今回は、チコちゃんに叱られる! ▽ぎんなんの謎▽天ぷらに天つゆ?▽風の音の不思議 初回放送日: 2023年10月13日の番組内容を紹介。
なんで天ぷらは天つゆにつけて食べるようになった?
なんで天ぷらは天つゆにつけて食べるようになった?
本日の2問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、和食が好きなステキな大人ってだーれ?」
この問題は、大竹さんが回答者に。
チコちゃん「なんで天ぷらは天つゆにつけて食べるようになった?」
大竹さん「オレみたいな年寄りは歯ぐきの裏が弱くなっている。天ぷらうどん手前に柔らかくするため。」といった趣旨の回答。
正解に至らず、叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「鮮度をごまかしたかったから。」
鮮度をごまかしたかったから
天ぷらは室町時代にポルトガルから伝わったテンポーラという料理が源流.
この時は天つゆはまだ存在せずそのまま食べていました。
ここに天つゆをつけるきっかけになったのは明暦の大火がきっかけと言われています。
江戸時代に発生した日本史上最大級の大火災。
江戸の街は3日間にわたって燃え続けて街の3分の2が焼失。
その後の復興では全国から大工、左官などの職人たちが江戸に集まりました。
単身赴任状態で日々仕事に精を出すことになります。
食事をとるのは外食が主。
そこで重宝されたのが天ぷら屋台。
当時の江戸には寿司、蕎麦など数百軒以上の屋台があったといわれています。
中でも人気があったのが天ぷら。
その頃は魚介の天ぷらがほとんどでした。
その中でも特に職人たちに好まれたのはアナゴ、海老といったネタ。
しかし、常に新鮮な魚介を用意するとなるとかなり高価になってしまいます。
そこで、天ぷら屋台では市場で売れ残った鮮度の低い魚介を安く仕入れて提供していました。
鮮度が低くても食中毒が起こらないように長時間&高温の油で揚げます。
痩せた魚を豪勢に見せるためにぶ厚い衣で包んでかさ増ししました。
さらにここに追加されたのが天つゆ。
現代の天つゆはカツオ出汁、醤油、みりんなどで味付け。
すっきりとしたつゆが一般的。
一方、当時の天つゆは黒砂糖、醤油、酒を混ぜたものでかなり濃い味付け。
この濃厚なつゆでぶ厚い衣の脂っこさを和らげて、魚介の味の悪さを誤魔化していました。
さらに大根おろしで味を調整できるようなお店もありました。
当時の天ぷらは今でいうB級グルメ的な扱い。
子供も日常的に食べていました。
武士からしたら堂々と食べるにはちょっと恥ずかしい食べ物で、昔の絵では、顔を隠して買いに来る様子も。
れが次第に大名などの上流階級にも好まれるようになりました。
そして、お座敷で食べられる高級な料理へと徐々に変化。
ネタの新鮮で衣に高級品の卵が使われるようになりました。
こうして天ぷら自体の質が上がりました。
それに合わせて天つゆも徐々に現代風にあっさりとしたものに。
番組では、当時のてんぷらを再現。
衣は、たまごなしで、小麦粉と水のみ。
梅雨は、黒砂糖と醤油、酒で作成
これで鮮度がごまかせる極厚衣のてんぷらのできあがり。
結論
というわけで、
「なんで天ぷらは天つゆにつけて食べるようになった?」は、
「鮮度をごまかしたかったから」
でした。
解説してくれたのは
食文化史研究家の永山久夫さん。
永山久夫オフィシャルホームページ「長寿王国」
氏名:永山 久夫
ふりがな:ながやま ひさお
肩書き:食文化史研究家
出身都道府県:福島県
生年(西暦):1932
現住所:東京都
主な経歴:
1959年 福島県に米食文化研究所設立
1962年 東京に食文化研究所設立
1998年 総合長寿食研究所
(食と農の応援団HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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