今回は、チコちゃんに叱られる! ▽道路標識の謎▽ジャンボって?▽サケの不思議 初回放送日: 2023年12月15日の番組内容を紹介。
なんで大きいものの事をジャンボって言うの?
なんで大きいものの事をジャンボって言うの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、芸能界の大物の大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで大きいものの事をジャンボって言うの?」
チコちゃんの答えは、ジャンボという有名なゾウがいたから
ジャンボという有名なゾウがいたから
サバンナなどに生息するアフリカゾウ。
大きいもので体高が約4mにもなり現存する最大の陸上動物。
今回は、朗読劇で解説
朗読は、いつもの森本レオさん
アフリカゾウに「ジャンボ」という名前を付けたのはアフリカの一部地域。
そこで信仰されていた精霊の「マンボジャンボ」がその由来。
その他にスワヒリ語であいさつなどに使われるjambo(ジャンボ)などもありました。
しかし、いずれにしてもジャンボ=大きいという意味はありませんでした。
ジャンボという大きなゾウの名前として世界的に有名になったので、大きいという意味が後付けで広まりました。
ジャンボが生まれたのは1860年頃のアフリカ・スーダン。
そこからパリの国立植物園を経て1865年にロンドン動物園へ。
そこから16年以上に渡って動物園のトレードマークとして人々に親しまれました。
そんなある日、世界的に有名だったアメリカのサーカス興行師のP・T・バーナム。
「アフリカゾウを売ってほしい」と動物園側に依頼します。
実はジャンボは発情期になると飼育小屋を破壊するほど凶暴になるという性質を持っていました。
動物園側としても対応に苦慮。
そのうち大きな事故を起こしてしまうのでは?と危惧していた動物園側。
うれしい申し出として売却することになります。
アメリカ行きの為にジャンボを専用の運送用木箱に入れる必要がありました。
ジャンボは箱に入るのを嫌がり、嫌がりました。
イギリスの新聞でも報じられたこのジャンボ売却のニュース。
多くのイギリス国民の関心を呼びました。
そんな中でジャンボはアメリカへ
アメリカでも巨大ゾウのジャンボは大人気。
サーカスでもジャンボを前面に押し出しました。
こうして有名になったJUMBO(ジャンボ)の名前。
大きい物全般の代名詞のように使われるようになりました。
ジャンボ豚のポスター
ジャンボサイズのドリンクの告知
そしてジャンボ=大きいという意味が浸透。
とくにジャンボジェットの影響も大きかったようです。
ジャンボは1885年にサーカス公演後に列車移動をさせようとしている時に、別の列車に轢かれて死亡したとのことです。
結論
というわけで、
「なんで大きいものの事をジャンボって言うの?」は、
「ジャンボという有名なゾウがいたから」
でした。
解説してくれたのは
東海大学の丸山雄生准教授。
所属
文化社会学部 / ヨーロッパ・アメリカ学科
文学研究科 / 文明研究専攻
研究キーワード
アメリカ研究
動物
博物館
アメリカ文化
アメリカ史
アメリカ
論文
人間であること、動物になること、ゾンビにとどまること : 三つのエージェンシーと客体化
動物を見せることのフィクション:“life-like”の思想とテクノロジー
恐竜とハンティング:「赤ちゃん教育」から「ジュラシック・パーク」まで
アメリカン・ゴリラの愛と死:「改革の時代」のサルたち
20世紀転換期アメリカの動物表象と自然の形成—剥製・博物館・記念碑・映画—
カール・エイクリーと剥製術の発展:20世紀転換期アメリカにおける自然、文化、科学の境界
ジャンボ・ドメスティケーション–19世紀末における動物の展示とセンチメンタリズム
象の絞首刑–アメリカ史における人間−動物関係の対立的側面
(大学HPより)
東海大学(とうかいだいがく、英語: TokaiUniversity、公用語表記: 東海大学)は、東京都渋谷区富ヶ谷二丁目28番4号に本部を置く私立大学。1942年創立、1946年大学設置。大学の略称は東海(とうかい)、東海大(とうかいだい)。
概観
大学全体
創立者の松前重義
1942年12月に創立した財団法人国防理工学園が、国防理工科大学の設立構想の一環として、旧・専門学校令により、1943年4月に航空科学専門学校を開設。第二次世界大戦の終戦日の1945年8月15日付で同一法人内の電波科学専門学校と合併[注釈 1]し東海専門学校となり、同年10月に東海科学専門学校と改称。1946年に旧・大学令によって、旧制東海大学に昇格。学制改革に伴い、1950年4月に新制東海大学となった。
創立者は、逓信省(現・総務省・NTT等)工務局長で、後に逓信院の総裁となる工学博士・松前重義。松前は、「戦後資源の乏しい日本の発展には、科学技術の開発と平和利用が必要だ」と述べている。東海大学は、創立者の精神を受け継ぎ、明日の歴史を担う強い使命感と豊かな人間性をもった人材を育てることにより、「調和のとれた文明社会を建設することのできる人材を育成する」という理想を高く掲げている。
東海大学は当初、静岡県静岡市清水区三保に本部を、東京都内に分校を設置していた。しかし、戦後の劣悪な社会的・経済的な混乱により、一時は学園閉鎖の危機に瀕する。その窮状を脱するため1955年、東京都の学校法人名教学園と合併。これを機に東京都渋谷区富ヶ谷に本部を置く大学となった。2008年4月には、同一法人内の九州東海大学および北海道東海大学、東海大学短期大学部高輪キャンパスを改組・再編して、東海大学本体に統合させた。
全国にキャンパスを展開する日本有数の総合大学である。
2018年度の志願者数は52,022人で日本の私立大学[3] の中で第15位である。
建学の精神
望星学塾での松前重義(前列左から2番目)と篠原登(前列右から2番目)
創立者・松前重義が唱えた、下記の「教育の指針」が、それに準じた扱いを受けている。これは、学校法人東海大学の母体となっている望星学塾に掲げられていた四つの言葉であり、それがそのまま引き継がれたものである。ここでは、身体を鍛え、知能を磨くとともに、人間、社会、自然、歴史、世界に対する幅広い視野をもって、一人ひとりが、人生の基盤となる思想を培い、人生の意義について共に考えつつ、希望の星に向かって生きていこうと語りかけている。
若き日に 汝の思想を培え
若き日に 汝の体躯を養え
若き日に 汝の智能を磨け
若き日に 汝の希望を星につなげ
教育理念
人文科学と自然科学の融合による確固たる歴史観、国家観、世界観を把握させ、「文理融合」を目指し、知識偏重教育を取らず幅広い視野と柔軟な発想力を持つ人材の育成を目指している。また、教育・研究機関として人材、知識、技術、機能を有し、常に教育改革を推進し、最新の研究に取り組むとともに、その成果の社会への還元に努めることを目標としている[4]。
(Wikipediaより)
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