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なんで日曜は休みなの? アメリカやイギリスにナメられたくなかったから

今回はチコちゃんに叱られる! ▽日曜休みの謎▽月の大きさの謎▽なぜコレクション 初回放送日:2025年10月31日を紹介。


なんで日曜は休みなの?




なんで日曜は休みなの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、休日を全力で楽しんでいるステキな大人ってだーれ?」


チコちゃん「なんで日曜は休みなの?」



チコちゃんの答えは、「アメリカやイギリスにナメられたくなかったから。」



アメリカやイギリスにナメられたくなかったから


現代につながる休日!「日曜日休み」導入の意外な理由とは?


私たちが当たり前だと思っている「日曜日休み」。


その歴史をたどると、明治時代の大きな転換点と、当時の日本が抱えていた国際的な課題が見えてきます。



かつての休日は「一六ノ日休み」

現代のように毎週日曜日が休みになったのは、明治9年(1876年)のことです。


それ以前、公的機関で主流だったのは「一六ノ日休み」というルールでした。




これは、毎月1日と6日がつく日(1日、6日、11日、16日、21日、26日)が休みというものです。


太陽暦導入後の31日は、このルールの例外でした。


なぜこのルールだったのか?


斗鬼先生の見解では、月に6回開かれていた「六斎市(ろくさいいち)」が関係しているとのこと。




農産物や日用品を売買するこの大きな市の開催周期が、庶民の生活リズムの基準になっていたのではないかと考えられています。


この「一六ノ日休み」は、明治元年からは政府公認の休日ルールとして採用されていました。



たった8年で急転直下!「日曜休み」制定の背景

しかし、そのたった8年後の明治9年、公的機関の休みは毎週日曜日に制定されるという急な変化が起こります。


この急展開の背景には、当時、日本が諸外国から格下に見られていたことが関係していました。


日本は、不平等条約の撤廃という大きな課題を抱えていました。


この不平等条約は、アメリカと結んだ日米修好通商条約をはじめとする安政五か国条約のことです。




軍事力・経済力で劣っていた当時の日本は、これらの条約を受け入れざるを得ない状況でした。


長い鎖国政策の影響もあり、海外との交渉に不慣れで軽んじられてしまう結果になっていたのです。



日本を苦しめた不平等条約の二大ポイント

特に日本にとって不平等だったのは、以下の二点です。

1. 関税自主権がない




海外から入ってくる製品の関税を、日本が主導権を持って決められませんでした。

その結果、海外製品が格安で国内に流入し、国産品が売れなくなって国内産業が衰退するリスクを抱えていました。



2. 領事裁判権




日本国内で外国人が罪を犯しても、日本が独自に取り締まることが許されませんでした。


裁きを下すのはその外国の領事(領事館)で、外国人に有利な裁判が行われることも少なくありませんでした。


これら二つの不平等が続くと、日本は文明国として認められず、欧米諸国の植民地になってしまうという危機感がありました。


この状況を打破するため、明治政府は欧米諸国と肩を並べる近代国家になる必要に迫られます。



岩倉使節団と「真似しまくる」施策

明治政府は、近代化の道を急ぎます。


明治4年(1871年)、岩倉具視を大使とする岩倉使節団を結成しました。




使節団はおよそ2年かけて欧米12か国を視察し、政治・経済・教育・軍事など、近代国家建設に役立つあらゆる面を学びました。


そして、その制度を日本に次々と導入するという、「真似しまくる」手法で国のルールに大きな変化を起こします。


例えば、当時の日本は妻以外の内縁の女性も配偶関係が公認されていましたが、キリスト教徒の多かった欧米人からは「野蛮」に見られていました。


使節団の帰国後、一夫一妻制が確立するなど、欧米と同じルールが適用されるように変わっていきました。


また、お米で税金を徴収する現物納(げんぶつのう)も、欧米からはあり得ないことと見なされていました。


そのため、明治6年には地租改正条例が制定され、土地に対しては現金で徴収する形に変化しました。





日曜休みは「文明国」の証、そして勤勉化へ

このように、欧米諸国にバカにされないように海外のルールを真似た制度は数多くあり、その一つが「日曜日休み」でした。


欧米諸国のほとんどが信奉するキリスト教では、日曜日は礼拝日(安息日)にあたるため、休日になるのが主流です。


さらに、当時の日本で活躍していたお雇い外国人(欧米の技術や制度を導入するために雇用された外国人)の存在も影響していました。




彼らにとって、日本古来の「一六ノ休み」は馴染みがなく、大事な日曜日の礼拝もできず、仕事のペースも合わないとかなりの不評を買っていました。


お雇い外国人への配慮、そして何より「近代国家として認められる」ための施策として、明治9年に日曜日休みが採用されることになったのです。


斗鬼先生によると、この変更は日本にとって思いがけない良い効果も生んだそうです。


「一六ノ休み」だと月に6回の休みでしたが、「日曜日休み」になると月に4回の休みになり、結果的に日本国民は勤勉になったという見解です。




悲願達成!近代国家への道

この「日曜日休み」の制定から約20年後、日本政府の悲願が達成されます。


1894年:領事裁判権の撤廃


1911年:全ての不平等条約が改正


西洋の様々な文化を取り入れたことで、日本は近代国家として認められ、国際社会での立場を確立することができました。


その一方で、日本独自の文化や慣習が失われてしまった面もあります。


現代の便利な「日曜休み」の裏には、近代国家を目指した明治政府の苦悩と、国際的な挑戦の歴史が詰まっていたのですね。



結論


というわけで、


「なんで日曜は休みなの?」は、


「アメリカやイギリスにナメられたくなかったから」


でした。




解説してくれたのは


斗鬼正一名誉教授


斗鬼 正一(とき まさかず、1950年(昭和25年) – )は、日本の文化人類学者。専門は都市人類学、地域研究。江戸川大学社会学部現代社会学科文化人類学・民俗学コース教授。明治大学文学部講師。明治大学大学院講師。  日本テレビ「世界一受けたい授業」「月曜から夜ふかし」「ZIP」「Nスタ」、テレビ朝日「Qさま」「相葉マナブ」「モーニングバード」、TBSテレビ「アイアム冒険少年」、テレビ東京「所さんの世界のビックリ村」、フジテレビ「リアルスコープハイパー」などのテレビ番組、「週刊女性」などの雑誌、新聞書評で、日本、世界の文化に関する解説、論評多数。
(Wikipediaより)



江戸川大学


江戸川大学(えどがわだいがく、英語: Edogawa University)は、千葉県流山市駒木474番地に本部を置く日本の私立大学である。1990年に設置された。大学の略称は江戸大。

江戸川大学在校生には、1人につき1台のノートパソコンが入学後に配布されている。そして、コンピュータの基礎教育、文章教育、コミュニケーション教育(専門講師を招いて)を積極的に行っている。また、大学敷地内には無線LANも配置されており、インターネットが常時利用できる。

教員には小倉淳(マス・コミュニケーション学科教授)、西條昇(マス・コミュニケーション学科准教授)、小林至(経営社会学科教授)、北原憲彦(経営社会学科教授)、斗鬼正一(現代社会学科教授)他、各分野において著名な人物(非常勤講師も含めて)が多く、同大学卒業生の専任教員もおり、学生との交流も盛んである。

それぞれの学科においての野外活動も多い。特に現代社会学科は、専任教員の専門分野が幅広く、現代社会の諸相を野外活動(フィールドワーク)を軸に研究する学科として、江戸川大学の特色が生かされた学科である。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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