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なんで誕生日を祝うの?→誕生日に年をとることになったから

今回は、チコちゃんに叱られる!▽なぜピースをする▽誕生日の不思議▽噴水の謎初回放送日:2024年7月19日を紹介。


なんで誕生日を祝うの?



なんで誕生日を祝うの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、楽しい誕生日を過ごしてそうなステキな大人ってだーれ?」



チコちゃん「なんで誕生日を祝うの?」


チコちゃんの答えは、「誕生日に年をとることになったから。」



誕生日に年をとることになったから


日本では元日に1つ年をとる数え年(生まれた瞬間から1歳として元日に全員一斉に年をとる数え方)の習慣が根付いていた歴史があります。



これは命をいくつ持っているか?を基準にした考えがベースになっています。


人間は生まれた瞬間から一つ命を持っているので1歳。


そして新年を迎えるたびに魂を一つ獲得して年を取っていくのが数え年。


日本では古くから大晦日から元日にかけてを「年取り」と呼んでみんなでお祝いをする習慣がありました。


一方で誕生日はただの生まれた日を意味するだけ。


特にその日が年齢に強く影響していませんでした。


そのため、大きな祝い事もありませんでした。


明治35年に年齢計算に関する法律が公布。


西洋文化に合わせて誕生日に年を1つ取る満年齢制度が導入される事に。


満年齢は生まれた日を0歳として、次の誕生日を迎えると1歳になるという数え方。



国が満年齢を推し進める一方、昭和に入ってからも数え年は庶民の間で脈々と使い続けられていました。


いわゆるダブルスタンダード状態。


二つの基準が同時に存在することになりました。


これは大きな混乱を生むことになります。


例えば、出生届の不正提出や、食料配給の誤りなど。


昭和20年代、当時から法律的に子供が生まれてから14日以内に提出する事になっていた出生届。


数え年の影響で12月生まれだと年が明けた1月に届けを出せば良いと勘違いする人が続出。


当時の出生数の記録を見てみると12月生まれが極端に少なくて1月生まれが多いということに。



昭和22年の月別出生数は、1月と12月で、その差、10万人。


他にも戦後復興中の日本では不足する生活物資を配給する制度がありました。


本来は満年齢に従って食料の内容が決められるルール。


数え年もごちゃまぜになってしまった事でトラブルが発生することに。


10月生まれで元日に生後2か月の赤ちゃんなのに、数え年だと2歳。


食べられないキャラメルとビスケットが配給されるといった事も頻繁に。


このようにスタンダードになり切れない満年齢制度でした。


しかし、昭和24年に改めて年齢に関する法律が発令。


これが昭和24年に公布された「年齢のとなえ方に関する法律」


この法律によって満年齢を常に使用するように改めて義務付けることに。


数え年から満年齢に切り替えると、合法的に数字上若返る事に。


終戦直後の暗いムードの中で何だかちょっと明るいニュースということで国会でもとりあげられることに。




こうして満年齢の数え方に統一されたことで自分の誕生日が非常に重要な日付になりました。


そして、誕生日に年を取るお祝いを行うように徐々に変化が。


アメリカ文化が日本にやって来ると誕生日にケーキを食べたり、プレゼントを贈る習慣が庶民にも一気に広まることに。


一方で、満年齢に切り替わった事で100歳を超えていた高齢者の数が約半分に激減するこいうことに。




結論


というわけで、


「なんで誕生日を祝うの?」は、


「誕生日に年をとることになったから」


でした。




解説してくれたのは



国立歴史民俗博物館の新谷尚紀名誉教授。


新谷 尚紀(しんたに たかのり、1948年11月18日 – )は、日本の民俗学者。
國學院大学教授、国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学名誉教授。

経歴
広島県生まれ。
1971年早稲田大学第一文学部史学科卒業、1977年同大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得。
1998年「死・葬送・墓制をめぐる民俗学的研究」で慶應義塾大学社会学博士。
山村女子短期大学助教授、国立歴史民俗博物館助教授、教授、総合研究大学院大学教授、2010年定年退官、名誉教授、國學院大学文学部教授。
(Wikipediaより)






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