今回は、チコちゃんに叱られる! 天狗(てんぐ)とは▽なぜナンが?▽洗濯物の不思議 初回放送日: 2024年2月9日の番組内容を紹介。
天狗ってもともと何?
天狗ってもともと何?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、言い伝えを信じるロマンチックな大人ってだーれ?」
チコちゃん「天狗ってもともと何?」
チコちゃんの答えは、「流れ星」
流れ星
天狗の元祖は中国の妖怪。
その正体は流れ星。
流れ星は宇宙に漂うチリが地球の大気にぶつかった時に燃える現象。
天狗が誕生した古代中国ではまだ流れ星は未解明。
さらに大気圏で燃え尽きなかった大きなサイズの流れ星は衝撃波を発生。
その際に発する音が犬の吠える声に聞こえました。
そこから「天の狗(いぬ) → 天狗」という名称に。
現在でも中国や台湾では天狗=犬の姿という認識。
何か不吉な事が起こる前兆という意味合いがあるそう。
日本で初めて天狗というワードが使われたのは奈良時代の日本書紀。
遣隋使の僧侶が「大きな流れ星=天狗」という概念を初めて日本に導入。
ところが当時は漢字が読めない日本人が多かった。
そのことから天狗はあまり定着しませんでした。
これが平安時代中期になると貴族やお坊さんなどの知識人の間で天狗が復活。
時代に合わせて様々な姿形で描かれるようになりました。
日本では犬が妖怪になるという考え自体があまり無かったよう。
9世紀頃の中国からキツネが人を化かすという考えが広まったことで天狗はキツネに。
これが平安時代後期になると空を飛ぶイメージと結びついて鳥のトビに変化。
トビは、仏道の修業を妨げる怪物、
仏の道に外れてしまうと死後に天狗になってしまうといったことに。
これは今でも使われる「天狗になる」という慣用句の大本。
もともとは欲にまみれて傲慢になってしまったお坊さんを天狗と表現したのが始まり。
そしてさらに時代を経て室町時代。
京都の鞍馬山にすむ天狗を描いた鞍馬天狗という能の演目が作られました。
そこで描かれた天狗のイメージは鼻高ではなく「鼻デカ」。
これはトビのくちばしが鼻に転じた事でいわゆる鷲鼻のような姿になったと考えられています。
この時代の天狗は鼻の大きい大天狗がトビの姿をした小天狗を率いているイメージ。
狩野元信が夢に出て来た天狗のイメージをもとに描いた「鼻の高い天狗」が代表例に。
また、山にこもって修行する山伏と天狗が同一視されるようになります。
やがて山を守る神様に変化。
八大天狗なども誕生。
こうして様々な形に変化した天狗は江戸時代になると最終的に48体の天狗になったり。
ちなみに秋葉原という地名は天狗が由来になっているそう。
明治2年に東京・神田で起こった大火災の避難場所として作られたのが秋葉原。
火伏せの神様である秋葉権現は天狗の姿。
秋葉権現を祀ったので「あきばはら → あきはばら」という地名になったとのこと。
結論
というわけで、
「天狗ってもともと何?」は、
「流れ星」
でした。
解説してくれたのは
兵庫県立歴史博物館の香川雅信さん。
学芸課長兼県立美術館課長
香川 雅信(かがわ まさのぶ)
専門分野
日本民俗学
学位
博士(学術)
所属学会
日本民俗学会 / 日本文化人類学会 / 近畿民具学会 / 四国民俗学会 / 比較日本文化研究会
自己紹介
民俗担当の香川と申します。担当する展示室は「こどもはくぶつかん」、「ひょうごの祭り」、それから「歴史工房」の「昔のくらし」のコーナーです。
主な研究テーマは、「妖怪」と「玩具」です。平成18年に総合研究大学院大学に「妖怪」に関する博士論文を提出し、博士号を取得しました。当時、日本の妖怪研究で博士号を取った人はほかにいなかったので、日本初の「妖怪博士」かも知れません。
「妖怪を研究しています」と言うと必ず聞かれるのが「妖怪っているの?」ということですが、これは正直「わかりません」としか答えようがありません。私は「妖怪がいるかいないか」を研究しているのではなく、むしろ「いない」ことを前提に、「人間はなぜ、妖怪を必要としてきたのか」を研究しているので、「妖怪がいるかいないか」ということには、あまり関心がありません。それに、妖怪が実際にいたとしたら、それはもはや妖怪ではなく、ただの珍しい動物です。妖怪は、いないからこそ「妖怪」なのです。
「いないものを研究できるのか?」と言う人もいます。これも、私は「妖怪そのもの」を研究しているわけではなく、「妖怪を必要としてきた人間(の文化)」の方を研究しているので、まったく問題はありません。その意味で、生物学者が生物を研究するのとは違うと言えます。
日本には数多くの妖怪が伝承されています。そうした妖怪の伝承を人間はなぜ生み出したのか、人間の文化・社会の中で妖怪はどのような役割を果たしてきたのか、そういったことを研究するのが私の妖怪研究です。
(HPより)
兵庫県立歴史博物館(ひょうごけんりつれきしはくぶつかん、Hyogo Prefectural Museum of History)は、兵庫県姫路市にある歴史系博物館。前館長は端信行。現館長は藪田貫(2014年4月から)。
概要
1983年に開館した。所在地は姫路城址内中曲輪の武家屋敷跡で、好古園、姫路市立美術館、姫路市立動物園、姫路文学館などの文化施設が集まるエリアにある。 建物は近代建築家丹下健三により現代の城をイメージして設計された。
常設展示室では原始から近現代に至るまでの兵庫県の歴史を中心に展示するとともに、姫路城をはじめとする日本全国の城郭を、建築・歴史・城下町等様々な視点から紹介している。
主な収蔵品
重要文化財(国指定)
絹本著色仏涅槃図 – 鎌倉時代
兵庫県指定文化財
安倉高塚古墳(宝塚市)出土品
赤烏紀年銘神獣鏡
内行花文鏡
木造多聞天立像
エントランス
エントランスホール
孔雀文磬
絹本著色不動明王二童子像
播磨国総社三ツ山祭礼屏風
(Wikipediaより)
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