今回は、2022年10月21日金 チコちゃんに叱られる! ▽焼き芋の秘密▽相撲のナゾ▽おやつはなぜ3時 初回放送日: 2022年10月21日の番組内容を紹介。
なんでおやつは3時なの?
なんでおやつは3時なの?
本日の最後の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、時間にきっちりしてそうなステキな大人ってだーれ?」
最後の問題は、岡村さんが立候補して回答者に。
チコちゃん「なんでおやつは3時なの?」
岡村さん「○○のCMから。」
チコちゃん「NHKでそんな事言っていいの?」と注意。
考え直して、
岡村さん「昼ごはんから夜ごはんって結構時間長く感じませんか?そのあともたないっていう研究結果が出たんです。だから軽食を食べる。」といった趣旨の回答。
正解に至らずられちゃいました。
チコちゃんの答えは、「3時がおやつだから」
3時がおやつだから
解説してくれたのは、食文化史研究家の永山久夫先生。
今回が13回目のご出演。
おやつの文化が生まれたのは江戸時代中期。
おやつの語源は「八つ刻(やつどき)」に食べる間食を丁寧な言葉で「お」がついておやつ。
この八つ刻は今の時間にすると午後2時から4時。
1日24時間という考え方(=定時法)は江戸時代には大きく異なっていました。
当時の日本では不定時法が一般的。
不定時法は日の出と日没を基準にして昼と夜を分ける時計システム。
昼夜をそれぞれ6等分して細分化。
現在の時計を当てはめてみると八つの頃は午後2時から4時。
当時時計は非常に高価だったので、持っている人は特権階級のみ。
そこでお寺などが鐘や太鼓を鳴らして人々に知らせていました。
そこで、8回音が鳴れば八つ刻の始まりの合図。
そしてこの八つ刻は江戸の庶民にとっては仕事の手を一旦止めて間食を食べる時間。
これがおやつ(御八つ)の起源。
当時のおやつは蕎麦、天ぷら、寿司など屋台で食べられるご飯でした。
8代将軍徳川吉宗が砂糖の国内生産を奨励。
すると、それまで高級品だった砂糖が入手しやすくなりました。
そして、饅頭、団子、大福、お汁粉など甘いものをおやつとして食べるようになりました。
現代でいう学習塾のような役割を担う寺子屋もこの頃一般的になりつつありました。
寺子屋に通う子どもたちの下校時刻も八つ刻に設定。
勉強終わりのリフレッシュでおやつを食べるという文化も誕生。
そして時代が経て幕末になると西洋人との交流も増えていきます。
西洋の国々では既に1日24時間の定時法が採用されていました。
そこで、日本で採用されていた不定時法とのルールのズレによっていろいろと不都合が発生。
例えば八つ刻という時間ひとつとっても午後2時から4時と2時間の幅を見て行動する日本人。
一方、午後2時ジャストを基準にして行動する西洋人ではその時間感覚が合いません。
当時のオランダ海軍士官の日記には「日本人の悠長さといったら呆れるぐらいだ。」という今では信じられない記述も。
ところが明治5年に鉄道の開業を迎えると徐々に人々は細かな時間を気にするように変化。
その結果明治6年には政府は不定時法を改めて1日24時間のルールを導入する事に。
これで八つ刻が午後3時前後になりました。
当時はおやつの事をおさんじ(お3時)と呼ぶ事もあったとか。
こうしてもともとは3時の事を御八つと言っていたのが3時に食べる間食をおやつと呼ぶようになりました。
結論
というわけで、
「なんでおやつは3時なの?」は、
「3時がおやつだから」
でした。
補足
体に脂肪を溜めこもうとする遺伝子BMAL1の働きは午後10時から深夜に活発化するとのこと。
この時間帯にご飯を食べると太りやすくなる一方で、このBMAL1の働きが低下するのが午後3時ごろでこの時間帯に甘いものを口にしても脂肪になりにくいという説明。
解説してくれたのは
食文化史研究家の永山久夫さん。
永山久夫オフィシャルホームページ「長寿王国」
氏名:永山 久夫
ふりがな:ながやま ひさお
肩書き:食文化史研究家
出身都道府県:福島県
生年(西暦):1932
現住所:東京都
主な経歴:
1959年 福島県に米食文化研究所設立
1962年 東京に食文化研究所設立
1998年 総合長寿食研究所
(食と農の応援団HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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