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五木寛之が演歌を発明、庶民の口に出せない怨念悲傷を艶なる試曲に転じて歌う

今回は、2018年8月17日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」夏の拡大版のお話。

「演歌って何?」だよ!



演歌っていえば、都はるみさんとか、石川さゆりさんなど、こぶしを回してうたう日本の歌じゃないの>


はっきりとした定義は知らないです。


誰が決めたんだろう?


演歌って何?


チコちゃん「この中で、歌が上手な大人ってだーれ?」


そこで、歌手の国分さんが回答者。


国分さんのすきな好きな歌のジャンルは「ロック」とのこと。



今回のチコちゃんからの質問は、「演歌」って何?


国分さんは、うまく答えられずに叱られちゃいました。



庶民の口に出せない怨念悲傷(おんねんひしょう)を艶なる試曲に転じて歌うのが艶歌



チコちゃんの答えは、


「庶民の口に出せない怨念悲傷(おんねんひしょう)を艶なる試曲に転じて歌うのが艶歌 by 五木寛之」


とのこと。


大阪大学大学院の輪島裕介准教授が解説してくれました。


古いイメージのある演歌ですが、演歌は新しく生まれたジャンルで昭和40年代に入ってから定着。




それ以前、明治末から大正にかけて「演説調の歌」というものがあったそう。


これが演歌のさきがけとのこと。




自由民権運動の演説が、明治後半には歌にのせられて演説歌として広がったんだね。


例えばオッペケペー節などがよく知られているそう。




これがいつしか「演歌」と略されたとのこと。


その後に流行歌や歌謡曲が誕生して演歌は衰退。


しかし、ある人がきっかけで、再び演歌が脚光をあびることに!




演歌を発明したのは五木寛之氏


現在の意味での演歌を発明したのは五木寛之氏。


昭和41年に「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞受賞、


その後も「青春の門」「大河の一滴」「親鸞」などでベストセラーを記録した大作家。




その五木氏が昭和41年に書いた小説が「艶歌」という作品。




音楽業界のベテランと若手プロデューサーがお互いの進退をかけて対立する物語で、その中に登場する一文が演歌(艶歌)を世に広めるきっかけになったんだって。


その一文が「艶歌とは庶民の口に出せない怨念悲傷(おんねんひしょう)を艶なる試曲に転じて歌う」という一説。




このことから流行歌や歌謡曲から演歌が独立したジャンルとして成立。




「恨みや悲しみというものをしっとりとした曲調にのせて歌う」と五木氏が定義したことで、これに当てはまる曲は演歌と呼ばれるように。




昭和45年発行の「現代用語の基礎知識」には演歌が新語として掲載。


昭和45年に藤圭子さんが歌った「圭子の夢は夜ひらく」は音楽チャートで10週連続1位を記録。


さらに“ド演歌”とまで言われたのが昭和47年に宮史郎とぴんからトリオが歌った「女のみち」。


打ち上げ枚数326万枚を記録し、「およげ!たいやきくん」に次いで現在でも売り上げ枚数歴代二位。


演歌は、五木さんが発明した新しいジャンルの音楽だったんだね。




演歌が艶歌ではない理由は、当時「艶」という文字が新聞で使えない漢字だったからに由来するとのこと。



ということでチコちゃんの結論。


演歌とは庶民の口に出せない怨念悲傷(おんねんひしょう)を艶なる試曲に転じて歌うのが艶歌である by 五木寛之



塚原アナから補足


五木寛之氏を番組に取り上げると言う事で小説「艶歌」を書いた理由について五木氏本人に質問。


「戦後はアメリカなど外国の音楽が入って来て日本の歌がカッコ悪いと日陰になっていた時期だったんです。でも日本の歌謡曲はそんなもんじゃない。バカにできない。そんな思いから小説「艶歌」を書いた。」と語ったとのこと。



(注)演歌といわれるジャンルが生まれた背景には諸説あるとのこと。

レコードの普及によって細かいジャンル分けがされるようになって演歌というジャンルが生まれたとも言われている。



解説してくれたのは


大阪大学大学院の輪島裕介准教授

輪島裕介准教授

輪島 裕介(わじま ゆうすけ、1974年 – )は、日本の音楽学者、大阪大学文学部・大学院文学研究科准教授[1]。専門は、近代日本大衆音楽史、アフロ・ブラジル音楽研究など、ポピュラー音楽研究。

石川県金沢市生まれ。金沢大学附属高等学校卒、東京大学文学部卒業。同大学院人文社会系研究科前期博士課程単位修得退学[1]。日本学術振興会特別研究員を経て、2011年4月、大阪大学文学部・文学研究科准教授。

ブラジルをフィールドとして「音楽による民族=地域的「文化」の創出」という観点から議論を展開し[4]、そこから、いわゆる「ワールド・ミュージック」をめぐる言説分析に踏み込み[5]、日本における音楽ジャンルをめぐる言説も検討の俎上に載せるようになった[6]。こうした研究の流れの中で、2010年に発表した著書『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』は、「創られた伝統」として演歌が大衆音楽の中心に位置づけられていった過程を検証し、2011年に第33回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞した[7]。
(Wikipediaより)



大阪大学


大阪大学(おおさかだいがく、英語: Osaka University)は、大阪府吹田市山田丘1番1号に本部を置く日本の国立大学である。
1931年に設置された。
大学の略称は阪大(はんだい)。
文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校である。

大阪大学は、大阪帝国大学として設立された(1931年(昭和6年))、現在では11学部・16研究科を要する国立文理総合大学である。帝国大学としては比較的新しく、開学当初は医学部と理学部のみで創設され、文理5学部(文学部・法経学部・理学部・医学部・工学部)体制となったのは戦後(1949年(昭和24年))のことである。初代総長に、世界的な物理学研究者の長岡半太郎を迎え、阪大の研究レベル・実績は現在でも特に理系学部が抜きん出ている。

設立の際に統合した、旧・大阪医科大学は、1838年(天保9年)に緒方洪庵により設立された適塾を直接の源流としており[1]、また、懐徳堂(1724年(享保9年)設立)の蔵書類が戦後文系学部に提供されたこともあり、私塾・学問所の流れを汲む、「地域に生き世界に伸びる」ことをモットーとしている。大阪大学は、設立当初東京をしのぐ大都市であった大阪に、関西財界や府民の熱意ある活動の末、民間の意思と財源により創設された、市民精神の息づく大学である。

かつて大阪大学は、その創設の地である大阪・中之島を本拠とし、多数の部局が大阪各所に点在する典型的な蛸足大学であったが、1993年の医学部および医学部附属病院を最後に、豊中キャンパスと吹田キャンパスの2キャンパス(共に千里丘陵に位置する)への移転統合を完了した。

大阪大学の本部事務機構は吹田キャンパスに設置されており、豊中キャンパスには全学共通教育を担当する全学教育推進機構とその講義棟が置かれている。サークル活動は基本的に豊中キャンパスで行われることが多いが、体育会系サークルは、多くのテニスコートがあるために吹田キャンパスで活動を行っていることが多い。

2007年10月1日に国立大阪外国語大学と統合し、それに伴い、箕面キャンパスが発足した。国立大学法人で外国語学部を設置しているのは、大阪大学と東京外国語大学のみである[2]。また統合後の1学年あたりの学生定員は、国立大学で最多の3245人となった(2位は東京大学で3053人)。

箕面キャンパスは2021年、同じ箕面市内の北大阪急行電鉄箕面船場阪大前駅前に全面移転する予定である。

大学入試においては、関西では京都大学とともに旧帝大として、日本トップクラスの難関大学である。関西圏の高等学校では、阪大と京大の入試合格者数の多寡が、学校進学実績のレベルを評価する大きな目安となっている。
(Wikipediaより)




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