今回は、2019年5月24日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。
なんで大阪のおばちゃんは派手なの?
確かに大阪のおばちゃんは、アニマル柄とか派手な服装してますね。
でも、なぜなんだろう?
なんで大阪のおばちゃんは派手なの?
本日の2問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、大阪愛が強いステキな大人ってだーれ?」
ということで、大阪出身の岡村さんが挙手して、回答者に。
大阪のおばちゃんの服装は、ド派手なことについて、あれこれやり取り。
チコちゃん「なんで大阪のおばちゃんは派手なの?」
岡村さん「大阪万博があったから。」
大阪万博が1970年に開催されて、世界中からいろいろなファッションの人が来たことで刺激を受けたとのこと。
正解に至らず、叱られちゃいました。
大阪のおばちゃんたちにインタビューするも正解なし。
チコちゃんの答えは、「将軍様の言う事を聞かなかったから。」
将軍様のいうことを聞かなかったから
江戸時代以前は派手できらびやかな服は貴族などの特権階級。
庶民が派手な服装を出来るようになるのは江戸時代。
そのきっかけは町人文化の発達によるもの。
戦国時代とは違って世の中が安定している時代。
商業も発展し、庶民がある程度の経済力が持てるように。
文芸・学問・芸術分野が発展し華麗で人間的な風潮が特徴的な元禄文化。
この時代に町人たちが息抜きとして楽しんでいたのが歌舞伎や浮世絵。
これらはやがて流行の発信源となっていきます。
そして、歌舞伎役者の着物、髪型、化粧などは憧れの的、真似の対象になります。
例えば歌舞伎役者の市松が着ていた事から流行が始まった市松模様など。
この他にも女性たちの着物の派手さは目立つようになります。
大きな花柄や色とりどりの細かい柄の着物なども流行。
自由におしゃれを楽しんでいました。
天保の改革
しかしながら、江戸時代、12代将軍徳川家慶の時、老中・水野忠邦が天保の改革(天保12年)を断行。
財政を立て直すため、問屋仲間の解散、貨幣改鋳などを行いました。
贅沢品を禁止したため、町民は質素な生活をするように。
そのため、日本中の女性は、質素な身なりになりました。
しかし、大阪では
この政策に全面的に賛成しなかったのが大坂(大阪)。
天下の台所と呼ばれる物流の中心地であった大坂。
圧倒的に町人に勢いがありました。
自分たちが稼いだお金で町が動いているという強い自負を持っていた大坂町人。
お上の命令に素直に従わずに、派手な服装をやめませんでした。
着物の裏地に派手な生地を使ったり、下着を凝った派手なデザインするなど。
一見、表からは見えないような隠れたファッションを愉しむように。
お上に従わなかった反骨心が、大阪のおばちゃんが派手になった一因とのこと。
なぜ、アニマル柄を大阪のおばちゃんは着るのか?
大阪のおばちゃんファッションで真っ先に思い浮かべるトラ柄やヒョウ柄のアニマル柄。
このアニマル柄は、「目立ちたいという自己主張もあるにせよ、大阪のおばちゃんは人を喜ばせたいという気持ちもあって、コミュニケーションの一つとして派手な服装をしているのでは?」とのこと。
結論
というわけで、
「なんで大阪のおばちゃんは派手なの? 」は、
「将軍様のいうことを聞かなかったから」
でした。
(注)ちなみに大阪のおばちゃんが派手になったのには諸説あります。
解説してくれたのは
解説は相愛大学の前垣和義客員教授。
1999年4月 – 2006年3月 相愛大学 人文学部 非常勤講師
2006年4月 – 2011年3月 相愛大学 人文学部 客員教授
2011年4月 相愛大学 人文学部 特任教授
1965年4月 – 1966年8月 聯合紙器株式会社(現レンゴー)経理部
1971年3月 – 1973年9月 株式会社大有社ラジオテレビ部主任
学歴
– 1971年3月 立命館大学 経営学部
委員歴
1994年9月 日本笑い学会(笑いの講師団 現在に至る) 日本笑い学会(笑いの講師団 現在に至る)
(HPより)
相愛大学(そうあいだいがく、英語: Soai University、公用語表記: 相愛大学)は、大阪府大阪市住之江区南港中4-4-1に本部を置く日本の私立大学である。1982年に設置された。大学の略称は相愛大。
附属校として、相愛中学校・高等学校がある。京都女子大学とは姉妹校で龍谷総合学園加盟校。学内にクラシックなどの音楽の演奏をメインとしたコンサートホール兼講堂「南港ホール」がある。
(Wikipediaより)
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