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なぜ一斉に初詣に行くようになった?→京急電鉄の戦略

今回は、チコちゃんに叱られる! 拡大版SP▽駅伝誕生秘話▽初詣の謎▽鼻水の不思議 初回放送日: 2023年1月6日の番組内容を紹介。



なぜ一斉に初詣に行くようになった?





なぜ一斉に初詣に行くようになった?


本日の2つめ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お正月を規則正しく過ごしていそうなステキな大人ってだーれ?」



岡村さんの指名で、大森さんが回答者に。


チコちゃん「なぜ一斉に初詣に行くようになった?」


大森さん「なんだ、このとんち的なやつ? (誰かが得する?と聞かれて)、また新聞社?新聞社が正月に神社とかにお参りに行くのをしむけた。」といった趣旨の回答。


正解に至らずられちゃいました。


VTRでは、2023年1月8日スタートの大河ドラマ「どうする家康」で主演の松本潤さんにも質問。





松本さん「徳永家康公がかかわっている。家康公に会いに行こう、ご挨拶に行くのが始まり。」といった趣旨の回答。


こちらも正解に至らず、出張用チコちゃんにられちゃいました。



チコちゃんの答えは、「京急電鉄の戦略」



京急電鉄の戦略


解説してくれたのは、川崎市民ミュージアムの鈴木勇一郎さん。



初詣に行くという風習が生まれたのは明治時代。


江戸時代までの新年のお参りは、近所の神社に大晦日から元旦にかけて行く「年ごもり」。


もしくは、各神社が定めた「初縁日」に参拝。




同じ日に、同じ場所に行くのではなく、別々に近所の決まった場所に行くのが一般的。



みんなで一斉に集まる初詣のイメージに変えさせた張本人が徳川家康。



家康が、七福神めぐりを提唱。



家康は、徳川家の繁栄の為には民衆に一揆を起こさせない事が重要と考えました。


そこで、「七福神めぐりを行えば願いが叶う」という宣伝文句と共に七福神めぐりを流行らせて人々の心を穏やかにしようと考えました。




これは、縁起物好きの江戸市民の心をぐっと掴みます。


人々は遠くの神社まで足を運ぶように。


さらに江戸時代中期に入るとその年の縁起の良い方角にある神社をお参りする恵方参りも流行。



なぜ、三が日に「初詣」に行く?


このイメージを定着させたのが京急電鉄の戦略。


明治5年に日本初の鉄道となる新橋-横浜間が開通。





新橋、品川、川崎、鶴見、神奈川、横浜と6つの駅が設置されました。



この中で一番人気だったのが川崎。


その人気を支えたのが駅から3kmはなれた「川崎大師」


列車に揺られて川崎大師にお参りに行くのがブームとなった事で鉄道利用者は増えることに。


これに目を付けたのが京急電鉄の創業者・立川勇次郎。


川崎大師へのお参りルートに鉄道を敷設すれば利用客が見込めるのでは?とと考えます。


そこで明治32年に、川崎近くの六郷橋から大師を結ぶ2㎞の鉄道「大師電気鉄道(のちの京浜急行電鉄)」を開業。





この経営戦略は大当たりして鉄道利用客で大盛況。


恵方の年には、特に多くの乗客が来ることになります。


すると開業から5年目に立川勇次郎はさらに新しい路線を。


政府の官設鉄道に並行する形で民間でも同じルートに鉄道を開業。






品川-神奈川間に京浜電鉄(のちの京急電鉄)を建設。


こうなると同じルートに2つの鉄道が走ることになり、客の奪い合いが勃発。


明治38年に日本は日露戦争中。


官設鉄道は戦費調達のために運賃の値上げを実施。


京浜電鉄は好機とばかりに値下げ。


これで利用客を奪った京浜電鉄。


これに対抗して官設鉄道では年末年始限定の高速列車「最急行」の運行を開始して新橋-横浜間を1時間から27分に短縮。


料金も今までの半額にするという大規模改革。





安くて速いとなれば当然客は官設鉄道にとられます。


そこで立川の戦略は、「初詣(はつまいり)は川崎大師」と大々的に宣伝。


このようにして、「はつもうで」という呼び名に変化。




この作戦が大当たりし、毎年の年末年始になると初詣が恒例に。


これを見た他の鉄道会社も追従。


京成電車の成田山、阪神電車の西宮神社といったように「初詣=電車に乗って一斉に神社に向かう」イメージ戦略。


やがて世間の初詣のイメージが確立される事に。


また、明治6年に休日が定められて三が日が休日となった事で、一斉にこの時期に初詣に行くようになりました。


現在でも、多くの人が、京阪電車に乗って、初詣に行かれているようです。





結論


というわけで、


「なぜ一斉に初詣に行くようになった?」は、


「京急電鉄の戦略」


でした。



解説してくれたのは


川崎市民ミュージアムの鈴木勇一郎さん


所属機関・部署: 川崎市市民ミュージアム 学芸部門

職名: 学芸員
その他の所属(所属・部署名・職名) (1件):
立教大学 立教学院史資料センター センター員

研究分野 (1件): 日本史

研究キーワード (4件): 歴史 , 鉄道 , 都市 , 大学史

競争的資金等の研究課題 (2件):
2010 – 2013 近代日本のおみやげ文化に関する歴史的研究
Study on Town planning and garden city

論文 (31件):
川崎市の文化政策と市民ミュージアムの誕生. 川崎市市民ミュージアム紀要. 2021. 33. 3-30
鈴木勇一郎. 盆踊りの近代と川崎の地域社会. 川崎市市民ミュージアム紀要. 2020. 32. 5-20
鈴木 勇一郎. 小林一三の郊外開発と地域社会. 史海. 2019. 66. 4-18
鈴木 勇一郎. 立教のキャンパスとその立地について. 立教学院史研究. 2019. 16. 21-46
鈴木 勇一郎. 立教関係者11名の追放とその後. 立教学院史研究. 2018. 15. 31-59
(HPより)



川崎市民ミュージアム



今回も最後まで読んでくれてありがとう。
他の記事もよろしくね。


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