今回は、チコちゃんに叱られる! ▽好きな気持ちが冷める謎▽横じまユニフォーム? 初回放送日: 2024年4月12日の番組内容を紹介。
なんでグリーン車は緑色じゃないのにグリーン?
なんでグリーン車は緑色じゃないのにグリーン?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、旅行が好きあステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでグリーン車は緑色じゃないのにグリーン?」
チコちゃんの答えは、「1等車に緑の帯が入っていたから。」
1等車に緑の帯が入っていたから
グリーン車という名称は愛称で正式名称は特別車両。
現在はグリーン車と普通車という区別になっています。
しかし、日本の鉄道が開業した頃の客車は1等車、2等車、3等車に分けられていました。
そして内装や運賃が大きく違っていました。
1等車は展望デッキを備えていたり。
政府要人や上流階級の人々が乗る高級車両でした。
しかし、戦後の民主化によって階級社会がなくなります。
そうなると1等車を使う人が激減。
そのために1960年には1等車が廃止。
それまで2等車だったものを新1等車、それまでの3等車を新2等車にげ
こうして二区分に変わりました。
しかし、新2等車も冷房完備だったりと設備が整っていたために新1等車と新2等車はその差がほぼ無い状態に。
こうなると高いお金を払って新1等車を使う意味が無いので利用数は減少に。
そこで新1等車、新2等車の運賃を同額に。
そして新1等車はリクライニングシートを採用して設備を充実させました。
特別料金という名目で運賃に上乗せして徴収することの。
この時に新1等車を特別車両、新2等車を普通車両と改めてました。
そして、分かりやすいようにという配慮から特別車両をグリーン車と呼ぶように。
1969年にグリーン車が発表された際には「緑色=安全」と快適さに通じる色という説明が。
さらに新1等車の車体に薄緑色の帯が描かれていた事もグリーン車の由来に。
塗装コスト削減の観点から緑色の帯は現在はなくなりましたが、今でも当時の名残でグリーン車と呼ばれています。
この他にも新1等車の指定席のヘッドカバーが薄緑色だったからという由来も。
グリーン車の4年前に新設されたみどりの窓口から来ている説もあるとのこと。
「緑が安全快適のイメージカラー」「新1等車の緑色の帯」「ヘッドカバー」「みどりの窓口」
このようにグリーンに何かと関連があったのでグリーン車になったとのこと。
結論
というわけで、
「なんでグリーン車は緑色じゃないのにグリーン?」は、
「1等車に緑の帯が入っていたから」
でした。
解説してくれたのは
鉄道博物館の奥原哲志 主幹学芸員。
鉄道博物館(てつどうはくぶつかん、英: The Railway Museum)は、埼玉県さいたま市大宮区大成町三丁目にある鉄道博物館[報道 1]。
東日本旅客鉄道(JR東日本)の創立20周年記念事業のメインプロジェクトとして、2006年(平成18年)5月14日に閉館した交通博物館に替わる施設として、2007年(平成19年)10月14日の鉄道の日に開館した[報道 1]。公益財団法人東日本鉄道文化財団が運営している。また、建設と運営には日本貨物鉄道(JR貨物)も協力している[報道 2][報道 1][注 1]。
愛称は「てっぱく」「鉄博」。設計はジェイアール東日本建築設計事務所。なお鉄道博物館の名称は登録商標(第4816677号、第4828417号)。
概要
鉄道博物館のコンセプトは次のとおり。
日本と世界の鉄道に関する遺産と資料を広く人々に公開し、かつ旧日本国有鉄道の改革および東日本旅客鉄道に関する資料を保存し調査研究を行う。
鉄道システムの変遷を鉄道車両などの実物展示を中心に各々の時代背景を交えながら産業史として公開する。
鉄道の原理・仕組みと最新の鉄道技術、将来の鉄道技術を子供たちに模型やシミュレーション、遊具を使いながら体験的に学習できる。
車両展示スペースの線路は実際の営業線(大宮総合車両センターを含む)とも結ばれており、車両の入れ替えなどが可能なように設計されている[注 2]。
当館が建設された場所は車両解体場(浦和電車区大成派出)の跡地で、それ以前は非電化時代の川越線用気動車の留置線であった。
(Wikipediaより)
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