今回はチコちゃんに叱られる! 年末拡大版SP▽除夜の鐘の謎▽“今年の漢字”の謎 初回放送日NHK総合テレビジョン12月26日(金)午後7:30を紹介。
なんでひょうたんはくびれてるの?

なんでひょうたんはくびれてるの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、植物を愛しているステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでひょうたんはくびれてるの?}
チコちゃんの答えは、「戦で両手を使えるようにするため。」
戦で両手を使えるようにするため
なぜ「ひょうたん」はくびれているの? 命を守るための驚きの進化と歴史!
縁起物や水筒としておなじみの「ひょうたん」。
あの独特の「くびれ」た形を思い浮かべる方が多いですよね。
でも、意外なことに、ひょうたんの原種は「まん丸」だったのです!
なぜ、私たちが知るようなくびれた形がスタンダードになったのでしょうか?
進化生物学研究所の湯浅浩史所長による、人類とひょうたんの1万年にわたる物語をご紹介します。
1万年以上前から人類の相棒だった
ひょうたんはメロンやカボチャと同じ「ウリ科」の植物です。
原産地のアフリカでは、自然に育つひょうたんはスイカのような丸い形をしています。
ひょうたんは、人類にとって非常に有益な植物でした。
栽培が簡単:約半年で実がなります。
加工がしやすい:乾燥させると皮が硬くなり、中は空洞になります。
軽くて丈夫:重さは発泡スチロールほどですが、落としても簡単には割れません。
そのため、1万年以上前から人類はひょうたんを「器」として利用してきました。
日本でも縄文時代の遺跡からひょうたんが見つかっており、古くから私たちの生活に寄り添ってきたことがわかります。
「くびれ」が必要だった切実な理由:戦と移動
当初は丸かったひょうたんですが、ある時期から「くびれ」のある形が選ばれるようになりました。
チコちゃんの答えは、「戦(いくさ)で両手を使えるようにするため」。
かつての旅人や武士にとって、飲み水の確保は死活問題でした。
【長距離移動の悩み】
お遍路や聖地巡礼などの長旅では、片手に杖、もう片手に丸いひょうたんを持って歩いていました。
しかし、これでは両手がふさがってしまい、非常に不便です。
【戦場での命がけの水分補給】
戦の最中、喉が渇いても両手がふさがっていては刀や槍が扱えません。
それはそのまま「命の危険」に直結しました。
突然変異から「腰に下げるスタイル」へ
そんな中、突然変異で「くびれた形」のひょうたんが誕生しました。
人々はすぐに、この形の素晴らしさに気づきます。
「このくびれに紐をかければ、腰にぶら下げられるじゃないか!」
くびれ部分に紐をしっかり結べば、激しく動いても滑り落ちることがありません。
こうして、「両手を自由にしたまま水を持ち運べる」画期的なスタイルが確立されました。
利便性が圧倒的に高かったため、人々はくびれた個体を優先的に栽培するようになりました。
その結果、日本や中国では「ひょうたん=くびれているもの」という認識が定着したのです。
日本・中国で「縁起物」になった理由
実は、世界的に見るとひょうたんの形はさまざまです。
楽器やお面に使う国では、加工しやすい丸型や楕円形が今でも一般的です。
一方、日本や中国でくびれ型が愛されたのは、実用性以上の意味があったからです。
除災招福のシンボル:
種が多いことから「子孫繁栄」の象徴とされました。
魔除け:
独特の形で邪気を吸い込むと言い伝えられました。
豊臣秀吉の「千成びょうたん」:
戦国時代、秀吉が戦に勝つたびにひょうたんを増やしたエピソードは有名ですね。
職人技!ひょうたんの器を作る工程
ちなみに、ひょうたんを器にするには、今でも手間暇がかかります。
上部にドリルで穴を開ける。
水に2〜3週間漬けて中身を腐らせる。
振ってドロドロになった中身を取り出す。
強烈な腐敗臭を落とすために再び水に漬ける。
天日干しをして完成。
この工程を経て、初めて「水漏れしない魔法の水筒」が出来上がるのです。
ひょうたんアート
ランプ
人形
チコちゃんら
まとめ
ひょうたんのくびれは、生き残るために知恵を絞った先人たちが選んだ「進化の形」でした。
今ではプラスチックの水筒が当たり前になりました。
しかし、あのくびれた形を見るたびに、かつての武士や旅人たちが腰にぶら下げて野山を駆けた姿を想像すると、なんだかロマンを感じますね。
次にひょうたんを見かけたら、その「くびれ」に感謝したくなるかもしれません!
結論
というわけで、
「なんでひょうたんはくびれてるの?」は、
「戦で両手を使えるようにするため」
でした。
解説してくれたのは
進化生物学研究所の湯浅浩史所長。
湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日[1] – )は、日本の植物学者、文筆家。前東京農業大学教授。
略歴
神戸市生まれ。1963年、兵庫農科大学(現・神戸大学)農学部農林生物学科卒業。1968年、東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士[2]。1968年、同大学育種学研究所所員、1975年、進化生物学研究所研究員、2000年、東京農業大学短期大学部教授、2005年、東京農業大学農学部バイオセラピー学科教授、2011年、退任。一般財団法人進化生物学研究所理事長・所長、生き物文化誌学会会長[3]。1994年松下幸之助花の万博記念奨励賞受賞[4]。村田源とともにベンケイソウ科のセトウチマンネングサをツシママンネングサの新変種 Sedum yabeanum var. setouchiense として記載した[5](後に大場秀章によるツシママンネングサに対応する学名の変更に伴い Sedum polytrichoides var. setouchiense と改められた[6])。
また、2001年5月1日から2006年3月31日にかけて、『朝日新聞』(時期によって朝刊・夕刊のいずれかに掲載)の第1面にてコラム『花おりおり』(全1564回)を連載していた[7]。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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