今回はチコちゃんに叱られる! ▽動物園の謎▽なぜ木は長生き▽なぜジョッキで飲む 初回放送日:2025年7月11日を紹介。
なんでビールは500mlジョッキで飲むの?

なんでビールは500mlジョッキで飲むの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、ビールをおいしそうに飲むステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでビールは500mlジョッキで飲むの?」
チコちゃんの答えは、「パワー不足の日本人だったけどドイツのビールを好きになったから。」
パワー不足の日本人だったけどドイツのビールを好きになったから
日本でビールジョッキはなぜ500ml? 江戸時代から続く日本のビール文化の意外な歴史
喉が渇いたとき、キンと冷えたジョッキでビールをゴクゴクと流し込む。
これは私たち日本人にとって、夏の定番であり、至福のひとときです。
しかし、なぜ日本では500mlのジョッキが主流なのでしょうか?
そして、いつ頃から日本人はビールをジョッキで飲むようになったのでしょうか。
日本のビール文化の歴史を紐解くと、意外な事実が見えてきます。
江戸時代に伝来、明治時代に花開いたビール文化
日本にビールが伝わったのは、江戸時代中期まで遡ります。
長崎の出島で貿易をしていたオランダ人が持ち込んだのが始まりとされています。
1788年に記された資料には、すでにビールを飲むための「びいるがらす」のイラストが紹介されていました。
当時のオランダ語の資料にもビアグラスや取っ手付きのジョッキの記述が見られます。
ただし、この時代のビールは非常に貴重であり、主に日本に滞在していた外国人だけが楽しむ飲み物でした。
日本人が日常的にビールを飲むようになるのは、明治時代に入ってからです。
ドイツへの憧れと1Lジョッキとの出会い
明治時代、日本は近代国家を目指すうえで、ドイツをお手本として国づくりを進めていました。
多くの医学生などがドイツに留学し、現地の文化に触れる機会が増えました。
留学生たちは、ドイツのビアホールで豪快にビールを楽しむ光景を目にします。
ドイツではとにかくビールが大量に消費されており(現在の年間消費量は日本の約2.5倍!)、小さなグラスでちびちび飲むよりも、大きな1Lの取っ手付きジョッキで一気に飲むのが一般的でした。
この豪快なスタイルを目の当たりにした留学生たちは、「これが本場のビールの飲み方か」と感銘を受け、日本のビール文化もドイツの影響を強く受けることになります。
1Lジョッキが大きすぎた? 500mlが日本に定着した理由
ドイツの豪快なビール文化が日本に伝わる中で、ある問題が発生しました。
それは、明治時代の日本人の体格です。
当時のドイツでは1Lジョッキが主流でしたが、明治時代の日本人の体格は現代と比べてもかなり小柄でした。
平均的なサイズは、男性で約157cm、約50kg、女性で約147cm、約47kg程度だったとされています。
この体格で1Lのジョッキにビールを目一杯注ぐと、その重さはなんと約2.4kgにもなります。
普段おちょこや湯飲みで日本酒を飲んでいた当時の日本人にとって、これは扱いきれないほどの重量でした。
そこで選ばれたのが、ドイツでも使われていた500mlジョッキです。
1Lジョッキの半分のサイズである500mlジョッキは、日本人の体格でも扱いやすく、これが現代まで続く「日本的ビールジョッキのスタンダード」として定着したのです。
日本向けジョッキの秘密:喉越しを追求した取っ手の位置
私たちが普段見かける500mlジョッキには、ビールの「喉越し」を最大限に味わうための、ちょっとした工夫が凝らされています。
その秘密は、取っ手の位置にあります。
日本の500mlジョッキの取っ手は、ジョッキの重心となる真ん中よりやや下側に付いていることが多いです。
これにより、ジョッキを傾けやすくなり、ビールがスムーズに喉に流れ込んでいく感覚を味わうことができます。
これが、ビールの美味しさにつながる大きな利点なのです。
一方、取っ手が上にあると、重心が高くなって不安定になり、ビールを勢いよく飲むことが難しくなります。
また、手や肩に余計な力が入ることで、喉周辺が締まってしまい、ビールが流れにくくなるというデメリットもあります。
つまり、取っ手が低い位置にある500mlジョッキは、日本人の体格と「喉越し」を重視する飲みにぴったりだったわけです。
ラガービールと和食の素敵な関係
日本で主流となったドイツのビールは、ラガービールでした。
すっきりとして軽快な味わいが特徴のラガービールは、水のようにゴクゴク飲めるため、繊細な味付けが多い和食との相性が抜群でした。
一方、イギリスやアイルランドなどで主流のエールビールは、風味が強く飲みごたえがあるため、その華やかな香りが時に食事の邪魔をしてしまうこともあります。
このような背景もあり、日本では軽快で雑味の少ないラガービールが好まれ、ドイツのビール文化が日本の食文化にうまく溶け込んでいったのです。
最後に豆知識ですが、「ジョッキ」という言葉は、実は和製英語です。
水差しを意味する英語の「Jug(ジャグ)」がなまってできた言葉で、英語では「Mug(マグ)」やドイツ語の「Krug(クルーク)」が一般的です。
日本のビール文化は、海外から伝わった歴史、当時の日本人の体格、そして食文化との相性によって、独自に発展してきたものなのですね。
結論
というわけで、
「なんでビールは500mlジョッキで飲むの?」は、
「パワー不足の日本人だったけどドイツのビールを好きになったから」
でした。
解説してくれたのは
ビール文化研究家の端田晶さん。
端田晶(はしだあきら)
作家/ビール文化研究家
1955年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。飲食店アルバイトから酒好きが高じてサッポロビールに入社。ギネス、ミラー、青島ビールなどのマーケティング、黒ラベルなどの宣伝制作、グループ全体の広報・IRなどを担当。コーポレートコミュニケーション部長、CSR部長、ヱビスビール記念館館長、文化広報顧問などを歴任。
また2013~21年には、一般社団法人日本ビール文化研究会理事顧問として、同法人主宰「日本ビール検定」などを通してビール文化の啓蒙に取り組んだ。ビールや酒に関する著書多数。NHK「チコちゃんに叱られる」NHKEテレ「知恵泉」「美の壺」、BSジャパン「武田鉄矢の“昭和は輝いていた”」などTV出演のほか、新聞社の政経懇話会、各地ロータリークラブなどでの講演も多い。
面白く楽しくビールを語る試みとしてライブハウス等での「トークショー」を開始し、好評を博している。
2016年には三遊亭兼好師の独演会にゲスト出演し、演芸史上初の「ビール漫談」を披露して爆笑をとった。
2017年には著書『ぷはっとうまい日本のビール面白ヒストリー』が「ビールスタンド重富」企画制作によってドキュメンタリー『日本の麦酒歴史(ビールヒストリー)』として映画化された。
2020年には『負けず 小説・東洋のビール王』を出版して業界の話題となった。2023年にはクラフトビール「VICビール」をプロデュースして好評を博し、翌24年も再発売された。
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主な講演テーマ
「もっとビールを美味しく飲む33の方法」
ビアホールには、ビールを美味しくする席があるのをご存じでしょうか。大ジョッキと小ジョッキでは喉ごしが違います。ビールの美味しさが分かるのは大人、という説には科学的根拠があります。喉が渇いたからビール、は間違いなのです。その他、最新流行のクラフトビールからご自宅で缶ビールを美味しくする「三度注ぎ」など、目からウロコのウンチクを満載した楽しいビール講座です。三度注ぎの実演も行ないますし、聴衆全員で三度注ぎにチャレンジして懇親会に移行という演出も可能です。実演の場合はビールとグラスの準備が必要になります。講演時間は40分から90分までアレンジ可能です。
「東洋のビール王・馬越恭平の破天荒な経営術」
戦前にビールシェア七割を占めた大日本麦酒の社長で「東洋のビール王」の異名をとった馬越恭平の一代記です。千六百人の芸者を口説いて花柳界にビールを売り込んだり、ビール専門店を開発して和製英語「ビアホール」を発明したり、常識を超えた破天荒なアイディアを駆使してヱビスビールを売上日本一に育て上げました。さらに総理大臣伊藤博文と対決して差し違えるという快挙も。「逸話の宝庫」と言われた八十八年の生涯を、幕末から昭和初期までの時代の変化と合わせて、迫真の語りで聴かせます。40分から90分までアレンジ可能です。また馬越に焦点を当てずに業界を概観するビール産業史にもアレンジ可能です。
「ウラオモテ!?酒の戦後史」
戦後から現代までの酒類産業の変遷を総括した歴史講座です。ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー、ワインなど種類別に、そして終戦直後、高度成長期、オイルショックなどの時代毎にトピックを集めて、話題商品、ブーム、税制、社会的規制などを含めた流行の推移を、業界人ならではの裏情報も含めて解説していきます。酒類業界のプロにとっても聞き応えのある内容で、全国型酒類卸売大手や小売酒販組合などでも講演実績があります。一般の愛飲家向けの場合は、専門用語の解説も付加します。60分から90分までのアレンジ可能です。
肩書き
作家、ビール文化研究家
ヱビスビール記念館前館長
(Wikipediaより)
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