロマンス語学研究所留学 1985年まで)1986年東京大学大学院人文科学研究科言語学専門課程博士課程単位取得退学、東京大学文学部助手。1989年11月愛知教育大学教育学部助教授。1992年成城大学文芸学部助教授、1996年北海道大学文学部助教授、1998年10月名古屋大学文学部教授、2000年名古屋大学文学研究科教授、2006年文学研究科長・文学部長。2017年4月久留米大学附設中学校・高等学校の校長に就任。
(Wikipediaより)
名古屋大学(なごやだいがく、英語: Nagoya University)は、日本の国立大学である。愛知県名古屋市に本部を置く。略称は名大(めいだい)。文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校である。2018年3月20日には、「指定国立大学法人」に指定された。
大学全体
名古屋大学は、1939年に創設された名古屋帝国大学を直接の母体とする国立大学である。前身の名古屋帝国大学は9番目(内地では7番目)に設立され、内地・外地を通じて「最後の帝国大学」であった。名古屋帝国大学創設当初は医学部と理工学部の2学部を設置し、1942年には理工学部を理学部と工学部に分離した。第二次世界大戦後の旧制学制残滓期間内に、法経学部と文学部の2学部を設置した。新制名古屋大学となった後も教育学部、農学部、情報文化学部等の学部や大学院研究科および附属研究教育施設を順次設置し続け、2018年時点、9学部・13研究科・3附置研究所を擁している。
大学の略称
大学の略称は「名大」であり、「めいだい」と発音する。この「名大」という略称は商標登録(登録商標日本第4861457号ほか)もされている。明治大学の略称である明大(めいだい)と発音が同じであるため、一部では「なだい」や「なごだい(名古大)」と発音する人もいる[1]が、商標登録第4861457号の参考情報として付随している称呼が「メーダイ」であることから、公式には「めいだい」が正しい。なお、明治大学の方は、東海地方周辺では「明治」または「明治大」または明治大学(正式名)と呼ばれ、区別される場合がある。
創立・創基
名古屋大学の正式な創立年は、直接の母体である名古屋帝国大学が設置された1939年(昭和14年)である。
2009年(平成21年)には、名古屋県仮病院・仮医学校が設置された1871年(明治4年)を名古屋大学の「創基」とすることが創立70周年記念行事委員会において検討され、現在では「創立」とは別の概念として「創基」という言葉が用いられている[2]。そのため、2019年(令和元年)は創立80周年、2021年(令和3年)は創基150周年として位置付けられる。
創基という概念は北海道大学や山口大学、筑波大学など他の教育機関でも見られるが、その位置付けは各教育機関ごとに異なるものである。北海道大学は、前身の北海道帝国大学時代から創基という概念を使用しているが、同大学における創基は他大学における「開学」や「創立」と同じ概念である[3][4]。一方で、大阪大学のように、創基と創立を分ける例も見受けられる[5]。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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