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なんで日本のラグビーのユニフォームはボーダー柄が多いの?→慶應義塾大学がタイガーカラーにしたら部員が増えたから

今回は、チコちゃんに叱られる! ▽卵の不思議▽頭がいいって?▽ラグビーの謎 初回放送日: 2023年6月23日の番組内容を紹介。


なんで日本のラグビーのユニフォームはボーダー柄が多いの?





なんで日本のラグビーのユニフォームはボーダー柄が多いの?


本日の最後の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、スポーツ観戦が大好きなステキな大人ってだーれ?」


この問題は竹山さんが回答者に。


チコちゃん「日本代表や日本の大学ラグビーのユニフォームは、ボーダー柄が多いわよね。なんで?」


日本代表




2019年ワールドカップに出場した国のユニフォーム


南アフリカ、ロシア、ウルグアイ、ニュージーランド





フランス、イングランド、ウェールズ、アイルランド





オーストラリア、日本、アルゼンチン、スコットランド




ほとんどが単色のユニフォーム。


ボーダー柄は、アルゼンチンぐらいです。


竹山さん「日本は日当たりの悪いところでラグビーをしていたから見やすいように。」といった趣旨の回答。


正解にし至らず、叱られちゃいました。



チコちゃんの答えは、「慶應義塾大学がタイガーカラーにしたら部員が増えたから」



慶應義塾大学がタイガーカラーにしたら部員が増えたから


ラグビーは1823年にイングランドのラグビー校で誕生。


その後はヨーロッパを中心に広まり、南アフリカ、オーストラリアなど南半球に広がりました。


当時のラグビーユニフォームといえばチームを象徴する1色。


イングランド代表はラグビー発祥となったとされるラグビー校のユニフォームカラーの白。


ウェールズ代表は旗に描かれているレッドドラゴンの赤。


オーストラリア代表は太陽を表す金。


この他にも南アフリカ代表は緑、ニュージーランド代表は黒など、単一の色。



一方、日本のラグビー界では、大学ラグビーを中止にに、ボーダー柄で2色の組み合わせが多い。


日本でラグビーが行われるようになったのは1899年。


慶應義塾大学の英語講師だったE.B.クラークという人物が生徒に教えました。


当時のユニフォームは?というとボーダーでなく、黒一色。




ラグビーはぶつかり合いが激しくてちょっと怖いイメージが先行していました。


ユニフォームも威圧感のある黒一色。


そのため、学生には人気が無いスポーツでした。


1903年にユニフォームが黒と黄色のボーダー柄に変更。



タイガーカラーにチェンジ。


このデザインを考えたのがラグビー部に在籍していた岡本謙三郎さん。




そのデザインの参考になったのがアメリカ・プリンストン大学のエンブレム。





プリンストン大学はアメリカ大学ラグビーの発展に大きく関わった大学。


憧れのようなものを岡本さんは抱いていたのでは?とのころ。





このユニフォームのおかげで、部員が少なかった慶應義塾大学ラグビー部には入部希望者殺到。


これが元になってラグビー人気の高まりました。


そして、ラグビー部創設にあたって大学カラーと他の色を組み合わせてボーダーにするユニフォームが次々と採用されることになりました。



最後に、チコちゃんもボーダー柄になり終了。





結論


というわけで、


「なんで日本のラグビーのユニフォームはボーダー柄が多いの?」は、


「慶應義塾大学がタイガーカラーにしたら部員が増えたから」


でした。



解説してくれたのは


ラグビー雑誌編集長の田村一博さん


田村 一博(たむら かずひろ、1964年10月21日[1]- )は、日本の編集者、ライター、コラムニスト、ラグビー解説者、ラグビージャーナリスト。熊本県出身[2]。

略歴
早稲田大学卒業後、1989年、ベースボール・マガジン社に入社[3]。大学ではラグビー同好会に入りそこでラグビーに初めて出会う。ポジションはフッカー。

その後ラグビーマガジン編集部・週刊ベースボール編集部にそれぞれ4年間務めて、1997年、ラグビーマガジンの編集長に就任[4]。
(大学HPより)



ラグビーマガジン



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