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なんでドーナツには穴があいてるの?→グレゴリーが舵を手放さなかったから、と思ったけどよくわからない。!?

今回は、2020年10月30日金 チコちゃんに叱られる!「▽ドーナツの穴▽ワルの秘密▽野菜の大きさ」の番組内容を紹介。


なんでドーナツには穴があいてるの?




たしかに、ドーナツといえば、穴ですね。


揚げやすいから?





なんでドーナツには穴があいてるの?


本日の2つめ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ、岡村、この中で一番、甘いものを美味しそうに食べるステキな大人ってだーれ?」


岡村さんのご指名で、みやぞんさんが回答者に。


ドーナツの話題。


チコちゃん「なんでドーナツには穴があいてるの?」


みやぞんさん「丸い棒のまわにドーナツ生地をつけて揚げているから。」


チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


正解にいたらず、叱られちゃいました。


チコちゃんの答えは、「グレゴリーが舵を手放さなかったから。」



グレゴリーが舵を手放さなかったから!?


解説してくれたのは、立教大学の芝垣亮介准教授。


ドーナツの穴については色んな説があるそうですが、ハンソン・グレゴリーがドーナツに穴をあけたという結論に至ったという記録が残っているとのこと。


ドーナツはオランダのオリークックが原型。





小麦粉・砂糖・卵を混ぜて発酵させ、ラードで揚げたお菓子。


1600年代にオランダからアメリカに上陸。


ドーナツはもともと、中央にくるみがのっていました。


その語源は、英語で生地という意味のdough (ドー)とクルミなどの木の実を表すnuts (ナッツ)。





合わせてdough-nuts (ドーナッツ)。


しかしながら中央にクルミがのっていた事からも分かる通り、この頃のドーナツに穴はまだあいていません。


そして「ドーナツに初めて穴をあけたのは誰?」というテーマで1941年にアメリカ・ニューヨークで「大ドーナツ討論会」。





そこで名前が挙がったのがハンソン・グレゴリーという名前。


ここで登場したのがチコちゃんに叱られる西ヶ谷チーフプロデューサー役の筧利夫さん。





相手役は宗實ディレクター(本人)。




この疑問は西ヶ谷チーフプロデューサーの持ち込みで2020年7月にアイディア化されたもの。


チーフプロデューサーからの指示で、宗實ディレクターは、ドーナツの穴を調査。


なかなか調査が難航。


たまたま立ち寄ったコンビ二で、見つけた雑学の本。





そこにはドーナツの穴の理由が書かれていました。



ハンソン・グレゴリー


ハンソン・グレゴリーは1831年アメリカの最東北部であるメイン州生まれの船乗り。


1847年のこと。


嵐の中航海をしていたグレゴリー船長。


長時間の舵取りをしながら、空腹を満たすために当時穴のあいていなかったドーナツを食べます。





ところが、嵐の航海中は舵を手放せなかったので、舵の取っ手の部分にドーナツを串刺し。





穴をあけました。


これがきっかけで穴のあいたドーナツが普及する事に。


なかなか面白いお話。


しかし、、、、、


芝垣先生「本当ならね?」


実は舵にドーナツを串刺しにしたというお話はグレゴリー本人が否定。


衝撃の事実。


その代わりに少年時代に母が作ったドーナツの真ん中が生焼けだったので、





コショウの缶を使って穴をあけて食べたというエピソード。





その他にも、アメリカの先住民が弓矢を放ったところ、テーブルにあったケーキの真ん中に刺さったから。





元々クルミがのったお菓子だったのがクルミが手に入り辛くなったので穴をくり抜いたから。





ユダヤ人が食べていた大きな穴のあいたベーグルを真似た説。




といった色んな説があるとの事。


どれもが確証に乏しく、実際はわからないのが現状。


つまりどれが答えなのかはハッキリしないとのこと。



結論


というわけで、


「なんでドーナツには穴があいてるの?」は、


「グレゴリーが舵を手放さなかったからと思ったけどよくわからない。」


でした。



「分からない」という結論に至る問題作。


以前には、サウスポーの由来やサイコロの1の目が赤い理由も、わからないという結論で終わった話題がありました。




解説してくれたのは


立教大学の芝垣亮介准教授


氏名
芝垣 亮介 (シバガキ リョウスケ)

SHIBAGAKI Ryosuke

所属
外国語教育研究センター

職名
准教授
(大学HPより)



立教大学


立教大学(りっきょうだいがく、英語: Rikkyo University/Saint Paul’s University)は、東京都豊島区西池袋3-34-1に本部を置く日本の私立大学である。1922年に設置された。大学の略称は立大(りつだい)。

立教大学は日本聖公会系のキリスト教主義学校(ミッションスクール)である。元々は米国聖公会の宣教師チャニング・ウィリアムズ主教が設立した聖書と洋学を教育する私塾である立教学校が母体。開校当初は主教らの公的書簡では「Day school for boy」または「Boys school」などと記されていた[1]。

「立教」の由来についてはいくつかの説があり、朱子の『小学』立教篇から採ったとの説[2]、儒学者高愈が註をした「立教法以治人」から採ったとの説[3]、ヘンリー・セントジョージ・タッカーが「立教はセント=ポールズの日本名で、それは『教えの建設』を意味する」と記したとの説[2]、あるいは聖公会の祈祷書にあった「立教師」に由来するとの説もある[4]。

また、「St.Paul’s」は、立教大学の守護聖人が聖パウロであることに由来し、ウィリアムズ主教が1882年頃に命名したと考えられている[5](米国聖公会系の学校には全て「守護聖人」が存在している)。

1922年、大学令による大学となり、文学部、商学部、予科を設置。キリスト教系大学としては同志社大学に次いで2番目に認可された[6]。第二次世界大戦前にはSt.Paul’s Collegeと変更。現在は正式な英称をRikkyo Universityとしているが、Saint Paul’s UniversityまたはSt.Paul’s Universityとも呼ばれる。

戦間期以降、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、東京大学、そして立教大学で構成される東京六大学の一校に数えられる[注釈 1]。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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