今回は、2019年12月13日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「“1日3食の秘密”“裏声のなぞ”“銭湯の富士山”他」のお話。
なんで銭湯には富士山の絵が多いの?
たしかに、銭湯といえば、富士山ですね。
なぜなんだろう?
なんで銭湯には富士山の絵が多いの?
本日の2問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、 お風呂が大好きなステキな大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で石黒賢さんが回答者に。
チコちゃん「なんで銭湯には富士山の絵が多いの?」
石黒さん「青いから。」
岡村さん「急にアホみたいな言い回し。ちゃんとしてください。」
石黒さん「お湯につかっているとボーっとしてくるので、青空バックの富士山でクールダウンする。」
正解にいたらず、叱られちゃいました。
岡村さん「最初に富士山の絵を描いた人が富士山のふもと(富士五湖)の近くに住んでいたから。」
チコちゃん「うわぁ~、、残念!惜しかった。」
銭湯で聞いてみても正解なし。
チコちゃんの答えは、「最初に銭湯に絵を描いた人が静岡県民だったから。」
岡村さん「チコってる?チコってんちゃう?」
チコちゃん「富士五湖は山梨県でございました。」
岡村さん「そこ~!」
最初に銭湯に絵を描いた人が静岡県民だったから
銭湯に初めて大きな絵が描かれたのは、神田にあったキカイ湯。
今は既に廃業して無くなっています。
ここが銭湯絵発祥。
1912年にキカイ湯の経営者で東由松(あずまよしまつ)さん。
子どもたちを喜ばせようと浴室の壁に絵を描く事を発案。
当時は板張りが普通で殺風景。
東由松さんの知り合いだった川越広四郎(かわごえこうしろう)さんという画家に依頼。
この時に描かれたのが富士山。
その理由は川越広四郎さんの出身地が富士山の見える静岡県の掛川市だったから。
この富士山の絵がきっかけでキカイ湯は大繁盛。
これにあやかって他の銭湯も真似するようになりました。
そして、どんどん広まって行きました。
どのように銭湯の絵が描かれるのか?
銭湯絵師の中島盛夫さん。
全国に数名しかいないそう。
今回の仕事現場は、中島さんが描いた富士山の絵が飾ってある銭湯。
この度、新しい絵にガラッとリニューアルするという事で仕事の依頼。
するといきなり絵の上から筆を走らせます。
これは「下塗りをする暇が無いから」とのこと。
銭湯の営業前などの限られた時間を使って絵を仕上げる必要があります。
時間がないので、極力無駄は省くため。
使われるペンキの色は赤・黄・青・白の4色。
また、広い部分を塗る際にはハケではなくローラーを使用。
朝8時からスタートして5時間後には絵が完成。
白糸の滝が描かれた富士山が、
逆さ富士に変身。
スタッフ「今日の出来栄えはいかがですか?」
中島さん「今日描いた絵が一番なんですよ。いつでも。そうしないと帰れないでしょ?」
銭湯絵もどんどん進化.
豊島区の銭湯には夢の街と宇宙の絵。
絵には、スペースシャトル、サンタさんやキングコングなども。
大阪ではデカデカと大阪城の絵とミロのヴィーナス像。
大阪とギリシャの融合!
結論
というわけで、
「なんで銭湯には富士山の絵が多いの?」は、
「最初に銭湯に絵を描いた人が静岡県民だったから」
でした。
解説してくれたのは
庶民文化研究家の町田忍さん。
町田 忍(まちだ しのぶ、1950年5月12日 – )は、庶民文化研究所所長、NPO法人知識の杜評議委員[1]、エッセイスト、コメンテーター、写真家。(社)日本銭湯文化協会理事。ノベルティミュージアム(2011年3月閉館)副館長、浅草庶民文化資料館・三十坪の秘密基地(2019年1月閉館)名誉館長、
台場一丁目商店街(デックス東京ビーチ)特別顧問。[要出典]
庶民文化研究家と名乗る事があるが、これは町田自身が作った造語だとインタビューで語っている[2]。
来歴
東京都目黒区出身。目黒区立碑小学校、目黒区立第九中学校、和光高等学校、和光大学人文学部芸術学科卒業。
大学卒業後、警視庁麹町警察署に勤務。「警視総監賞を受賞した」と語ることがあるが、実際に受賞しているのは警視庁職員美術展の銅賞であり、これはいわゆる警視総監表彰にはあたらない[3]。警察官を退職後、少年時代より収集し続けている商品や各種パッケージなどの風俗意匠を研究するために「庶民文化研究所」を設立。
30年以上かけて全国の銭湯を約3200か所訪ね歩き、庶民の記録として写真に収める。
人物
収集癖があり納豆のラベル、蚊取り線香、ごきぶりホイホイなどの粘着式ゴキブリ駆除用品、バナナのシール、街頭で配られているポケットティッシュ、チョコレートのラベル、甘栗の袋、牛乳瓶の蓋(紙栓)、カップラーメンの蓋など100種類以上のジャンルをコレクションしている。また、ドラマや映画などの時代考証も手がけている。[要出典]
銭湯好きであり、それに関する本やコラムも執筆している。銭湯を個人的に調査・研究しており、「銭湯学」を提唱している。
狛犬や富士塚、おみくじの販売機なども研究の対象としている。
著書
『銭湯へ行こう』(TOTO出版)-1992
『銭湯へ行こう・旅情編 10年1089軒行脚の記録【カラー版】』(TOTO出版)-1993/9
『マッカーサーと征露丸 -ニッポン伝統薬ものがたり-』町田忍コレクション vol.1(芸文社)-1997
『Z級食べ物ラベル図鑑』(洋泉社)-1997
『納豆大全!』(小学館)-1997 『納豆大全 -愛すべき伝統食品の謎を解く』角川文庫)-2002
『絶滅危惧浪慢 町田忍博物館』(エージー出版)-1998
『昭和浪漫図鑑 -私が原っぱの少年だったころ-』(WEVE出版)-1998 『昭和なつかし図鑑 -私が原っぱの少年だったころ』講談社文庫-2007
『路上ポップ・ドールのひみつ』(扶桑社)-1998
『ザ・チョコレート大博覧会』(扶桑社)-2000
『散歩のすすめ ウの目タカの目マチダの眼』(JTBパブリッシング)-2000/9
『痛快「捨てない!」技術』(岳陽舎)-2001
『ぶらり散策 懐かしの昭和 -消えゆく昭和の建物をたずねて-』(扶桑社)-2001 『懐かしの町 散歩術』ちくま文庫-2004
『蚊遣り豚の謎 -近代日本殺虫史考-』(新潮社)ラッコブックス-2001
『貧しくても元気だった 懐かしの昭和30年代』(扶桑社)-2002/12
『懐かしの家庭薬大全』(角川書店)-2003
『懐かし新聞広告批評 -明治-大正・昭和の素晴らしいムダ知識-』(扶桑社)-2004/3
『暮らしのパッケージデザイン -お菓子・食料品・日用品-』(エムディエヌコーポレーション)-2004/7
『銭湯の謎』(ソニーマガジンズ)-2004
『昭和レトロ商店街 -ロングセラー商品たちの知られざるヒストリー-』(早川書房)-2006
『昭和レトロ博物館』(角川学芸出版)-2006
『銭湯遺産』写真・文(戎光祥出版)-2007
『帰ってきた!昭和レトロ商店街』(早川書房)-2008
『東京ディープ散歩』(アスペクト)-2008 『東京ディープぶら散歩』アスペクト文庫
『ザ・東京銭湯』(戎光祥出版)-2009
『最後の銭湯絵師 三十年の足跡を追う』(草隆社)-2013
『戦後新聞広告図鑑 戦後が見える、昭和が見える』(東海教育研究所)-2015
『銭湯 「浮世の垢」も落とす庶民の社交場』ミネルヴァ書房 シリーズ・ニッポン再発見 2016
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
他の記事もよろしくね。
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