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なんで彫刻は裸なの?→人間の裸が一番美しいものだと思っていたから

今回は、 チコちゃんに叱られる! ▽甘いものの誘惑▽彫刻の謎▽ゴルフボールの不思議 初回放送日: 2023年7月21日の番組内容を紹介。


なんで彫刻は裸なの?





なんで彫刻は裸なの?


本日の2つめ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で芸術のわかるステキな大人ってだーれ?」


この問題は、清塚さんが回答者に。


チコちゃん「なんで彫刻は裸なの?」


清塚さん「ギリシャ時代は裸が神聖なもの。だから裸で彫った。」


正解に至らず、叱られちゃいました。



チコちゃんの答えは、「人間の裸が一番美しいものだと思っていたから。」



人間の裸が一番美しいものだと思っていたから


裸の彫刻が生まれたのは約3000年前の古代ギリシャ。


この頃は人間の体が美の基準とされていました。


当時の彫刻家たちは競って美しい人体を研究。


7頭身のプロポーションや、腕や足の長さの比率といった体のバランスが細かく数値化。


これらのデータをもとにして彫刻が彫られることもありました。


この彫刻のバランスは建物を建てる際の基準にも使われます。


他にも古代オリンピックに参加する男性は全員裸が基本。




鍛え上げた美しい肉体をアピールする目的もありました。


古代ギリシャでは神様は人間と同じ姿をしていると考えられていました。


神様の彫刻についても美しいとされる人間のバランスに則って作られました。


女性の裸の彫刻は男性の裸の彫刻に比べると約300年ほど遅れて作られるようになりました。


これは女性の裸をタブー視する文化から。


時間差が出来たようです。


芸術として捉えられる美しい裸の事を「ヌード」と表現。


現在用いられているような「裸=ヌード」という意味とは異なるようです。


本来は「見られる価値のある芸術的な裸=ヌード」という意味。


古代ギリシャ時代から時代が進んだ後の彫刻家たち。


イタリアのミケランジェロやフランスのロダンらも彫刻の源流である古代ギリシャの影響を多分に受けていました。



やはり作られる彫刻は裸。




こうして彫刻=裸というイメージが定着。


西洋の絵画にもこの「人間の体が一番美しい」という考えが取り入れられていました。




このため、裸の姿が描かれる事が多かったとのこと。


日本では女性の裸の彫刻が屋外展示されているケースが多いです。


これは世界的に見てもかなり珍しく、ほぼ日本だけの文化。


西洋では女性のヌード彫刻は美術館内など室内にあるのが普通。


公園や駅前など公共の場にたっているケースはほとんどありません。


日本では古くから庶民が裸に近いような格好で働いていたりしていました。




明治以前の日本では着物姿こそが美しい姿と捉えられる文化がありました。





明治時代以降に多くの外国人が日本にやって来るようになります。


すると近代国家にふさわしくないという理由で全国の条例によって裸での外出を禁止。




そこに西洋美術で一般的なヌードが入って来ました。


戦前は軍人の彫刻などが置かれていた街中に、戦後は平和のシンボルとして女性の裸の彫刻が置かれるように。


そこで「ヌードは芸術なので誰でも鑑賞して良いもの」という文化が生まれました。


そのうち裸=芸術なので公共の場に置いても問題なしという認識に。


この考え方は人間の体が一番美しいもの、尊いものとする西洋の考え方とは異なる考え方。


西洋美術の本質を理解していなかった日本人の誤解から来ていると先生のご意見。


今では海外の影響や反対の声によって公共の場から女性の裸の彫刻が撤去されつつあります。


抽象的なモニュメントなどに置き換えられたりという動きが進んでいます。


最後に、先生が素晴らしい芸術と考える彫刻を2つ紹介。


ヘルマフロディテ




プロセルピナの略奪




共に大理石とは思えない、肌の質感がすばらしいとのこと。



結論


というわけで、


「なんで彫刻は裸なの?」は、


「人間の裸が一番美しいものだと思っていたから」


でした。



解説してくれたのは


神戸大学大学院の宮下規久朗教授。


宮下 規久朗(みやした きくろう、1963年8月16日 – )は、日本の美術史家、神戸大学大学院人文学研究科教授。専門は、イタリア17世紀バロック美術。ただし、イタリアルネサンス美術はもちろん、近現代美術についても造詣が深い。

略歴
愛知県名古屋市生まれ[1]。愛知県立旭丘高等学校を経て、東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院人文科学研究科修了[2]。この間、1988年3月から9月までシエナ大学(イタリア)に留学。

1989年に兵庫県立近代美術館学芸員[2]、1992年東京都現代美術館学芸員(1995年開館)[2]。東京都現代美術館時代には、開館展で荒木経惟の担当となり、『アンディ・ウォーホル 1956-86:時代の鏡』展の企画に参加(1996年開催。企画のみで、開催時点には現代美術館を辞していた)。

1995年、神戸大学文学部助教授[2]、2007年から同大学院人文科学研究科准教授、2013年から教授。この間、1998年3月から翌年1月まで文部省在外研修員としてローマ大学[要曖昧さ回避]美術史研究所に留学。

受賞歴
1999年、第6回鹿島美術財団賞を受賞
2005年、『カラヴァッジョ―聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会・2004年)で、第27回サントリー学芸賞を受賞[2]。
2005年、同書で第10回地中海学会ヘレンド賞を受賞
(大学HPより)



神戸大学

神戸大学(こうべだいがく、英語: Kobe University)は、日本の国立大学である。兵庫県神戸市灘区に本部を置く。略称は神大(しんだい)あるいは神戸大(こうべだい)[注釈 1][注釈 2]。

概観
大学全体

百年記念館(神大会館)からの眺望
神戸大学は1902年(明治35年)に日本で2番目に設立された官立高等商業学校である神戸高等商業学校に開学の起首を持つ。現在は10学部[注釈 3]15研究科を設置する総合大学となっている。前身の神戸高商は、日清戦争後の急速な日本の経済の成長を背景に、実業界における人材需要が高まる中、東京高等商業学校(現一橋大学)に続く形で設置された。初代校長である水島銕也は東京高商との差別化を図るため、学理からより実践的な実学教育を重視した。1949年の学制改革による新制大学としての改組時に、日本で最初の経営学部を設置している。また、唯一の海事科学部[2]を設置している大学である。

学部学生数11,426人、大学院学生数4,444人、計15,870人[3]、教員数(常勤)1,288人[4]。

建学の精神(理念・学是)
「学理と実際の調和」を理念としている。神戸高等商業学校設立以来、「真摯」「自由」「協同」の精神で、社会に貢献するような指導的人材を育成する世界的研究・教育機関たることを目指している。

ビジョン
「先端研究・文理融合研究で輝く卓越研究大学へ」

教育および研究
イギリスの大学評価機関「クアクアレリ・シモンズ社」によるQS世界大学ランキング2020(2019年)では、第395位、アジア第59位である[5]。

2007年(平成19年)に、理学・工学・システム情報学・農学・海事科学の5研究科に加え、自然科学系の5つの研究センターが参加する学際組織、「自然科学系先端融合研究環」を設置。2016年(平成28年)に「先端融合研究環」へと改組。2011年(平成23年)には神戸ポートアイランドに先端的・融合研究を集積する目的で「統合研究拠点」を設置している。このように、文理・分野融合を意識した横断的な研究開発、人材育成に力を入れている。

EUインスティテュート関西のコンソーシアムメンバーとして参加しており、通常の留学支援だけでなく、専門教育と留学の双方を中心に据えた独自性の高い少数精鋭教育プログラム「EUエキスパート人材養成プログラム (KUPES)」[6]「5年一貫経済学国際教育プログラム (IFEEK)」[7]「KIBER Program」[8]等を実施している。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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