今回は、チコちゃんに叱られる!▽なぜピースをする▽誕生日の不思議▽噴水の謎初回放送日:2024年7月19日を紹介。
なんで写真を撮る時に日本人はピースをするの?
なんで写真を撮る時に日本人はピースをするの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、写真に撮られるのがステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで写真を撮る時に日本人はピースをするの?」
チコちゃんの答えは、「井上順のせい」
井上順のせい
空港で各国の団体客に記念撮影をしている方にインタビューしてみると、
アメリカ → 肩を組む
イタリア → 肩を組んだり、腰に手を当てる
メキシコ → 顔だけ違う方向でモデル風
ブラジル、オランダ、ドイツ、フランス、マルタ、ベルギー → 特にポーズはないとのこと。
一方、日本ではピースサインをするパターンが圧倒的に多い。
このピースが日本で広まるきっかけが井上順さん。
井上順といえば1963年に16歳でザ・スパイダーズに加入。
ボーカルとして活躍した後にタレント・俳優として芸能界で長く活躍した人。
ピースサインを世界的に広めた人物?
ピースサインを世界的に広めた立役者の一人がベルギーの法務大臣だったヴィクトル・ド・ラブレー氏。
第二次世界大戦中にヒトラー率いるドイツがベルギーを制圧した時。
ラブレー氏はフランス語のVictoire(勝利)、オランダ語のVri jheid(自由)などの頭文字からVサインを考案しました。
ベルギーを占領するドイツ軍に対してこのVサインを繰り返し見せる事で、侵略者に対してプレッシャーをかける目的でした。
また、ベルギー国内の一致団結を促す狙いもあったとのこと。
後にベルギー国外へもこの運動が波及。
イギリスを中心とした連合国の間でV for Victory(勝利へのV)キャンペーンとして大きな動きへ。
そしてこのキャンペーンから4年後の1945年にドイツは遂に無条件降伏となります。
その翌日にイギリスのチャーチル首相は詰めかけた群衆の前でVサインを披露。
そして、勝利を宣言。
これがVサインが世界中に広がるきっかけになりました。
勝利のVサイン → 平和を願うピースサインに転換するきっかけは?
アメリカ・ニューヨーク郊外で開催されたウッドストック・フェスティバルが転機の場所に。
この場所が、勝利のVサイン → 平和を願うピースサインに転換する大きなきっかけになりました。
1969年に3日間に渡って開催されたコンサートイベントのウッドストック・フェスティバル。
愛と平和をテーマに観客約50万人が熱狂。
この音楽史に残る伝説のコンサート。
当時カリスマ的人気を誇っていたジミ・ヘンドリックス氏。
アメリカ国歌を演奏しながらVサインを披露するというパフォーマンス。
当時のアメリカは長期化するベトナム戦争の最中。
アメリカ大統領のリチャード・ニクソンは戦争への勝利を誓ってVサインを演説中に披露。
しかし、愛と平和のイベントでアメリカ国歌演奏中にこのVサインを示したジミ・ヘンドリックス。
そこに痛烈な皮肉が込められていました。
戦争を続ける国家に勝利して平和を取り戻すという平和へのメッセージがもともとのVサインの意味。
ピースの掛け声と共にVサインを掲げる反戦デモに繋がりました。
このように戦いの勝利を意味していたVサインは、ジミヘンドリックス氏のおかげで、平和を願うピースサインという意味も付け加えられるように。
そして巡り巡ってこのピースサインは日本でも広まることになりました。
そのきっかけが、井上順が小型カメラのCM撮影でアメリカを訪れたのがきっかけ。
ウッドストックのコンサートから数年たった1972年頃に渡米した井上順氏。
アメリカ国内のあらゆる場所で事あるごとに「ピース!」と声をかけられて非常に強い印象を抱きました。
撮影現場でも、関係者が「ピース!」
実際の撮影でアドリブで「ピース!」とVサインをしてしまったとのこと。
このカメラのCMは大きな話題を呼んでピースサインが大流行。
その後、写真を撮る時の定番ポーズになったとのこと。
その後、番組では一般家庭に協力してもらってCMが放送された1972年の前後で写真のポーズをチェック。
1972年以前は肩を組んだり、遠くを見つめていたり、腕組みしたりとピースサインで写っている写真はありませんでした。
1977年の写真でピースサインをしている写真を発見。
その後は、ピースサインの写真をたくさん発見されることに。
は以上。
※韓国や中国でも写真を撮るときにピースをすることがおおいそうです。
ピースサインはもともと一部の反戦デモで使われていましたが、一気に広まったのはジミヘンドリックス氏の影響とのこと。
結論
というわけで、
「なんで写真を撮る時に日本人はピースをするの?」は、
「井上順のせい」
でした。
解説してくれたのは
恵泉女学園大学の桃井和馬教授。
桃井 和馬(モモイ カズマ)
MOMOI KAZUMA
職名
教授
担当科目
メディア社会学、伝えるための「写真・文章」表現、歩いてみた世界史・国際社会、メディアリテラシーとプレゼンテーション、宗教から読み解く国際情勢&平和、メディア・アーカイヴ論
専門分野
国際関係、宗教、メディア論、写真・文章表現
業績紹介
(※別ページに飛びます)
メールアドレス
momoikaz@keisen.ac.jp
幼い頃から、何にでも興味を持ち、せわしなく動き回っていました。「落ち着きがない」と言われたことは数知れず。しかし、コンプレックスでもあったそんな落ち着きのなさが、実は今まで世界を歩き続けてきた原動力だったのです。
(大学HPより)
恵泉女学園大学(けいせんじょがくえんだいがく、英語: Keisen University)は、東京都多摩市にある私立大学。学校法人恵泉女学園によって運営されている。
創設者は河井道。リベラルアーツ(教養教育)主義の大学。2023年度をもって学生募集を停止した[1]。
建学の精神
学校法人恵泉女学園の「聖書」「国際」「園芸」、および建学の理念を掲げる[2]。
自己を尊重し、人種や階級に関わりなく他人を尊重すること
日本女性が世界を知り、偏見をなくし、それに対峙すること
自然を慈しみ、生命を尊び、人間の基本的なあり方を学ぶこと
1988年の大学創立にあたり、以下の大学独自の理念を追加した[2]。
考える大学:学問の出発は、考えること、疑問を持つこと、批判することにあるとして、真剣に自分で考え活発に討議しあう、考える大学でありたい。
平和をめざす女性の大学:平和と共存を担うものとして、社会で活躍する女性を育てる大学でありたい。
地球大学:地球規模でものを考え、欧米やアジアに焦点をあわせた文化・語学を学べる大学でありたい。
大学の教育理念
大学の教育理念は、以下の3点である[2]。
自己を尊重し、自己を愛するように他者を尊重する人を育てる
世界を知り、偏見や差別に立ち向かう力を育む
自然を慈しみ、いのちを尊ぶ人を育てる
2016年に学長に就任した大日向雅美は「生涯就業力」を唱えた[3]。
大学の特色
必修の共通教養科目として、「キリスト教学入門」「平和研究入門」「生活園芸」が設けられている。
体験学習として、FS(フィールド・スタディ)やCSL(コミュニティ・サービス・ラーニング)、FT(フィールド・トリップ)、文化現地研修などのプログラムがある[4]。 「体験学習」は、文部科学省の2006年度「特色ある大学教育支援プログラム」(特色GP)に選定された[4]。
「生活園芸」を中心とする園芸科目では、学生がキャンパスに隣接した大学教育農場(町田市小野路町)で有機園芸を体験する。教育機関としては日本で初めてJAS認定を受けた面積約7000平方メートルのオーガニックファームを有する[3]。(「生活園芸」は、文部科学省の2007年度特色GP選定[5])
大学敷地内には様々な花壇が設けられている[6]。また、多摩センター駅のメイン通りであるパルテノン通りの公共花壇の管理も行っている[7]。2017年、同活動により、多摩市まちの環境美化条例に基づく表彰を受けた[7]。
1989年、キャンパスが「公共の色彩賞-環境色彩10選」[注 1]に選定された[8]。キャンパスはテレビや映画のロケ地として、たびたび使用されている。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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