今回はチコちゃんに叱られる! ▽ハイタッチの謎▽マフラーの謎▽毒のイメージは? 初回放送日NHK総合テレビジョン2026年1月23日(金)午後7:57を紹介。
なんでマフラーの端っこはヒラヒラなの?

なんでマフラーの端っこはヒラヒラなの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、寒さ対策を欠かさないステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでマフラーの端っこはヒラヒラなの?」
チコちゃんの答えは、「神が「ヒラヒラをつけろ!」と命じたから。」
神が「ヒラヒラをつけろ!」と命じたから
マフラーの端っこにある「ヒラヒラ」。
冬の装いに欠かせないアクセントですが、なぜあのデザインが定番なのでしょうか?
ただの飾りだと思ったら大間違い。
実はそのルーツは5000年前まで遡り、なんと「神様からの命令」が深く関わっていたのです。
服飾史研究家の辻元よしふみさんの解説を元に、マフラーのヒラヒラに隠された壮大な歴史をひも解いていきましょう!
そもそも「マフラー」と呼ぶのは日本だけ?
本題の前に、ちょっとした豆知識を。
現代の英語圏(アメリカやイギリス)で「マフラー(muffler)」と言うと、主に自動車やバイクの消音器を指します。
首に巻くものは、防寒用であっても「スカーフ(scarf)」と呼ぶのが一般的です。
日本でマフラーという言葉が定着したのは、15世紀ごろの古いイギリス英語が伝わったから。
当時は、顔を隠すための「ベール」をマフラーと呼んでいた名残なのだそうです。
ヒラヒラの正体は「ほつれ止め」だった
あのヒラヒラの正式名称は「フリンジ」と言います。
その起源は約5000年前、メソポタミア文明の時代にまで遡ります。
当時は、織った布の端がバラバラにならないよう、糸を結んで「ほつれ止め」をしていました。
これがフリンジの始まりです。
一方、マフラー自体のルーツは約2000年前の古代ローマ。
兵士たちが首に巻いていた「フォーカーレ」という布が原型です。
目的は、防寒や汗拭き、そして重い兜で首が擦れるのを防ぐため。
この時点では、まだヒラヒラは付いていませんでした。
旧約聖書に記された「神の命令」
「ほつれ止め」だったヒラヒラと、「首に巻く布」が出会ったきっかけ。
それは『旧約聖書』にありました。
聖書の中には、神が人々にこう命じる一節が登場します。
「衣服の四隅に房(ヒラヒラ)を作りなさい。その房を見ることで、私の戒めを思い起こし、みだらな行いをしてはならない」
この教えを守るため、ユダヤ教徒の男性は「タリート」という四隅に房のついた肩掛けを身につけるようになりました。
現在でも、礼拝の際に欠かせない大切なアイテムです。
迫害から生まれた「サバイバル・ファッション」
面白いのは、なぜ「服」ではなく「肩掛け」にヒラヒラが付くようになったかです。
2000年前、ユダヤ人は古代ローマに占領され、迫害を受けていました。
服にヒラヒラが付いていると、一目でユダヤ教徒だとバレてしまい、命が危険にさらされます。
そこで彼らは考えました。 「普段の服にはヒラヒラを付けず、礼拝のときだけヒラヒラ付きの肩掛け(タリート)を羽織ろう」
この知恵が、のちに世界中へ広まる「ヒラヒラ付きのショール」の形を作ったのです。
ナポレオンが火をつけ、戦場で進化した
その後、このスタイルは中東からインドへと伝わります。
14世紀には、あの有名な「カシミヤショール」が誕生しました。
この高級ショールに目をつけたのが、フランスのナポレオンです。
1798年のエジプト遠征で見つけた彼は、妻や貴族へのお土産として大量に持ち帰りました。
これがヨーロッパの社交界で大ブームとなり、フリンジ付きのショールが上流階級のステータスになったのです。
その後、19世紀のクリミア戦争において、
極寒の地で戦う兵士たちに「安価な素材のフリンジ付きの布」が支給されました。
これが現代のマフラーの直接の形となり、戦後にファッションとして定着しました。
エルヴィス・プレスリーにも継承されたヒラヒラ
余談ですが、キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーの衣装にも大量のヒラヒラ(フリンジ)が付いていましたよね。
あれもルーツを辿れば、このフリンジの歴史に繋がっています。
激しく腰を振るダンスをしたときに、ヒラヒラが動くことでパフォーマンスをより大きく、セクシーに見せる効果があったそうです。
まとめ
マフラーの端っこにある何気ないヒラヒラ。
それは単なるオシャレではなく、「神の戒めを忘れないため」であり、「迫害から身を守るための知恵」でもありました。
そう思うと、冬の寒い日にマフラーを巻くとき、なんだか背筋が伸びるような、不思議な守られているような気持ちになりますね。
結論
というわけで、
「なんでマフラーの端っこはヒラヒラなの?」は、
「神が「ヒラヒラをつけろ!」と命じたから」
でした。
解説してくれたのは
服飾史研究家の辻元よしふみさん。
辻元 よしふみ(つじもと よしふみ、1967年(昭和42年) – )は、日本の服飾評論家、戦史・服飾史・軍装史研究家、翻訳家、ファッション・アドバイザー、ファッション・コラムニスト、詩人、エッセイストである。本名・辻元佳史。
2018年に導入の陸上自衛隊の制服(16式常装)改正にかかわり、山崎幸二・陸上幕僚長より陸上幕僚長感謝状を受けた。2019年から、陸上自衛隊需品学校の部外講師(軍装史学)。東京ベイカレッジ非常勤講師。防衛省職員・自衛官向けの専門紙「朝雲新聞」が「軍装史研究の第一人者」(2014年10月30日付)と評している。NHKなどのテレビ出演も多い。
経歴・人物
岐阜市生まれ。茨城県坂東市立岩井第二小学校、坂東市立岩井中学校、茨城県立下妻第一高等学校を経て早稲田大学卒。読売新聞社に入社。元日本現代詩人会理事。日本文藝家協会、国際服飾学会、服飾文化学会、軍事史学会会員。
1990年、村田正夫が主宰する潮流詩派に参加し詩人として活動開始。1996年以後は戦史・服飾史・軍装史研究家としての著作活動を始めた。近年は翻訳家としての活動も多い。服飾や軍服の歴史について、NHKや民放各局のテレビ番組に出演し解説。服飾史と軍事史に関する知識を駆使し、世界史的視点からの服装の変遷を考究し、ミリタリーウエアが今日の紳士服に与えている影響を独自の視点で説いている。単行本以外に中央公論新社の新書などで共同執筆しているほか、日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞、西日本新聞、日刊ゲンダイ、日刊スポーツ紙上に署名記事が見られ、河出書房新社、小学館、丸善、ワールドフォトプレス社、工作舎の刊行物などでも戦史と軍装史にかんする記事を書いている。近年は防衛省など省庁や企業の求めに応じて、服飾史や軍装史の研究に基づいたファッション・デザインの提案や企画の仕事を増やしている。
「スーパーロック詩人」というキャッチフレーズは三一書房の編集者が命名したという。「よしふみ」というひらがな表記は2004年ごろから。それ以前は本名の佳史だった。妻はイラストレーターの辻元玲子。義父(玲子の父)は文教大学元理事長で名誉教授の作曲家・田村徹。
元衆議院議員の辻元清美とは縁戚関係はないが、早大時代に「弟さんですか」とよく聞かれたという。
大学生時代には千葉県内の学習塾でアルバイトをしており、当時の一人称は「吾輩」。同時期にやはり早大に在学していたデーモン小暮閣下に口調が似ている、と生徒から言われたためだという。この塾の講師仲間に、後に靴職人となる柳町弘之がおり、ファッション関係の仕事を始めたときに再会してお互いに驚いた。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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