今回はチコちゃんに叱られる! ▽コンソメとは▽教室の窓の謎▽なぜおそろいに? 初回放送日:2024年11月22日を紹介。
なんで教室の窓は左側にあるの?
なんで教室の窓は左側にあるの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お勉強を頑張ったステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで教室の窓は左側にあるの?」
チコちゃんの答えは、「右利きばかりだったから。」
右利きばかりだったから
右利きの人がペンを持った時に右側から光が当たると左に向かって影が出来てしまいます。
左から光が当たるように左に窓を作りました。
これが、教室の基本的な作り。
このルールが決まったのは明治時代。
学校に行く前の家庭教育で「箸は右手、お茶碗は左手」とほぼ全員が右利きに矯正されるのが当たり前だった時代。
左利きはほぼゼロでした。
学校生活でも習字の筆遣いは右、裁縫で使うハサミも右利き用だけで右利きが基本。
このような学校教育が行われていました。
日本の教室デザインのベースとなっているのはヨーロッパ。
イギリスのアーサー・ニューズホームさん。
学校衛生学の専門家が学校建築に必要な要素として「水・空気・光」の3つ。
19世紀末は病気の蔓延を防ぐために水はけ、風通しが良い土地に学校を建てるが求められた時代。
電気も存在していなかったので自然光を上手く取り入れる工夫も重要でした。
ただし、窓の位置についてはヨーロッパで特に言及はされていませんでした。
独自の工夫を盛り込んだのが日本。
国の学校衛生の担当だった三島通良氏。
明治26年に右側から採光してしまうと「手暗がり」になってしまうので光線は必ず左から採光すべきと提言しました。
これをもとにして明治28年に学校建築の基本ルールが作成。
国としての指針が決まりました。
ちなみにこの時代はノートや鉛筆などは高級品。
学生が使えるような代物ではなく、この頃の筆記用具として学校教育で使われていたが石板や石筆でした。
石板&石筆は書いては消してを繰り返せるもの。
影がかかると石板の黒と重なって余計に見づらいことに。
特に、夏至と当時では大きな差が。
手元を明るくして生徒のストレスを軽減して勉強に集中させるため。
多くの教室(理科室など)の窓も左側。
学校によっては音楽室は防音壁を使うために窓は正面に付いています。
また、パソコンを使う教室では逆に光が邪魔になるので窓は正面だったり。
授業内容によって窓の位置を変えたりしています。
現在の学校教育はタブレットを活用するのが普通。
そうなると光の映り込みなども加味して採光も工夫する時代になっているとのこと。
結論
というわけで、
「なんで教室の窓は左側にあるの?」は、
「右利きばかりだったから」
でした。
解説してくれたのは
教育評論家の尾木ママこと尾木直樹先生。
尾木 直樹(おぎ なおき、1947年1月3日 – )は、日本の教育評論家、法政大学名誉教授、臨床教育研究所「虹」主宰。愛称は「尾木ママ」[1][2][3]。
来歴
姉と弟を持つ3人姉弟の真ん中として誕生する。滋賀県坂田郡伊吹町(現:米原市)生まれ[4]。高松第一高等学校[5]を経て早稲田大学教育学部[6]卒業後、高校・中学校教諭、東京大学教育学部非常勤講師などを歴任。教員生活22年間を経て1994年に教員を退職。同年、臨床教育研究所「虹」を設立[7]。東日本大震災後の被災地に何度か足を運び、教育や子育て支援活動にも取り組んだ[8]。2011年7月2日、故郷の滋賀県米原市の「まいばらふるさと大使」に任命され、講演先の大津市で委嘱式が行われた[9]。
早稲田大学大学院客員教授、法政大学キャリアデザイン学部教授、法政大学教職課程センター長・教授[7]などを経て、2017年4月から法政大学特任教授。2019年から法政大学名誉教授。これまでに200冊を超える著書を上梓し、講演会は若年層を中心に超満員となっている[10][11][12][13]。
職歴
1971年3月 – 中学校1級・高等学校2級国語科教諭免許取得
1972年4月 – 海城高等学校教諭( – 1976年3月)
1976年4月 – 東京都東村山市立東村山第一中学校教諭( – 1980年3月)
1980年4月 – 東京都練馬区立中学校教諭(練馬中学校・石神井中学校)( – 1993年3月)
1990年10月 – 東京大学教育学部学校教育学科非常勤講師( – 1992年3月)
1992年10月 – 日本福祉大学社会福祉学部非常勤講師( – 1992年10月)
1993年4月 – 東京都国分寺市立第一中学校教諭( – 1994年3月)
1994年4月 – 東京経済大学非常勤講師( – 1998年3月)
成蹊大学文学部非常勤講師( – 1999年3月)
法政大学文学部非常勤講師( – 2001年3月)
臨床教育研究所「虹」設立( – 現在)
1995年4月 – 早稲田大学第一・第二文学部非常勤講師( – 1996年3月)
岩手大学非常勤講師( – 1996年3月)
2001年4月 – 早稲田大学大学院文学研究科非常勤講師( – 2002年3月)
2004年4月 – 早稲田大学大学院教育学研究科客員教授( – 2012年3月)
法政大学キャリアデザイン学部教授( – 2017年3月)
2012年4月 – 法政大学教職課程センター長( – 2017年3月)
2017年4月 – 法政大学特任教授
2019年9月 – 法政大学名誉教授
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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