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なんでややこしいのに同じ地名が沢山あるの? 昔はみんな地元の事しか知らなかったのでよそに同じ地名があっても混乱する事が無かったから そして現代は今さら「変えて!」とは言えないから

今回は祝!放送300回!72分拡大版スペシャル! 初回放送日:2025年7月25日を紹介。


なんでややこしいのに同じ地名が沢山あるの?




なんでややこしいのに同じ地名が沢山あるの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、全国を飛び回るステキな大人ってだーれ?」


チコちゃん「なんでややこしいのに同じ地名が沢山あるの?」


チコちゃんの答えは、「昔はみんな地元の事しか知らなかったのでよそに同じ地名があっても混乱する事が無かったから そして現代は今さら「変えて!」とは言えないから。」



昔はみんな地元の事しか知らなかったのでよそに同じ地名があっても混乱する事が無かったから そして現代は今さら「変えて!」とは言えないから


なぜ日本には同じ地名がたくさんあるの?知られざる地名の奥深い物語

「あれ?ここにも銀座がある!」「この前行った府中と、別の場所にも府中ってあったな…」


日本全国には、同じ、あるいはよく似た地名がたくさん存在しますよね。




初めて訪れる土地で同じ地名に出会うと、ちょっとした驚きを感じることもあるかもしれません。


なぜ、こんなにも同じ地名が各地に存在するのでしょうか?


今回は、その謎を解き明かす、地名の奥深い歴史と文化についてご紹介しますましょう!



大昔は「知らなかったから」問題なし!

大昔、私たちの祖先が暮らしていたコミュニティは、今よりもずっと小さな規模でした。


人々の生活圏も限られていたため、自分たちの地域の中で通じればそれで十分、という考え方が主流だったのです。


つまり、他の地域に同じ地名があったとしても、そもそもその存在を知らないので、特に問題になることはありませんでした。


これが、同じ地名が増えていった、一番シンプルで素朴な理由と言えるでしょう。



大和王権の「寛容さ」が全国に広げた同じ地名

地名がいつから誕生したのか、その起源ははっきりとは分かっていませんが、日本で最初の統一国家とされる4世紀頃のヤマト王権(大和王朝)の時代に、その後の地名のあり方を決定づける重要な「伝統」が築かれました。



ヤマト王権は、日本各地に同じ地名があることを認識しながらも、あえてそれを禁止したり、改名を強制したりすることは一切しませんでした。


同じ地名を許容する、この「寛容な姿勢」が、結果として全国に同じ地名が増えていく土台となったのです。



想像してみてください。


もしこの時代に厳しい地名統一のルールが設けられていたら、今の日本の風景は全く違ったものになっていたかもしれませんね。



地名が生まれる、いくつかのパターン

では、具体的にどのような理由で同じ地名が各地に生まれていったのでしょうか?主なパターンを見ていきましょう。


1. 景色や土地の形状から名付けられた地名

「大久保」と聞けば、どこか大きなくぼ地を想像しませんか?


また、「富士見」という地名があれば、そこから美しい富士山を望める場所であることが想像できます。


他にも、お城の正面玄関を意味する「大手」からとられた「大手町」など、その土地の景色や地形の特徴から名付けられたとされる地名は全国各地に存在します。




これは、同じような地形や景色を持つ場所が、日本各地に多く存在したため自然発生的に同じ名前が付けられたと考えられます。



2. 故郷の名前を「移植」するパターン

人が移動し、新しい土地を開拓する際に、故郷の地名を新しい土地に名付けるパターンも多く見られます。


例えば、和歌山県の白浜と勝浦、そして千葉県の白浜と勝浦。


この二組の地名が同じなのは、紀州半島(和歌山県)の漁師たちが、漁の過程で北上し、たどり着いた房総半島(千葉県)で、故郷とよく似た景色を目にしたため、親しみを込めて故郷の地名を移住先でも名付けた、という説があります。




このパターンは、広大な北海道の開拓史にも顕著に表れています。


北海道の北広島市は、明治時代に中国地方の広島から開拓に来た人々が、その土地を「広島村」と名付けたことが由来とされています。


北海道には全国各地から多くの開拓民が集まったため、岐阜、愛知、鳥取など、全国の様々な地名と同じ名前が多数存在するのです。




面白いエピソードとしては、現在の福岡県福岡市も、もともとは岡山県の地名がその起源だとされています。


江戸時代の最初、武将の黒田長政が筑前一国(現在の福岡県北西部)の土地を与えられた際、博多の西側に武家の町を築きました。




その際、黒田家のルーツである岡山県の備前福岡から名前をとって「福岡」と名付けたという、歴史的な縁があったのです。



変わらない「地方への配慮」という伝統

明治維新によって、日本の首都は京都から江戸(東京)へと移るという一大事業が行われました。


明治維新の研究を専門とする一坂先生は、この出来事は京都の人々にとって大きな衝撃だったはずだと指摘しています。


その衝撃を少しでも和らげようと、江戸の呼称を「東京=東の京都」と変更して配慮したことからも、当時の政府の苦心が垣間見える、と推測しています。


これは、ヤマト王権の時代からずっと続いている「時の政権が地名に対して寛容な態度を取り続ける」という伝統のようなものと捉えることができます。


地名はその土地の人々にとって「地方のプライド」そのものです。


これを刺激することは、地方の支持を失うことになりかねず、得策ではないという判断が、常に政権側にはあったのではないでしょうか。


つまり、今さら昔からの地名を変えろというのは難しい、という認識が根底にあるのです。


実際に、昭和45年(1970年)に当時の自治省が出した通知には、「市の名称については、既にあるものと同じになったり、類似しないように配慮すること」というルールが明記されています。




しかし、これより前に作られた市の名前は、基本的にそのままとなっています。



偶然か?ミステリーな同じ地名

そんな中で生まれた、ちょっとしたミステリーもあります。


例えば、東京都と広島県にある「府中市」。


どちらも昭和29年(1954年)に市制が施行されましたが、東京都の府中市が4月1日、広島県の府中市が3月31日と、わずか1日違いの誕生日なのです。


これは偶然なのか、それとも何か狙いがあったのか、今となっては定かではありません。



日本各地に多く見られる地名の例

私たちがよく耳にする地名の中にも、同じ名前が複数存在する例はたくさんあります。


銀座: 江戸時代に銀貨を作っていた場所を「銀座役所」と呼んだのが由来で、東京、長野、徳島、山口、栃木など、全国各地に存在します。


赤坂: 一説には赤土の坂があったことが由来で、東京、秋田、鳥取、長野、福島、富山、兵庫、青森、千葉、群馬など、全国に10か所以上もあります。


ちなみに、日本だけでなく、アメリカの地名で多く使われる単語に、中間地点を意味する「mid」があります。


「ミッドタウン」や「ミッドウェー」など、アメリカ各地に「ミッド」と付く地名が多く存在するというのも、面白い話ですね。


普段何気なく目にしている地名には、その土地の歴史、人々の営み、そして時の政権の配慮など、様々な物語が込められていることが分かります。


次に同じ地名を見つけたら、ぜひその背景に思いを馳せてみてください。きっと、新たな発見があるはずです!



結論


というわけで、


「なんでややこしいのに同じ地名が沢山あるの?」は、


「昔はみんな地元の事しか知らなかったのでよそに同じ地名があっても混乱する事が無かったから そして現代は今さら「変えて!」とは言えないから」


でした。




解説してくれたのは


歴史研究家の一坂太郎さん。




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
他の記事もよろしくね。


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